
もし、あなたがどこで生まれたかによって、人生の長さが30年以上も変わってしまうとしたら、どう感じるだろう。そんな、まるでSFのような、しかし紛れもない現実を、国連のニュースサイト「UN News」が伝えている。
安全な水や住まい、質の高い教育、そして希望を持てる仕事。これらが「当たり前」ではない場所で生を受けた人々は、そうでない人々と比べて、人生という名の時計の針が、驚くほど速く進んでしまう可能性があるという。これは、単なる遠い国の話ではなく、私たち自身の価値観や社会のあり方を問い直す、重い警鐘なのかもしれない。
数字が刻む不条理
平均寿命「33年差」の衝撃
UN Newsが光を当てた世界保健機関(WHO)の最新報告書。そこには、衝撃的な数字が並ぶ。もっとも平均寿命が高い国の人々と、もっとも低い国の人々の間には、平均で33年もの差があるという事実。33年、それは、一人の人間がキャリアを築き、家族と愛を育み、あるいは世界を変えるアイデアを形にするには、あまりにも大きな時間だ。
この「命の格差」は、未来そのものである子どもたちには、さらに容赦なく牙を剥く。同報告書によれば、貧しい国で生まれた子どもが5歳の誕生日を無事に迎えられる可能性は、裕福な国の子どもに比べて13倍も低い。WHOの試算では、低・中所得国内の最貧困層と最富裕層の間の格差を是正し、公平な環境を整備するだけで、年間約200万人の幼い命が救える可能性があるとされている。その一つひとつの命に、無限の可能性がきらめいていたはずだ。
WHOのトップであるTedros Adhanom Ghebreyesus氏は、「私たちの世界は不平等な世界です。どこで生まれ、育ち、暮らし、働き、老いるかが、私たちの健康と幸福に大きく影響します」と、この構造的な問題を指摘する。健康が個人の努力や運だけで決まるのではない、という厳しい現実の表れと言えよう。
見過ごされてきた
「社会的処方箋」の不在
では、なぜこれほどの格差が生まれるのか。
WHOによると、健康は社会勾配に従い、人々が住む地域がより貧しく収入が低いほど、健康状態は悪化すると分析。つまり、所得格差、不安定な雇用、教育へのアクセスの不平等、そして根深い差別。これらが複雑に絡み合い、人々の心身を蝕んでいくということだ。たとえば、歴史的に不利な立場に置かれてきた先住民族の人々は、非先住民族と比べて平均寿命が短い傾向にあり、これは経済的に豊かな国々でも見られる共通の課題でもある。
母親と赤ちゃんの健康も、この不平等の例外ではない。
2000年から23年にかけて、世界の妊産婦死亡率は40%も減少した。しかし、「UN News」が伝えるように、その死亡のじつに94%が、依然として低・中所得国で発生している。UN Newsの過去の報道を遡れば、世界では平均して2分に1人の女性が、妊娠中または出産に関連して命を落としているという。これは毎日712人という、想像を絶する数。安全な出産が一部の地域の人々にとっては、いまだに“贅沢”であるという現実を、あなたはどう捉えるだろう。
「見えないコスト」と
「つながる世界」の交差点
今回のWHOの報告書は、08年に『健康の社会的決定要因に関する委員会』が最終報告を発表して以来、初めてのものだという。そして、そこで掲げられた2040年までの健康格差縮小目標の達成は、残念ながら困難との見通しも示された。「データが不足しているにもかかわらず、健康格差がしばしば拡大している証拠は十分にあり」という言葉は、問題の根深さを物語る。
この深刻な健康格差は、近年のパンデミックや頻発する自然災害、そして世界各地でやまない紛争といった「グローバルリスク」によって、さらに拍車がかかっている。サプライチェーンの混乱による物価高騰、気候変動が引き起こす食糧危機や新たな感染症の拡大。それらはすべて、国境を越えて影響を及ぼし、もっとも弱い立場の人々を直撃する。
もはや、「対岸の火事」では済まされない時代。私たちが日々享受する便利さや豊かさが、どこかで誰かの健康や機会を犠牲にしている可能性はないだろうか。そんな問いが、頭をよぎる。
たとえば、ファストファッションの裏側にある労働環境や環境負荷。あるいは、スマートフォンに使われる希少金属の採掘現場での人権問題……。これらの問題と、遠い国の健康格差は、一見無関係に見えても、その実グローバルな経済システムの中で複雑に結びついているのかもしれない。
未来への羅針盤
私たちが灯せる、小さな希望の光
WHOは、この危機的状況に対し、経済的不平等の是正、社会インフラへの投資、普遍的な公共サービスの実現、そして構造的な差別の撤廃といった「集団的な行動」を強く訴えている。国際社会や各国政府のリーダーシップが不可欠なのは言うまでもない。
では、地球市民の一人として、私たちは何ができるのだろう。
情報という名の羅針盤を手に、この世界の複雑な現実を知ろうとすること。そして、それを誰かと共有し、対話を始めること。それは、思考停止せずに問題と向き合うための第一歩だ。
重要なのは、この問題を「他人事」として片付けない想像力ではなかろうか。私たちが今、何気なく手にしている一杯のコーヒーが、どこかの国の誰かの健康や生活と無関係ではないかもしれない。そんなふうに、日常の中に潜む「つながり」に思いを馳せること。
生まれた場所によって人生の選択肢が狭められる社会ではなく、誰もが尊厳を持って健やかに生きられる未来。その実現に向けた、静かだが確かな変化のうねりを、私たち一人ひとりの小さな意識と行動から生み出せるはずだと信じたい。
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