少子化の原因として、経済格差の影響がよく指摘されます。たしかに、子育てにかかるコストの上昇や非正規雇用の拡大は、将来の不安につながり、出産をためらわせる大きな要因です。これは多くの人が実感として理解できるでしょう。
しかし、近年の研究では、むしろ高学歴・高収入の人ほど、子どもの数が少ない傾向にあることが明らかになってきました。これは直感に反する現象です。
さらに、最近発表された研究では、知能の高い人ほど思春期が早く訪れる=身体的には早熟であることも確認されています。進化的な視点から言えば、これは子孫を多く残すのに有利な特徴のはずです。
なぜ経済的にも、進化的にも「有利なはず」の人々が、少子化に関与しているのでしょうか?
この“逆転現象”を解き明かしたのが、シンガポールのジェームズ・クック大学とイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの共同研究チームです。
彼らは数万人規模の長期追跡データをもとに、知能と生殖行動の関係を分析し、「思春期の早期化」と「出産の後ろ倒し」という、一見矛盾する現象の背景にある社会的・心理的メカニズムを明らかにしました。
この研究は2025年3月7日付で、学術誌『Adaptive Human Behavior and Physiology』に掲載されています。
目次
- 知能の高い人は思春期の訪れが早い
- 「生殖に有利なはずの個体が出産しない」人間社会が抱える矛盾
知能の高い人は思春期の訪れが早い

これまでの大規模な追跡調査から、知能の高い人は、身体も健康で、長寿であることが繰り返し報告されてきました。
たとえば、イギリスやスコットランドで行われたコホート研究では、子どもの頃のIQが高い人ほど、成人後に病気になりにくく、死亡率も低いという傾向が統計的に確認されています。
しかし、知能と健康にどういう関係があるのでしょうか?
こうした知見を説明するために提唱されたのが、「システム・インテグリティ理論(System Integrity Theory)」です。
この理論では、健康や長寿の要因は、神経系・免疫系・代謝系など、体内のさまざまな生理的システムが、効率的かつ協調的に働いている(身体の整合性が高い)ためだと考えます。そして、そのような身体の整合性が高い個体では、脳の情報処理も効率よく行われるため、それが知能の高さとして表れると説明しています。
この考えに従うと、知能の高い人は身体的な成熟も早く、思春期の訪れも早いはずだと予測されます。さらに過去の一部の研究では、知能の高い男性ほど精液の質が高い(精子の数・運動性・形態など)という結果も報告されています。
つまり、進化論的に見れば、知能が高い人は、非常に生殖に有利な立場にあり、より早く、より多くの子孫を残すことができると考えられます。
しかし多くの国の統計データでは、高学歴で知的能力の高い人ほど、出産年齢が遅く、最終的な子どもの数も少ないという傾向が一貫して見られています。
これらの既存の大規模調査の報告には、生物学的に大きな矛盾を含んでいます。
そこでこの矛盾点に着目して新たに大規模調査の検証を行ったのが今回の研究です。
研究を行ったのは、シンガポールのジェームズ・クック大学と、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスによる共同チームです。
彼らは、イギリスの「National Child Development Study(1958年生まれの約1万7000人を追跡した調査)」と、アメリカの「Add Health Study(思春期から成人までの行動・健康を調査)」という2つの大規模コホートデータを使い、3万人以上を対象に知能・身体的成熟・生殖行動・出生数の関係を詳しく分析しました。
すると知能の高い人は、確かに思春期(初潮や声変り、体毛の発現など)を平均より早く迎える傾向が確認されました。これは、システム・インテグリティ理論の主張を裏づけています。
ところが、彼らの生殖行動はこの傾向と真逆の方向を示していました。性交、結婚、出産の時期はいずれも知能が高い人ほど遅れ、最終的な子どもの数も少ないという結果が示されたのです。
つまり今回の研究は、進化的には有利なはずの特徴(健康・高知能・早熟)が、現代社会においてはむしろ出産を遅らせ、子どもを持たない選択へとつながっているという、大きなパラドックスの構造を明らかにしたのです。
ではこの“早熟だが晩産”という矛盾はどう説明すればよいのでしょうか? 研究チームがたどり着いた答えは、社会的・心理的な「選択」が生殖行動に強く影響しているというものでした。
「生殖に有利なはずの個体が出産しない」人間社会が抱える矛盾
研究チームが注目したのは、知能の高い人がなぜ出産を後回しにし、最終的に子どもの数が少なくなるのかという点です。
ここで浮かび上がってくるのが、「キャリアと出産の時間的衝突」という現代特有の問題です。
知能の高い人は、しばしば医師や研究者、弁護士、公務員、大企業の管理職など、高度な専門性や長期的な訓練を必要とする職業に就いています。
そうした仕事では、20代〜30代前半までを教育や経験の蓄積に充てる必要があり、社会的に安定した立場を得る頃にはすでに30代半ば、あるいは40代に差し掛かっているケースも少なくありません。
このタイミングで出産・育児に踏み切るには、それまで築いてきたキャリアを一時的に中断するリスクを受け入れなければならなくなります。
とくに女性の場合、「出産適齢期」と「キャリア形成のピーク」が重なることが多く、判断はよりシビアです。産休・育休制度が存在していても、実際には長時間労働文化や「出産=離脱」という無言の圧力が残っている職場も少なくなく、「せっかく積み上げてきた努力が無駄になるのではないか」「評価が下がるのでは」といった不安がのしかかります。

男性にとっても事情は同じです。共働き世帯が当たり前となった現代では、家事や育児を担う時間が求められる一方で、昇進や評価の競争から降りるわけにはいかないというプレッシャーがあります。結果的に、「今はまだタイミングではない」という判断が繰り返され、機会を失っていくのです。
これは単なる個人の問題ではなく、社会が“キャリアと家族形成の両立”を許容していない構造そのものの問題です。
さらに、研究チームは心理的要因にも注目しています。知能が高い人ほど計画的で、将来のリスクに敏感である傾向があり、「完璧なタイミングで子どもを持ちたい」「育児に失敗したくない」といった思考が働きやすいと考えられます。
このように、身体的には早く親になれる能力があるにもかかわらず、社会的・心理的な圧力によってそのタイミングを遅らせざるを得ない──それが現代の人間社会が抱く大きな矛盾点なのです。
少子化は経済格差だけの問題ではない
今回の研究は、少子化問題が「お金がないから子どもを産めない」といった単純な構図だけでは説明できない、根深い問題であることを指摘しています。
むしろ知的で計画的に人生を歩んできた高学歴・高収入の人ほど出産をためらい、最終的に子どもを持たない選択をする可能性が高いという事実を明らかにしています。
これは、「誰かが悪い」わけではありません。進化的には生殖に有利な個体が、社会制度や労働文化、家族観の変化と衝突することで、逆に子孫を残しにくくしているという、現代ならではの構造的ジレンマです。
経済格差が出産における大きな障害になっていることは事実です。そのため経済的支援や育児制度の拡充はもちろん必要ですが、それだけでは少子化問題は解決できない可能性が高いのです。
キャリアと家庭を両立させることは困難だ、ということはすでに多くの人が実感している問題でしょう。
現代の社会システムでは、出産・育児が「人生のリスク」となってしまい、「人生を豊かにする選択肢」として受け入れられていません。ここには社会の意識変化を含む文化的な土壌づくりが必要になってくるでしょう。
「賢い人ほど子どもを持たない」という問題は、実は、現代社会がどれだけ個人の選択を許容できているのかを映し出す鏡なのかもしれません。
参考文献
More intelligent people hit puberty earlier but tend to reproduce later, study finds
More intelligent people hit puberty earlier but tend to reproduce later, study finds
https://www.psypost.org/more-intelligent-people-hit-puberty-earlier-but-tend-to-reproduce-later-study-finds/
元論文
Able But Unwilling: Intelligence is Associated with Earlier Puberty and Yet Slower Reproduction
https://doi.org/10.1007/s40750-025-00258-5
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部
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