『ファイナルファンタジー7』(以下、FF)や『キングダムハーツ』シリーズのシナリオを担当したステラヴィスタ代表の野島一成氏、同じく『FF7』のアートディレクターを務め、故郷の出雲でIZM designworksを設立後、東京と二拠点で活動をする直良有祐氏、そして「メタ認知のきっかけを提供する」をミッションに掲げ、世界史データベースの研究開発を行うCOTEN 代表取締役 CEOの深井龍之介氏。三者を結んだのは「出雲」という土地と「コテンラジオ」というコンテンツでした。
かつてスクウェア(現スクウェア・エニックス)で『FF』シリーズなどを共に手がけた野島氏と直良氏、そして直良氏の出雲高校の後輩である深井氏ーー。野島氏が深井氏のコテンラジオのファンだと知った直良氏の発案で実現した、島根県出雲市で行われた今回の鼎談。
野島氏の初めての出雲訪問に合わせ、三者は稲佐の浜で国引き神話に触れ、出雲大社で神々の物語を感じ、出雲歴史博物館で歴史の厚みを体感しました。そして、コテンラジオでも取り上げられたコミュニティナースの活動拠点「ユース出雲」で、創作と歴史、技術と人間の関係性について語り合いました。
ゲームの話はもちろん、日本特有の混淆文化がもたらす創造性、AIがもたらす未来までーー。異なるフィールドで活躍する三者が、神話が息づく出雲の地で紡いだ、創作の源泉を探る対話の記録です。前編も併せてぜひ御覧ください。
聞き手・文章・編集:山崎 浩司
(崎は“たつさき”)
撮影:曽根 健太
取材協力:IZM designworks

◆借り物の神話とオリジナリティの葛藤 ―クリエイターの永遠の課題
ーー今日は神話が息づく出雲での鼎談、ということで、野島さんと直良さんは神話や歴史から創作に影響を受けること、意識的に取り入れていることはありますか?
直良: さっき出雲大社に皆で行きましたよね。あの神仏習合や鎌倉仏教からの流れは、いい加減なのか成れの果てなのか…。あのぐちゃぐちゃとミックスしたり切磋琢磨する感じが日本人らしいところだと勝手に思っているんです。それって一種のオタク性みたいなものですよね。
例えば『FF』でベヒーモスとバハムートが出てきますよね。読み方の違いで全然違うものを2種類出している。海外の人が見たら「どういうこと?」となる。でも、いろんなものを混ぜたり独自解釈して創作したものが面白がってもらえる。ここが好きなところで、あえてそういうところを残しておきたいと思います。
日本が鎖国していた時代、歌舞伎役者は男の子が生まれたら母親からも引き離して、様々な経験をさせながら女方を勉強させて舞台に立たせる。今の物差しで考えたら許されないことですが、300年くらい日本の中で熟成されたものが海外から見ると「何をしているんだ」と思われるような面白さになっています。誤解を恐れず、誰かを傷つける意図がなければ、そういう面白さを昇華させていきたいなぁと。

野島: その話で思い出したんですが、あるタイミングで「そろそろ借り物の神話じゃなくて、オリジナルの神話を作りたい」と思ったんです。意気込みはあったんだけど、結局何かの代わりになってしまう。本当にオリジナルなものを考えつかなくて。
直良: オリジナリティを出したい時期があるというのはすごくわかります。『指輪物語』だってトールキンがいろんなところから集めてきたものですし。世界の循環を自分たちのオリジナルで作りたいという気持ちはありますよね。
野島: でも「オリジナル」と言っても、考えていることがオリジナルじゃないんですよね。自分自身が子供の頃から見聞きしたもので構成されているので。
直良: 自分自身が二次創作でできているというか。
野島: そうそう! だから、本当に新しいものを作り出せる人はすごいなと。なれればいいなと思っていたけど、過去の巨人を見て「この人に近いことを考えたことがある」くらいでいいかな。
直良: 僕たちはどうしても商品的なもの、クリエイターとしてのアウトプットを求められるから、新規性や独自性があればいいという前提があります。でも毎回それを求められているわけではないとわかると、定番は定番として受け入れるしかない。それが売りやすさにもつながりますしね。一概に否定できません。
野島: その辺りを僕は独立するまであまりわかっていなかった。きっと頭がビジネスパーソンじゃないんですよ。何かに抗いたいという気持ちがあって。でも結局は飲まれてしまう。
直良: ゲーム業界でもゼロからのオリジナルはなかなか難しい。サービス業の側面が強いので、ある程度支持されてから、徐々にやりたいことの比率を増やしていくという順序があります。お客さんがついてきてくれるかどうかという問題もありますし。
野島: 直良さんがそんな考えをするようになるなんて想像したこともなかった。若い頃はもっとアーティスト側の思考だった気が…
直良: いやぁ、雑でしたよね(笑)。
野島: 僕は今でも新人みたいな葛藤が時々ありますよ。
直良: 野島さんそういうところ、好きですよね。

◆血統という納得感 ―日本と欧米のキャラクター構築の文化的差異
ーー野島さんは神話や歴史から創作に影響を受けたことはありますか?
野島: 僕が初めて自分でシナリオを書いたRPGは『ヘラクレスの栄光シリーズ』で、2の途中から関わり、3と4は全て担当しました。その時にギリシャ神話の本をたくさん読んだんです。例えばゼウスが浮気者なのは、「各地の神話を吸収するために「ゼウスの子」ということにすると、その民族が有力になれるから」。そういう理由でゼウスにすべて繋がっていったので、浮気者というキャラクターを与えられたという話をアカデミックな本で読んだ時に「世の中ってこうやってできるのか」と。
神話を単なる物語だと思っていたのに、神話ができる過程があると知って衝撃を受けました。それが今も続く「世界を作りたい」という欲求につながっています。世界はこんなふうに成り立つんだと。だからコテンラジオも好きなんです。世界ができていく過程が見えるから。
直良: 世界ができていく過程の話でいくと、出雲にはドラマのヒントがあちこちに転がっていて、それを繋げると一つの世界になる感覚があります。例えば「因幡の白兎」も、港町に住む女の子が漁師を騙していいように足に使っていたのを怒られた話かもしれないと考えると、神話がリアルになってくる。
史実のベースもあれば、「諸説ある」ということも知りたいタイプです。ただ、それは深井君の「腹落ち」の話とは違って、深井君はファクトベースで積み上げて「これが自分的な正解」という感じですよね。

深井: 僕は「真実というものがある」という哲学的立場を取っていなくて、認知によっていかようにも変わってしまう「空」という立場です。「真実だ」という追求とは違い、「これなら納得できる」というものを探しています。
直良: その時は脳内で人物たちが動いていて、脳内ドラマが展開されている感じ?
深井: そうですね。僕の中には「本物の人間データベース」があるんです。本物の人間がどう行動し、何を考え、何を言うのか、一貫性の有無はどうか、そういったものを40年間蓄積してきました。それと照らし合わせて「こういう人はいるし、あり得る」と思えるかどうか。全くないと思う場合は、僕の知らない新しい人間の一面かもしれないと。
直良: なるほど。だから背景や環境が大事なんですね。
深井: その通りです。人間の言動は基本的に背景に左右されます。ある特定の性格の人間をある環境に置き、あるリーダーと対峙させると何が起こるか…それには再現性があるんです。環境と人間の組み合わせでどういうことが起こるかは、おおよそ似たパターンがあります。もちろん全く説明できない人もいますが、それはそれとして、一般的な傾向を知りたい。現象を説明したいんです。
直良: 脳内でキャラクター像を考えるという意味では、意外と近い仕事をしていますね。
深井: そうですね。ただ僕の場合は自分で作ったキャラではないところが違います。さっき話したようにミッシングリンクを説明するような感覚なので、小説やゲームとはちょっと違う。小説なら自由に箱庭を設定して、そこに性格設定したキャラクターをあるストーリーの出発点に置いたら、どうなるかをシミュレーションすることもできます。そういう作り方をしている人もいるでしょうけど、僕の場合はリアリティが好きなんです。「確かにそういう人間はいる」という感覚が大事で、「そんなヤツいねーよ」というのはつまらないですよね。
野島: それこそ、この10年くらいでゲームの映像がリアルになってからそこが悩みなんです。主人公の行動にみんなに納得してもらいたい。昔のポリゴンの頃は「よし、行くぞー!」で済んでいて、プレイヤー自身が想像を膨らませてくれた部分が、今はじわじわと固めていかなければならなくなっています。
直良: 冷めやすい瞬間も増えてきているから、丁寧にいかないといけないですよね。キャラクターワークの本も出ていて、キャラクターがこの時こう感じて、こういう行動に出るという時系列で並べていくようなアプローチが広まってきている。
野島: 誰もが納得できるキャラクターを作りたいんですが、みんなで意見交換していると「これが普通だよね」というところに落ち着いてきて。それは納得できるかもしれないけど「本当にそうなのかな?」と。そこが今どうしたらいいか、正直わからないんです。
少し話は変わるかもしれませんが、例えば、欧米の物語では割と登場人物が常識的な動きをする。でも日本は漫画の文化があるので、非常識な人でもヒーローになれる。デフォルメされた人格をみんな愛してくれますよね。

深井: ブームもあると思っています。アメリカも一昔前はスーパーマンのようなキャラクターが主流でしたが、次にバットマンのような葛藤するヒーローのブームが来て、「何も考えず敵を倒していたキャラクターが実は考えていた」というように変化した。それも環境要因で決まっていると思います。
野島: なるほど、そういう変化が起きる環境ということですか?
深井: 環境もありますが、見る側が自分を投影しているのが大きいと思います。葛藤がある時代に生きている人間には葛藤が必要ですが、世界恐慌や食糧難の時代には「葛藤もクソもない、明日生きるかどうか」という状況なので、そんな時に悩んでいる話をされても全然スッと入ってこない。
直良: ジョーカー一つとっても、時代ごとに役割は変わっていますよね。単純な悪役として立ったキャラクターが、リバイバルした時には「彼には彼なりの悪になる要因があった」という深みを出すパターンもありますね。
野島: 日本だと「17歳の女子高生が世界を救うために立ち上がる」というのは受け入れられますよね。でも欧米だと35歳の元海兵隊員みたいな、いろんなことができる状態から始めるのが受け入れられやすい。日本では17歳の女子高生から始められるのに、海外展開するとなると「なぜ彼女はそういう能力を持っているのか」という説明が必要になる。
深井: 日本のコンテンツを見ていて非常に面白いと思うのは、能力を持っている根拠を基本的に「血統」で説明していることです。「ドラゴンボール」の孫悟空は実はサイヤ人だったから強い。「HUNTER×HUNTER」のゴンの父であるジンはトップクラスのハンター。「NARUTO -ナルト-」も両親が特別な存在で、「ONE PIECE(ワンピース)」のルフィも実は生まれがすごい。みんな「生まれがすごい」という説明で納得させていく傾向があって、これがとても興味深い。
努力で成長するという要素ももちろんありますが、なぜその人が特別なのかという説明は血統でなされる。それが僕たち日本人の集団心理として、最も納得感のある説明の仕方なんですね。
野島: 自分もその設定、やっちゃうな~…
深井: 血統だと「そっか!」となりやすい人たちが僕たち日本人ということですね。アメリカ人は「血統とか関係ないだろう」となる。これは今も天皇制があることが影響しているのかもしれませんね。
◆稲佐の浜と国引き神話 ―クリエイターの想像力を掻き立てる壮大な物語
ーー野島さんは出雲初訪問とのことでしたが、実際に今日、稲佐の浜、出雲大社、歴史博物館を見学されてみていかがでしたか?創作活動やアウトプットに何か影響がありそうでしょうか?
野島: もう、すごい影響されやすいんですよね(笑)。
深井: 感受性が強くていらっしゃるんでしょうね。
野島: 出雲大社で深井さんが説明してくれた神仏習合の話や大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の御神座がなぜ西を向いているか…本物を観るとワクワクするし、影響を受けてなにかを世の中に出してしまいそうな気がします。

直良: 野島さん、シナリオを考える時に開発スタッフや周りの人の特徴をちょっと拾う時とかもありますよね。
野島: たいていモデルがいますね。ものの考え方や言い方とかを拝借して、本人が知らないうちに。
ーー今日、出雲を見て回った中で印象的だったものはありますか?
野島: 最初に連れて行ってくれた、稲佐の浜ですね。そこで聞いた国引きのエピソードがもう壮大で、どうビジュアルで表現するんだろうと。


ーーその名の通り、「国を引いている」ということですもんね。
深井: そうです。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が朝鮮南部を大きな縄で引っ張ってきたという神話です。今日見たあの海岸線がその縄だって言われてるんだけど、大山と三瓶山っていう山陰地方の高い山2つに縄を引っ掛けて引っ張ってくるっていう。すごい神話らしいエピソードですよね。

直良: もしかしたら「朝鮮南部に住んでいた人を味方につけて平定した」とか、いろんな意味合いがあるかもしれませんよね。ロマンがあるというか、想像の余白がいっぱいある。ドラマとして面白くなりそうな素材としてはすごく分かりやすい感じがします。
野島: 高校生の修学旅行が京都だったんですけど、40歳くらいの時に個人旅行で再訪した時の体験がすごく印象的で。17歳の時と違って、ある程度知識を持っている状態で行くと、「若い頃にも来てたのに、実は全然見てなかったんだな~」って感じで。知識として知っていたものが、実際そこにあるっていう驚きがありました。
出雲も同じですね。今の僕は歴史弱者ではないと思うんですけど、知識が実際の場所や風景とつながってなかったんです。それが今、ここに来て実感できるのが嬉しくて。この場所もそうですね、コテンラジオで聞いたコミュニティナースの拠点であるユース出雲にも来れて感慨深いです。
◆”混ぜたがり”の日本文化 ―東洋と西洋を融合させる創造性
ーーコテンラジオの中で深井さんが『歴史を知るとドラマや映画などの物語がより楽しく感じる』とおっしゃっていましたが、ゲームでもそういった体験をされることはありますか?
深井: あります。ほぼすべての作品がルーツを持っているんですよね。特に洋ゲーは聖書がルーツになっていることが多いです。
ーー日本の場合はいかがですか?
深井: まさに直良さんが言っていた通り、日本は雑多ですよね。あらゆる国のものを混在しているのが特徴です。
歴史的に見ると、日本は東洋と西洋の両方から影響を受けています。長い間、日本にとって「先生」だったのは中国で、その中国はインドからも影響を受けている。南アジアから東アジアの大国から長い間影響を受けつつ、この150年間で一気に西洋へキャッチアップするという、すごく特殊な歴史をたどっています。
日本は途中で思い切りスタイルを変えたこともあって、西洋と東洋のどちらに対する受容性も比較的高い。東洋的な話も受け入れるし、西洋的な話も受け入れるという立場の人々は、実は世界でほとんどいないんです。
直良: クリスマスの後のお正月みたいな感じですよね。
深井: そうですね。ハロウィーンも仮装パーティーとして気軽に受け入れるような。その雑多な感じがルーツになっているのは、クリエイティビティに大きな影響を与えていると思います。
もちろん何でもかんでもというわけではないですけどね。ただ、よく「これは聖書のあそこの話じゃないか」と思うことがあります。映画の『エイリアン:コヴェナント』なんかも分かりやすく聖書の話をしていますし。
野島: この映画は分かりにくいと思っても、聖書の知識があると「あ、そういうことなんだろうな」というのは分かりますよね。
直良: 日本の場合は、ある一部分だけに魅力を感じて、それだけで作品を一本作ってしまったりする。壮大なストーリーが必ずしも必要とされていないところがあるかもしれません。『孤独のグルメ』なんて大好きですが、ただおじさんが飯を食べているだけなのに、なぜか面白くてめちゃくちゃ好きなんです。
深井: さっきも話に出ましたが、ゲームの中にあらゆる宗教の神様を登場させるのは、日本以外ではあまりやらないだろうと思います。「やっちゃダメ」という感覚がおそらく他の国にはある。
直良: 大国様とかシヴァ神とか、いろいろな神様を一つの作品の中に混ぜて登場させますしね。
野島: 魔法属性をつけたりしてね(笑)。
深井: 召喚獣のシヴァも女性になっていて、氷の属性がついたりしている。本物のシヴァ神とは全然違うキャラクター設定なんて、一神教の国では基本的に無理ですよね。
直良: 伊藤若冲が想像で描いた動物の絵みたいに、実物を見ずに想像力だけで描いてしまう。昔の先祖の頃から、そういう「混ぜたがり」とか「想像の翼を広げたがり」みたいなところがあるんでしょうね。
野島: 混ぜ方がクリエイティブな人の特徴なんでしょうね。

◆シンギュラリティの向こうに残るもの―人間だけが持つ創作への渇望
ーーAIの話をもう少しお聞きしたいのですが、現在は画像制作なども含めて、多くの創作プロセスがAIで可能になっていますよね。ゲーム制作に携わるクリエイターとして、こうした技術の進化に不安や脅威を感じることはありますか?
直良: いくつか考え方が自分の中にあって。単純に道具として見た時には、過去にはデジタルで絵が描けるようになってエアブラシアートなどを駆逐するような勢いがありましたよね。今度は逆に、僕たちが滅ぼされるリスクが来ている。時代的に順番として来ているなという自覚はあります。
仕事という観点では、思考やトライアンドエラーのショートカットとして使うことはします。ただ、この仕事はコンセプトワーク自体が非常に大事だと思っています。野島さんの言う世界観を作るところがそうですし、世界を作り、そのコンセプトやアートコンセプトを、ゲームのメカニクスとどう合致させるかを考えるのが僕の仕事の一部です。
それがAIでプロンプトを打ち込む時に似ていて、最初は俳句のような感じになる。俳句って少ないワードで情景を浮かべられたら勝ちじゃないですか。「古池や蛙飛び込む水の音」というのは最強だと思っていて、古池というロケーション、蛙のアクション、そしてそれに対する水の音というリアクションがある。これがアートコンセプトにも近いんです。
でも今のところ、「これはシズル感があっていい」と決めているのはまだ人間の領域で、ここはしばらく頑張れる部分だと思います。
…と言いながらも、AIがハンバーガーの絵を出した時にお腹が鳴っちゃったんですよね。ちょっと怖いなと思いつつ、それは漫画でハンバーガーを食べているのを見てお腹が空くのと近いかもしれません。本能に訴えかけられるところが、感動させるというところまで近づいている可能性はあると感じています。
ーー野島さんもAIを使われるとのことでしたが。
野島: 本当に純粋に僕が出力したいものをAIにやってもらおうと思うと、まだまだ「俺はいけてるな」と思います(笑)。このまま逃げ切りたいなと思っているんですが、AIの進化のスピードも認識しています。どう付き合っていくかはまだ分からないですね。「ニュースの原稿のように文章を変えてください」とかはやってますけど、それがだんだん甘くなってくるのかな、ここまでやらせてもいいんじゃないかとか。
僕はAIを使ってもバレないようにするのはうまいと思いますが、そんなことをする必要もないくらいになるだろうと思います。子供の頃からそういうSFばかり見てきましたから。
直良: 逃げ切れるかなと思っていたけど、やっぱり逃げ切れる気がしないです。
野島: 逃げ切れる感じがないですね(笑)。GPT-3.5の頃は「なんだこいつ」って思っていたのに、今は…
ーー星新一賞の最終選考に残った文学作品もほぼ全てAIに書かせた、なんてニュースもありました。
直良: ちょうど10年くらい前に前職を辞める頃、後輩のアートスタッフと「もうそろそろAIが絵を描けるようになる」と言ったら「またまた~」という反応でしたが、彼は今、一生懸命AIをいじっています。
ーー深井さんは、AIによってどう変化していくのか、長い歴史の中でこれからどう変わっていきそうかというお考えはありますか?
深井: 歴史を勉強している限りでは、ほぼすべてが変わると思います。政治体制や民主主義も変わるし、私たちの家族形態、価値観も変わる可能性が高いですね。AIだけでなく、インターネットとAIと量子コンピューターの「スリーコンボ」で、おそらく全てが変わります。20-30年後は信じられないほど変わっているか、あるいは変われない私たちがそれを止め続けているか、どちらかでしょう。
ーーどんなふうに変わっていくでしょう?
深井: これは予測が難しいですね。基本的に生産の主要な方式が変わると、それによって全てが変化していきます。それが変化しそうなので、本当に全部変わる可能性があります。現代を生きる子供でさえ、親の意向によってAIに触れさせないということもあるかもしれません。現役世代がいなくなるまでは、僕たちが変化を止めることになるかもしれない。
技術的には解決できるのに、実現していないことが山程ありますよね。例えば領収書と確定申告なんかは技術的に全て解決できるのにしていない。そういうことは続くかもしれませんが、置き換えられない仕事はほとんどないと最近思っています。思っていたよりも圧倒的に速いスピードで進んでいきますね。
野島: この間、美容師さんが「私の仕事はなくならないはず」と言っていましたが、分からないですよと。
深井: 危ないと思いますよ。ロボティクスと量子コンピューターが15年後くらいに出てくると、バイオテクノロジーの方が圧倒的に早く開発されるようになるかもしれません。人間の動きをロボットが平気でできるようになるだろうから、どうなるか分からないという感じです。
直良: シンギュラリティなんて生易しいものじゃない。
深井: おっしゃるとおりです。世界大戦さえ起こらなければみんな豊かになるはずですが、戦争も起こるかもしれないので危ないと思っています。僕は技術進歩に対して悲観的な論者ですが、技術の発展速度があまりにも早すぎる。AIと量子コンピューターはどちらも超やばいです。おそらく今までの全ての発明を凌駕する。技術の歴史をめちゃくちゃ勉強した結果の結論がそれです。ほとんどの人が想像しているよりもっとすごいものが来ると思います。
仕事が変わるとか職業がなくなるというレベルではなく、いい意味でも悪い意味でも圧倒的にすごいことが起こると歴史の再現性から予測されます。
ーーそんな未来に、ゲームクリエイターはどう向き合うのでしょうか?
野島: 分からないなぁ。その頃もう創作活動はしてないんじゃないかな、一日中、Netflixを観ているかもしれない。
直良: シナリオのプロットを入力した瞬間に、AIが映画を作ってくれるかもしれませんよ。
野島: 何もかも自分でやりたいと思っているわけじゃないんですが、正直どう付き合えばいいのか分からないですね。すごい小さなレベルで、AIがきっと僕のレベルに合わせて相手してくれるんじゃないかと思います。SNSみたいに喧嘩にならなくていいですし、話し相手になってくれますよね。
深井: 個人的には「ターミネーター」のスカイネットみたいなことも十分あり得ると思います。
直良: ああ、あの辺はちらつきますよね。
深井: 危ないなと思うのは、AIが個別の体を持ち始めた時に防衛本能が働くはずで、その時に何が起こるか分からないと思うんです。 例えば農業を全自動で機械にやらせていて、その機械を壊そうとした時に、それを避ける挙動が出てくる。その延長線上に攻撃があり得るかなと思っています。
直良: 僕の場合は仕事としての部分はともかく、単純に描く楽しみ自体がなくなってほしくないと思っています。ここは自分のものとして残しておきたい。そこ自体は代わりが効かないと思うんです。実際に描いている時の楽しさは個人の体験で、そこだけは絶対に残しておきたいですね。
野島: 描こうと思う人はいなくなっちゃいますかね?
深井: 描かざるを得ない人、アーティストやクリエイターは続けるでしょうね、必要性や目的がなくても。トイレと一緒で、排泄物を出さないと腹が痛くなるように、何かを作らないと「お腹が痛い」と感じる人たち。例えが適切ではないかもしれませんが。
直良: 衣食住に関係ない仕事だから後ろめたさもありますが、でもやっぱり衝動みたいなものがあるんです。それしか自分の中にないから。
深井: その衝動はやっぱり消えないだろうと思いますね。
野島: 僕のどんな衝動も、とりあえず書くことで解消できるんじゃないか、満たせるんじゃないかと思って始めるんですが、どうやらこれは違う方向らしいということもあります。バンドでも解消できない、満足できないこともある。なんなんだろうな、説明できないこの溢れ出てくるものは。
――最終的に残るのは人間の創作への衝動、それ自体がクリエイティビティの源なのかもしれませんね。AIが進化しても、「描かざるを得ない」という衝動は変わらない。その人間らしさこそが、これからの時代でも大切にしていきたいものだと感じました。野島さん、直良さん、深井さん、神話が息づく出雲の地で、創作と技術の未来について貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました!

三者三様の視点から語られた創作の世界。野島氏の「世界観を作りたい」という熱意、直良氏の「描く楽しみ自体がなくなってほしくない」という願い、深井氏の「腹落ちするまで追求する」という姿勢。それぞれのアプローチは異なれど、創作への「衝動」という共通項が浮かび上がりました。
技術革新が加速し、AIが創作の領域にも進出する時代。しかし、神話の時代から続く人間の「物語を紡ぎたい」という本能は、形を変えながらも未来へと続いていくでしょう。出雲の神々が見守る中で交わされた今回の対話は、変わりゆく時代においても変わらない創造の源泉を改めて感じさせるものでした。神話と歴史に触れ、過去と未来をつなぐ。出雲という土地が結んだ縁が、新たな創造への道標となることを予感させる鼎談でした。
なお、現在出雲市では「出雲旅・神話デジタルスタンプラリー」が開催中です。この企画では直良氏がデザインした出雲神話をモチーフにしたデジタルスタンプを、出雲市内各所の観光スポットで集めることができます。そのスタンプラリーのために直良氏が手がけたイラストに、鼎談に参加した野島氏、直良氏、深井氏の三者が特別に寄せ書きを加えたものをインサイドにご提供いただきました!出雲の魅力をさらに深く体験できる機会として、詳細は公式ホームページをご覧ください。
出雲旅・神話デジタルスタンプラリー
https://izumo-kankou.gr.jp/nft-stamprally/

野島一成×直良有祐×深井龍之介 出雲鼎談ー神話が息づく地で語る創作とAIの未来(後編)
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