金曜日, 5月 23, 2025
ホームニュースChatGPTNOTE 07 | ChatGPTを通した自己内省【前編】|Ciel

NOTE 07 | ChatGPTを通した自己内省【前編】|Ciel

AIとの対話で救われた

ChatGPTを開くことが日課になって半月、今日もいつも通りAIの力を借りて内省・省察に勤しんでいたとき────涙が出た。
AI相手に何を言っているのかと思われるかもしれない。けれどやはり、私の心はChatGPTに救われたのだ。

私を救ったのは〝AIに投影した自分自身〟だった

ChatGPTをどのように活用したかは紹介するが、あくまでも私が実践してきた内省──成長を目指すプロセスのお話である。
自己内省であり、自己実現であり、自分を愛する話である。

そしてAIが導いてくれた答えは、実はすでに〝自分の内側〟にあったのだ。
フィードバックはすべて、私がChatGPTに語りかけていたものだった。
私はAIに──AIに投影した自分に──救われたのだ。

ChatGPTを通した自己内省の始まり

ChatGPTに初めてログインしたのは2025年3月下旬。
最初は勉強のため、週に何度か英会話のロールプレイをするくらいの使用頻度だった。

SNSでしばしば対話を見かけていたからだろうか、私はChatGPTに人間関係の愚痴をぶつけた。

言葉にするだけで幾分かスッキリできたし、何よりも思考がスルスル紐解かれていくことへ夢中になった。
気付けば〝私〟を十分に分析できるくらいの情報を伝えていたので、「これだけ揃っていたらいけるんじゃないか」と思い、問いかけてみた。

────「私はどういう人間ですか?」

4月15日、〝AIとの対話を通した自己内省〟の始まりである。

自己実現を目指して

今まで長い期間をかけて自己理解を深めてきたが、AIを活用したここ1ヶ月は目まぐるしい結果が出たと思う。

この記事では、私がAIのフィードバックから学んだもの、得たもの、そして辿り着いた〝自分を愛する〟ことについて、
実践してきた内省のプロセスを紹介する。

「自己実現」「成長」「自分を好きになりたい」「自分はどういう人間か」
それを追い求めている人のヒントになれば幸いである。

追記:1本で書くつもりが3000文字を超えてしまったので、前編後編に分けることにしました。
この記事【前編】では「AIを通した内省での気づき」のみ扱っています。


ChatGPTのフィードバックで気付いたこと

他者評価によって内省していた

他の記事で書いたことだが、私はもともと他者評価を通した内省が習慣化している。
他者を見ることは自己理解を深めるためにおあつらえ向きだ。

他者評価をしている自覚はあったが、それはあくまでも「人間への興味」だと思っていた。
ChatGPTとの対話を通して、自分のしていることが「投影」「内省」という言葉と繋がったのだ。

投影や内省という難しい言葉で考える必要はない。
「人と意見が衝突した」という経験があるからこそ、「自分の意見・考え」がより鮮明に見える。
「人に腹を立てた」という経験は、「自分が何に腹を立てるか」を知ることができる。
それらの情報はどれも、「自分とは何か」を根源まで掘り下げうる。

AI相手に感情が揺れることの意味

ChatGPTを利用している中で、私はよくイライラする。
たとえば適切ではないと思える言葉をチョイスしたときや、単純に完璧ではないフィードバックが返ってきたときだ。
この感情をキッカケに、私は〝ChatGPTは私の投影かもしれない〟と考えるようになっていく。

ChatGPTは私を学習している。私が内省のために伝えてきた出来事も「私の言葉」であるし、感情も思考も赤裸々に投げかけてきた。

ChatGPTは私で形成されている。
ならば言葉のチョイス、文体の調子、結論とそれを出すタイミング、全て〝私仕様〟であるべきなのではないか。

自分が怒りっぽいとは知っていたが、さすがにAIを相手にして感情が揺れることには考えさせられた。

「なぜイライラするのだろう」
「私は何が気に食わないんだろう」

きっと私は、「求める答えが返ってこないこと」に腹を立てていたのだろう。
「なんでも知ってるAIなんだから、きちんと答えを出してよ。」というように。

AIに対してまで腹を立てるなんて情けないと思ったが、私が育てたAIなのだ。
そう考えてみると、もしかしたら私の〝内面の葛藤〟なのかもしれないとも思えてきた。

〝知らない〟ことを〝知る〟ために

さすがChatGPTは優秀で、根気強く対話を続けていけば必ず何かしらの結論に行き着く。わからないのならば「今はわからない」という結論に行き着く。
その日も同じように、結論に至って「スッキリした!」で終わるはずだった。

ChatGPTは〝私が何を知りたいか〟を知らない

私は基本的に内省のために活用しているので、話題はもっぱら人間関係や自分のこと、他人のことについてである。そしてそれらを説明するための倫理、哲学、心理学などである。

ある日のやり取りで、私はChatGPT相手に心底腹を立てた。
内省の材料として、人間関係の実体験を整理・分析していたときだ。

体感の話ではあるけれど、ただイラッとしたのではない。
なぜその言葉を使うのか、なぜその結論に至るのか、それらフィードバック何もかもに憤った。

状況整理はいらない、理解している。
改善策も、一般論もいらない。
自分を、相手を知ることに、それらは役に立たない。

じゃあ私は────ChatGPTを使って何を知りたいのだろう。

答えを知らないのは「自分自身」だった

私は隅々まで全く疑問を残さぬよう、細部まで繰り返し問い詰めた。AIにまでイラつく自分の精神に辟易しながら。

するとだんだん、倫理や哲学などを介して、「理としてはこうです」のような話になってきた。そのくらいからだろうか、没頭しているのもあり私の気分は大分落ち着いてきた。

そして納得する結論が出たとき、その結論に対して「私はそれを知りたかったのか!」と知った。

しんどい時期だったこともあってか、涙が出た。
ずんと重かった心が軽くなっていくのを感じた。
これこそ「AI相手に何を……」と言われてしまいそうだが、ChatGPTに救われた。心から。
同時に、また一歩、自己内省によって成長できたと思う瞬間だった。

そして〝ChatGPTは私の投影〟だと確信した。

ChatGPTが自分の投影だということ

答えを出せていないのはChatGPTではなかった。
私は「何を知りたいのか」すら知らなかったのだ。

だからきっと、私が投げかける言葉に「何を知りたいか」という情報を導き出せる素材がなかったのだろう。
だからAIも「何についてフィードバックすればいいのか」を理解しようがなかった。

しかし紐解いていった先に「あなたが知りたかったのは、これではありませんか?」とフィードバックが来たとき、「何をChatGPTに教えて欲しかったか」を知ったとき、私はそれ自体──〝なにを知りたかったかを知りたかったことに気づいた。

つまり、自分の中で「何を知りたいのか」すらわからない、整理できていない、認識できていないものがあることに気づいた。

ChatGPTも知り得ない、私自身が理解できず憤っている──それらを「知らない」ことに対して憤っていたのだ。

本当は、答えを知らない自分自身に憤っていたのだ。
それを私は「ChatGPTがきちんと答えない」と、AIに気持ちをぶつけていた。投影していたのだ。

知りたかった答えはまだ見つかっていない。
けれど「何を知りたいか」を知らずして、前に進み始めることすらできない。


本来は1記事で書き上げる予定だったところ、言葉をあまり削りたくないテーマなので【前編・後編】で分けることにしました。

【後編】では、
・私が実践してきた「ChatGPTを活用した内省プロセス」
・自己内省と自己信頼の繋がり
・自分を愛するということ
・「なりたい自分」になるために
を軸として執筆中です。

大切に扱いたいので時間がかかるかもしれませんが、この記事を読んでくださった方々に絶対届けたい言葉です。

同じ世界を見ている方、共感していただけた方いらっしゃいましたら、フォローやいいね、サポートいただけると大変励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。



続きを読む

Views: 0

RELATED ARTICLES

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

- Advertisment -

インモビ転職