国内最大級の女性向けキャンプメディア「キャンジョ」の運営や、キャンプ場のコンサルタントなどを手がける「キャンプ女子株式会社」。その代表を務める橋本華恋さんは、美容業界からキャンプビジネスへと大きな転換を遂げた経歴の持ち主だ。「キャンプ×女子というテーマで仕事がしたい。でも、そういう場がないなら、自分で作るしかない」。そんな思いからスタートした起業というチャレンジは、失敗を恐れず柔軟に変化をすることで、ついにはキャンプ文化を牽引する存在にまで成長。現在も決して歩を緩めることなく、さらなる先を見据えて進化を続けている。
キャンプとの運命的な出会いが人生の転機に!1年間の準備期間を経て、会社を設立
2013年に大学を卒業した橋本さんは、頭髪化粧品メーカー「株式会社ナプラ」に、福岡支社初の女性社員として入社。この業界を選んだのは、単純に化粧品やファッションが好きだったからとか。大学時代、個性的な髪型やファッションで自己表現を楽しんでいた彼女は、それを仕事にできる道を模索。そして、髪型もネイルも服装も制限が少ない同社は、まさに理想の環境だったと語る。
配属先は販売代理店や美容室への営業だったが、美容室オリジナルの商品開発に携わったり、全国的な美容師コンテストの予選の企画を任されたりと、さまざまな経験を積んだ。さらには、女性美容師だけを対象にしたセミナーを催したことも。「女性の社会進出など働くことに対する興味がもともとあったのかもしれません」と、当時を振り返った。
おしゃれなスーツに身を包み、ヘアカラーやスタイルもさまざまに楽しみながら働く毎日。人を幸せにする美容にかかわる仕事は大好きだったが、その多忙さから心身ともに疲弊することも少なくなかったという。
「特に新商品が出るタイミングは、美容室の開店前や閉店後に営業やご案内に行くほか、さらに、九州各地を回る出張が続くこともあって。社内メンバーからのサポートには恵まれて今でも感謝していますが、やはりハードだと感じることも多々ありました。そんな疲れ切っていた時、先輩に野外の音楽フェスに誘われたんです。それが私にとって初めてのキャンプ体験となりました」
2017年、長崎県大村市で開催された同フェスでテント泊をし、すっかりキャンプに魅了された橋本さん。自然の中で味わう食事やお酒のおいしさ、開放的な空間で過ごす心地よさが忘れられず、毎週のように友人を誘ってキャンプに行くようになった。
「いつしか友人たちから会費を集めてキャンプ場の予約から車の手配、道具の準備、レシピ考案、食材の買い出しまで、あらゆることを一手に引き受けるようになっていました。そのうちに『これを仕事にできないだろうか?』と、考えるようになっていったんです」
美容業界に身を置いていた橋本さんは、「やるからには女性に関わることを」と考え、〝キャンプ×女子〟でなにができるか探り始めた。しかしながら、自分が理想とする〝キャンプ×女子〟のビジネスモデルが見当たらなかったため、「ないなら自分で作ろう!」と立ち上がる。
「ちょうど同じ考えを持つキャンプ仲間の柴垣さん(現「キャンプ女子株式会社」共同代表)と意気投合し、『キャンプ女子という会社を作ろう!』と。そのワクワクした気持ちに勝るものはなく、会社員を辞めることへの迷いはありませんでした。それどころか、正直、起業を決意した時は〝会社員=給料が安定〟とすら考えていなくて。今、思えば怖いもの知らずというか(笑)」
起業を決断した橋本さんと柴垣さんは会社員を続けながら、エンジニア起業家養成学校「ジーズアカデミー」に通い、プログラムを習得。この時に得たスキルは現在にも活かされており、自社のWEB制作やデザイン業務は2人で行っているほか、さらにはコンサルタントとしてのキャンプ場のHP制作サービスにもつながっている。
「スクールに通う傍ら、キャンプ女子の応援団を増やす活動にも注力。Instagramで女性キャンパーさんを見つけては、DMでキャンプ女子アカウントの説明をしてフォローを依頼。地道に作業を続けていき、3か月で1万人、1年で3万人というフォロワーさんが集まり、多くの人に応援してもらえるように。そしてキャンプ女子のみなさんのニーズをアンケートで集め、解決策となるサービスをプログラミングで開発していきました」
起業準備として1年間、ひたすらにこれらを続けた橋本さんは、2019年5月に「株式会社ナプラ」を退社。翌月には柴垣さんと共に「キャンプ女子会株式会社」を設立する。
「起業について、同僚や友人など周囲にはほぼ相談しませんでした。親にすらしていません。起業したことのない人に相談すると『やめた方がいい』と言われがちだからです。その代わり、起業経験者や、自社のステークホルダー(顧客や取引先など)には会いに行き、話を聞くことには積極的でした。とにかくスキルアップや自身のブランディングなどの〝自分磨き〟と〝サービス磨き〟に集中していましたし、それは今も怠っていません」