敏腕クリエイターやビジネスパーソンに仕事術を学ぶ「HOW I WORK」シリーズ。今回お話を伺ったのは、ユネスコで世界遺産条約専門官として勤務するフランス在住の林菜央さんです。
林菜央
日本人で唯一のユネスコ世界遺産条約専門官。上智大学、東京大学大学院で古代地中海・ローマ史専攻。フランス政府給費留学生としてパリ高等師範学校客員研究員、パリ第四大学ソルボンヌ校で修士号取得、ロンドン大学で持続的開発も学ぶ。在フランス日本大使館で文化・プレス担当アタッシェを経て、2002年よりユネスコ勤務。ユネスコ・博物館プログラム主任などを経て現職。アジア・中東の数多くの世界遺産を担当。2024年に『日本人が知らない世界遺産』(朝日新聞出版)を上梓。
重責を担い、文化も国民性も異なる国の人々と関わる日々を送る、林菜央さん。
困難の乗り越え方から日常的な健康管理まで、様々な事柄についてお話しを伺いました。
林菜央さんの一問一答
氏名:林菜央
職業:ユネスコ世界遺産条約専門官
居住地:フランス
現在のコンピュータ:仕事専用はLenovoのThink Pad、プライベートはHP
現在のモバイル:iPhone
現在のノートとペン:ノートはMoleskine。ペンはモンブラン。メモは携帯でとって直接ドキュメントに起こすことも多い。
仕事スタイルを一言でいうと:世界遺産に関するフィクサー
学生時代の研究テーマがユネスコの仕事につながる
――まず、仕事に就いたきっかけを教えていただけますか?
ユネスコで働くことになったのは、専門的学術的な知識があるのに加え、英語とフランス語で仕事ができるという条件を満たしていたからです。試験に合格して採用され、今に至っています。
元々、学生時代に古代ローマ史を研究し、古典学・考古学の調査をしていました。
古代ローマといっても、イタリア半島の外側の東方属州がメインです。今のシリア、レバノン、エジプト、北アフリカといった地ですね。多くの世界遺産がある地域です。
そうした国々のいくつかは、かつてはフランスが宗主国で、地域の歴史考古学研究が進んでいたのもフランスなんです。
2カ月に1回は国外出張
――現在、どのようなお仕事をされていますか?
世界遺産条約を運営する事務局の専門官をしています。
担当地域の世界遺産の中で、保存状態で問題を抱えているところを調査し、政府と共同で改善に取りくむのが主な仕事です。
――現在、具体的にどうのようなことを?
保全状態についての技術報告書などをモニターするほか、重大な問題があるとみなされた場合は現地に赴きます。
遺跡の状態や人的・資金的な管理体制の状態について査察し、世界遺産を管理している政府に、保存修復にかかわる技術的な部分やガバナンスに関する政策提言を行います。
それだけではなく、世界遺産の地域に住む人たちが直面する問題や開発との齟齬に伴う問題解決も仕事です。必要に応じて、技術や人的リソースを強化するための資金供与の仲立ちを行います。
――どのくらいのペースで現地に?
実際に現地を訪れるのは、2カ月に1回ぐらいのペースです。
世界遺産条約の諮問機関の専門家と一緒に1回あたり1週間強ほど滞在し、世界遺産を査察し、政府関係者と話し合いをします。
帰ってから、約90ページほどの報告書を作成して政府に提出するのですが、報告書作成には1~2カ月かかります。

常に新しい学びが得られる仕事
――仕事のどんなところにやりがいを感じますか?
旅が多く、出張を通じて、いろいろな人や場所との出会いがあって、仕事だけではなく人間として常に新しい学びが得られることです。
それに、現地で出会った人々とのつながりができ、問題解決に向けた共同体意識や信頼関係が形成されて、人的ネットワークがどんどん広がるのもやりがいを感じます。
コミュニケーションで大事なのは共感力
――様々な国の人たちと折衝する機会が多いと、交渉を含めたコミュニケーション能力が問われるかと思います。そうした能力を発揮するために、留意することは?
時がたつにつれて、世界遺産として認められる条件を保持できなくなることがあります。そこに対し、国際的な決まりごとだからと押し付けても、できない理由があるわけです。
そこで一番大事なのは、共感力です。その国の事情、相手の立場に立って考えることが、とても重要です。
たとえば、経済・社会の発展のための開発事業と世界遺産の保全を、どう両立させていくのか。「条約に従って正しいことをしてください」と言うのではなく、できることは何かを一緒に考える。理想と現実のギャップをどのように近づけていけるか。
まずは、相手のことを理解する姿勢を打ち出すことです。
そのために、相手の国の歴史や国民性などを、あらかじめ勉強しておき、相手との親近感をはぐくむようにします。
望ましい結果から逆算して乗り越える
――苦労や大変なことが多いと思いますが、どのように乗り越えていますか?
理想のビジョンと政治的な状況がどうしても噛み合わないなど、大変なことは常に起きます。職場内でもマネージメントや人間関係で悩むことは少なくありません。
ですが、これまで乗り越えられなかった困難はなかったと思うと、今回も必ず何か解決策があるはずだと考え、とにかく行動します。
ここは、レジリエンスを鍛えておくことが大事です。
否定的な予測はあらゆる事態に対応するために必要だけれど、それだけ。起こっていない可能性の重圧に心を乱されないこと。自分の感情と事実を混同しない。
それから、結果から逆算して、時間とエネルギーの分配を考えます。無駄なことや比較的重要でないことに、すごく時間とエネルギーを使ってしまうことがありますので。
Facebookの政府・NGOの発信もチェックする
――日常的な情報収集やインプットは、どのように行っていますか?
専門書がメインです。世界遺産の1つ1つに、大量の参考文献があり、査察に行くならもちろんですが、デスクでのモニタリングの場合も目を通す必要があります。
Facebookや政府、NGOの公式アカウントが発信している情報や、その地域社会のことがわかるグループの情報をチェックします。
そして重要なのが、直接あるいはオンラインで多くの人に会い、話を聞くことです。
ChatGPTなどで資料要約にかかる時間を節減
――仕事ではAIをとり入れていますか?
業務上読むべき資料が、とにかくたくさんあるので、要約したり、要点をまとめるためにChatGPTやCopilotを活用しています。
プロンプトは、「数字にフォーカスして」「事実にフォーカスしたサマリーにして」と書くと、瞬時にアウトプットしてくれるので、ものすごく時間が節約できています。
以前は、自分で読んだものを、全部自分で要約していたので……。
ただ、AIでも間違えることはあるので、自分でざっと資料を読んで、全部流し込むのではなく、切れ切れにChatGPTでまとめて、必ず事実関係は確認しています。
身体をよく動かし、健康的な食事をする
――ストレス解消を含め、健康のためにしていることはなんでしょうか?
頭と体が健康であることがすべての基本なので、健康管理には本当に時間とお金を使っています。
まず、毎日最低8000歩を目標に、歩数はスマートウォッチで記録しています。
それから、週に2回はジムに行って、その間は音声の読み上げで本を聞いたりします。
フランスに住んでいますが、家での食事は和食が基本です。野菜と鮭や鯖といった魚をメインの食材とし、精製された白いお米、砂糖、小麦粉は取りません。
そして、食事と運動はすべて「あすけん」というダイエットアプリで記録しています。
――それはいい習慣ですね。逆に、改善したいと思っている悪い習慣はありますか?
読書が好きなので、どうしても夜更かししてしまうことです。
自分の世界とのバランスを取るために、また息子が成人して家を離れたこともあり、どうしても夜は遅くまで本を読んでしまいます。
本当は、早寝早起きがいいと承知しているのですが……。今のところ、これを改めるのは難しそうです。
豊富な読書体験が人生を充実させる
――自分の人生に影響を与えた本を教えてください。
本も映画もたくさん触れてきましたが、人生の局面によって、まったく違うメッセージを受け取れる作品はすごいと思います。
学術書であればフェルナン・ブローデルの「地中海」をはじめとする長期的歴史や文明間の相互の影響に注目した本。
物語であれば栗本薫の「グイン・サーガ」、ポール・クローデルの「繻子の靴」、マルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」、マルグリット・デュラスの「ラマン」。
生き方について考えるためには最近再読したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」、加藤えみ子さんの、美と生き方についての一連の本。
娯楽の歴史小説もたくさん読みます。
日本人的な「和」の精神で合理的な選択をする
――最後の質問になりますが、自分なりの仕事の流儀を教えてください。
目上の人や長く続いてきたものに対して、敬意を払う慎ましさを心がけています。同時に新しいものにも目を向けることも大事です。
たとえば、若いインターンの方が使っているアプリを尋ねて、自分も使ってみるとかですね。新しいものにも心を開く柔軟性は、欠かせません。
また、日本人だからかもしれませんが「和」を大事にします。心を穏やかにし、人に対する思いやりといったものを勘案した上で、最も合理的な選択をするよう心がけています。