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作家の色川武大は、阿佐田哲也のペンネームで数々の麻雀小説を世に送り出してきた。博徒経験をもとにした内容は真に迫っており、「雀聖」とも呼ばれた。一方、小島武夫は、日本プロ麻雀連盟初代会長・最高顧問を務めたプロ雀士で「ミスター麻雀」の異名を取った。歴史に残る雀士2人が、五木寛之氏に残した言葉とは。※本稿は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)の一部を抜粋・編集したものです。
阿佐田哲也との2人旅
麻雀をするため北海道へ
阿佐田哲也、というのは、作家、色川武大さんの仮りの名である。『麻雀放浪記』などを愛読する若者たちにとっては、神様みたいな名前だろう。「朝だ、徹夜だ」という呟きをもじったペンネームである。
私が阿佐田哲也さんと最初に出会ったのは、1966年の春ごろだったと思う。こちらは新人賞をもらってデビューしたばかりの駆け出し作家だった。
阿佐田さんは都会っ子で、大衆芸能の生き辞引きみたいな物知りである。一方、私は引揚者で九州から上京した田舎者だ。どう考えても話が合うはずはないのだが、なぜか細く長いつきあいが続いた。
いつの頃だったかは正確に憶えていない。阿佐田さんと北海道へ一緒に行ったことがある。そのころ北海道に住んでいたムツゴロウさん、こと畑正憲(編集部注/1935~2023年。作家・動物研究家・プロ雀士。当時、北海道で動物とふれあえる「ムツゴロウの動物王国」を運営していた)さんのところを訪ねたのだ。なんのためかといえば、麻雀をするためである。
阿佐田さんは神様だから別格だが、畑さんもただ者ではない。動物王国の王様であると同時に、麻雀のホトケさんみたいな存在だった。
なにがどうしたのか忘れてしまったが、その畑正憲さんと麻雀をやるために、私は阿佐田さんと2人で、飛行機に乗ったのだ。
阿佐田哲也が漏らした呟き
「普通の職業に就きたかった」
飛行場から長い時間、車に乗った。北海道の広々とした原野が続く。ぼんやりとそれを眺めていた阿佐田さんが、何か独り言のようにつぶやいた。
「え、なに?」
と、私がきくと、阿佐田さんは照れくさそうに、
「いや、なんでもない」
「なにか言ったでしょ」
「いや、いや、単なる独り言」
「ふーん」
しばらくして、阿佐田さんが言い訳めいた口調で言う。
「五木さんは、本当は何になりたかったの?」
「なにって、仕事とか、職業のこと?」
「うん」
「僕は体力もないし、大学も卒業していないし、やっぱり字を書いて暮していくしかなかったんだと思う」
「ふーん」
しばらく黙っていた阿佐田さんが、ぽつんと言った。
「ぼくは、単純に普通の職業につきたかったな」
「普通って?たとえば?」