土曜日, 5月 24, 2025
ホームマーケティング“No.2”が落ち着く僕が、DeNA子会社マーケ責任者を辞めて突然起業した話宮本 昌尚@スタートアップのための戦略マーケターTEAM

“No.2”が落ち着く僕が、DeNA子会社マーケ責任者を辞めて突然起業した話宮本 昌尚@スタートアップのための戦略マーケターTEAM

🧠 概要:

記事の概要

宮本昌尚氏が、DeNAの子会社でマーケティング責任者を務めた後に起業を決意した経緯についてのエッセイ。彼は大学時代にビジネスへの興味を持つようになったが、様々な困難を経て、最終的には自分の理想とするマーケティング支援の在り方を追求するために起業することを決めた。起業には憧れがある一方で、自らの性格や位置づけから「No.2」としての役割が最適だと感じており、この観点から自身のキャリアを見つめ直している。

要約の箇条書き

  • 宮本氏は、DeNA子会社のマーケティング責任者を辞めて起業。
  • 大学でビジネスに興味を持ち、一時は起業への憧れを抱く。
  • 留年を経験し、人生の暗黒期を経てコーチングによって自己を再発見。
  • アクセンチュアでコンサルティングスキルを習得し、のちにソーシャルメディアマーケティング企業に転職。
  • No.2のポジションでアイディア実現に情熱を持ち、DeNAでのマーケティング経験を積む。
  • 副業を始め、スタートアップとの関わりを通して道筋を見つけた。
  • スタートアップではマーケティングの幅広いニーズを理解し、「外付け・マーケティング・プレイングマネージャー」というビジネスモデルを確立。
  • 起業は「やりたいことを実現する手段」として認識している。
  • チームでの成功を喜び、マーケティングを極めることが最終目標。

“No.2”が落ち着く僕が、DeNA子会社マーケ責任者を辞めて突然起業した話宮本 昌尚@スタートアップのための戦略マーケターTEAM

こんにちは。スタートアップを中心に戦略から実行までマーケティングを支援する、株式会社エールコネクト代表の宮本です。

2025年5月、2期目を無事に終えることができそうです。起業する前は不安でいっぱいだったけど、なんとかなってるなぁ。(いや本当に、お世話になっている皆さんのおかげです)

みなさんは「会社員か、独立か」という二択、考えたことってありませんか?

僕自身、大学時代の頃は「Jカーブで事業を成長させるような起業家ってカッコイイな」と、ある種の憧れを持っていました。でも徐々に、

「会社員でも、やりたい仕事はできる」「リーダーよりもNo.2の参謀ポジションがしっくりくる」

「上に立ちたいわけでもないし、起業って性格的に違うかなぁ」

と思うようになってました。

でも、そんな僕が、気がついたら起業していた

「宮本さんって、独立したいタイプだったっけ?」

DeNAを卒業したとき、こんな言葉をたくさんもらいました。僕も起業家っぽい性格ではないと思ってました。

では、起業家っぽくない僕が、なぜ独立を選んだのか。

起業って一体なんなのか。

そんなキャリアの話が「起業か、会社員か」という問いの中で揺れている誰かへのヒントになればいいなと思い、自分自身が会社員と起業の間で揺れ動いた半生を振り返ってみました。

▲ 起業後にオフィス(3社合同)ができた時に撮った写真

起業に惹かれるも留年、人生最大のどん底へ

僕はうどん県(香川県)で育ちました。

「良い大学に行って、良い企業に就職するのが良い人生につながる」

そんな昔ながらの価値観が当たり前のようにあり、それを自然に受け入れて高校受験や大学受験に打ち込む、そんなごくありふれた学生でした。

性格も割と穏やかな方で、見た目も今と同様「堅実そう」という印象だったと思います。そんな僕が「起業」というものに興味を持ったのは、大学時代。

大阪大学で、僕は勉強ではなくAIESEC(アイセック)という海外インターンサークルに没頭したのです。

海外インターンを斡旋するために会社に営業をかけたり、学内のインターン参加希望者を集めるためにチラシでのマーケティングを考えたり。学生なのに社会人のような活動をする中で、

「ビジネスって面白い、こういう世界で生きていきたい」

という起業への漠然とした憧れを抱くようになっていました。

「起業するか?就職すべきか?」そんなことを一番強く意識していたのはこの頃だったと思います。

▲アントレプレナーシップと産学連携を調べにシリコンバレーに行った時の写真

……が、その二択に集中できるほど、人生は甘いものではありませんでした。

どういうことか。

留年してしまったからです。(しかも2年も……)

実は、僕が入学したのは工学部の「船舶海洋学科」でした。そこは、船などを作るエンジニアになるための学問を学ぶところ。サークル活動でビジネスの世界に興味があることに気づいてしまった僕にとって、学科での学びは興味の持てるものではなく、授業も難解。

現実から目を背けてサークル活動に没頭し続けた結果……

単位の半分が残ったまま大学での4回目の春を迎えることになってしまったのです。

ここからはもう起業や就職どころではありません。完全な人生の暗黒期でした。

授業を受けなければ卒業できないのに、内容が理解できない。同じ授業にいるのは下級生だった人達ばかり。友達もいない。

進学した友達に出くわさないよう、隠れるようにランチ場所を探す日々。

劣等感の塊になり、大学になんて行きたくない。

でも、行かなければ卒業はできない。

気がつけば、朝ベッドから出ることすらできなくなるところまで追い込まれていました。

▲大学時代の写真(サークルのプロモーションチラシ用の素材として撮ったものですが……)

そんな八方塞がりの状況を打開してくれたのは、コーチングでした。

僕自身がどんな人間でどんな時に力を発揮できるのか、それを引き出して毎日の行動をサポートしてくれたおかげで、モーニングコール娘とも出会い(モーニング娘が全盛の当時。アイドルの卵みたいな人が朝に電話をしてくれるサービスがありました)、少しずつ悪循環を断ち切ることで、なんとか2留で踏みとどまり、卒業。

社会人になっても、ずっと留年の夢を見るぐらいの暗黒期をやっと抜け出すことができました

自分に合うのは”No.2”?マーケティングの世界へ

人生最大の苦境でのコーチングでわかったのは、
僕は

「自分の考えたアイディアを形にできること」
「それをチームでできること」
「そしてそれが評価されること」

という3つの要素が揃ったときに最大の力を発揮できる人間だということでした。

しかし、起業への興味はあったものの、大学在学時点で「コレだ」というアイディアを持っていたわけではなかったので、もしも独立しても通用するスキルとキャリアを得ようと外資系コンサルティングファーム「アクセンチュア」へ就職しました。

▲アクセンチュアの研修でマレーシアに行った時の写真

省庁が絡むような大型案件を手がけることでコンサルティングスキルを習得できたのですが、仕事に励む中で、会社員として働いても自分のアイディアは形にできることに気づきました

僕はもともと「上の立場に立ちたい」「競争に勝ちたい」という欲求自体が強くありません。だから、「自分のアイディアをチームで形にできて成果が出せるなら、別に起業する必要はないな」と思うようになっていたのです。

そんなある日、僕の脳に電流が流れるような瞬間ーー「ソーシャルメディアマーケティング」との出会いが訪れます。

2010年のはじめはまだ日本版Facebookも黎明期。大学在学時にSNSのようなものをプログラミングで作っていた僕は、

「今後、ソーシャルメディアで消費者と企業の関係性は大きく変わる。コレがやりたい。」
と一気に惹きつけられたのです。

当時、ソーシャルメディアマーケティングのコンサルティングをしている会社は日本に一社だけ。

「なら、この会社に入ってやればいい!」

そう考えた僕は、問い合わせページにアクセスして即座に求職メッセージを送りつけていました。

メンバー15名ほどのベンチャー企業への転職で、しかも、ソーシャルメディアのコンサル部は自分を入れて2名の部署。試用期間が明けると、コンサル部の部長としてこの領域では社長のNo.2的なポジションになりました。

ソーシャルメディアマーケティングの戦略策定、オウンドメディアのソーシャル化支援にリスク対策、国内外のFacebookページ構築運用支援、多岐にわたるマーケティング業務が面白くてたまりませんでした。

▲共著で書いた本にみんなでサインしたり▲書籍出版の時に、かっこいい写真を撮ろうと写真館に行って撮影 したり

正直、このあたりで「起業する」という選択肢が僕の中でなくなっていきます。

それは、実際に目の当たりにした「社長」の仕事が性格的に自分に合わなさそうだったから(ビジョンを掲げ、会社全体を引っ張っていくことがどれだけ大変なことか……)。そして、マーケティングの奥深さに夢中になったからです。

「自分にとってはNo.2のポジションでアイディアを具現化していくのがベストかもしれない。この立ち位置で、もっとマーケティングを極めていきたい」

そう感じるようになった僕は、4年後にはコミュニティマーケティングという新領域の可能性を試すことのできる事業会社を求め、DeNAに転職しました。

▲トライバルメディアハウス卒業の時に社長と撮った写真▲卒業式では……▲ケーキをぶつけていただきました

そして、縁あってDeNA内の新規事業だった個人間カーシェアサービスの『エニカ」に参画することになります。

シェアリングエコノミーが普及する以前「他人に自分の車を貸す人なんているの?」と言われていた時代です。だからこそ、サービスを広げていくには生のユーザーの声を集めて「個人間カーシェアって面白そう」と気づいてもらうことが不可欠だったため、

「コミュニティマーケティングの可能性を試すにはうってつけだ」

と、僕は意気込みました。

▲事例が取材された時の写真 ( https://seleck.cc/1265 )▲イベントでエニカのコミュニティマーケティング事例を講演

僕はエニカ事業を行うDeNAのジョイントベンチャーでマーケティング部の部長(責任者)を担うことになったので、場合によっては「もっと上を目指す」という選択肢もあったのだと思います。

でも、僕にとっては社長になるよりも「マーケティングの可能性を追求すること」がやりたいことでした。ただ、マーケティングの世界で新たなアイディアを試し、チームで成果を挙げ続けていきたかった。

上司との1on1、仲間とのキャリアトーク、そういうところでも「起業」や「出世」といったことを全く口にせず、マーケティングのことばかり考えている。

ただ目の前の仕事に没頭していました。

会社員のキャリアのゆらぎ、副業が固定観念を壊す

しかし、エニカとコミュニティマーケティングという先端領域で成果を挙げて一段落したとき、急に僕の胸に、

「僕はマーケティングを極め続けたい。だけど、今後事業会社で割り当てられた事業に打ち込み続けられるのだろうか」

という不安が去来してきました。

マーケティングを成功させて事業成長を遂げさせたいなら、時にマーケターは全体最適を考えてマーケティング領域に囚われない行動(カーシェア事業で言えば、国土交通省との直接交渉など)をとらなければいけないということを、僕は事業会社に来たことで学びました。

しかし、大きな事業会社の会社員であれば、会社の意向で配属となる事業は変わります。そのとき、マーケ領域を超えて行動できるほど、僕はその事業に情熱を傾けられるか、そこに自信が持てなかったのです。

そんなとき、僕に大きな刺激を与えてくれたのが、当時副業で関わり始めたスタートアップ『フィシュル!』 (https://fishlle.com/ )
でした。

日本の持続可能な水産業を目指して「未利用魚」を使ってお魚ごはんをサブスクで届けるという事業の面白さ、想いに心打たれて自らメールで協力を志願したのですが、一緒に働いてみて驚きました。

フィシュル!メンバーにとって、サービスに思いを持って関わってくれるメンバーは、みんな同じチーム。「社員だ」「外注だ」と分けるような意識がなかったのです。

これは日本サブスクリプションビジネス大賞受賞式の写真です。

社員ではない僕が、こんなふうに晴れの日の舞台にもメンバーとして壇上に上げてもらえているんです。(今でも関わっていますが、僕の人生を変えてくれたプロジェクトで本当に感謝しかありません)

こうした経験が「外注は案件外のことはしない。だから、いかにスコープコントロールするかが大事だ」というアクセンチュア時代に教えてもらった固定観念を解きほぐし、

「外注であってもその会社のメンバーなんだ。そのサービスの成長のために、スコープやマーケの範囲にこだわらず、できることをどんどんしてもいいんだ」
「事業会社の外にいても、深く事業に関わることができる」

という新たな感覚を僕に与えてくれました。

僕が起業した理由

▲フィシュル!の会社が海鮮丼屋さんをオープンしたときの記念写真。お花を贈りました

副業でスタートアップの現場をいくつか回るうちに、「マーケ担当者がいたとしても一人」という小規模な組織特有の課題があることに気づきました。

それは、どうしてもマーケティング担当者の得意不得意で施策に偏りが出てしまい、その会社にとって本当に必要な施策が打てないということでした

マーケティングの分野は広告、LP、SNS、SEO、コミュニティなどとても幅広く、しかもそれぞれの知見はどんどんアップデートされていきます。

だからこそ、マーケターも一部の分野に特化していく傾向があり、全体を見渡すような知識はつきにくいのです。

DeNAで初めてマーケティング責任者になった時、ゲームやライフスタイルなど様々な事業部の先輩マーケターに相談ができて、コンサルにも入ってもらえたことで、幅広い知見を得ることができました。

しかし、スタートアップや中小企業はそんなアプローチが取れません。

では、どうすればいいのか。

そこで生まれたのが「メンバーのようにマーケティングの全体から考えて、実行に関わることで、その会社に不足しているマーケティング領域や知見を補う」というアイディアです。これは複数社に関わることで実現できます。

これならば、そのマーケターが関わる会社すべてに最新のマーケティング施策を提供できるし、フィシュル!のように、メンバー同様に関わらせてもらうことができれば、マーケの範囲に留まらない業務の遂行も提案できるのではないかと。

「これなら、僕自身も自分が心から夢中になれる事業だけに関わり続け、マーケティングを極めていくことができる」

そうワクワクして、このスタイルで事業を行っているマーケ支援会社を探し始めました。

でも、SNSマーケの時とは違い、僕のやりたいことにピッタリの会社はどこにもありませんでした。

正直、それまで消えていた「起業」という選択肢が急に目の前に現れて戸惑いました。
でも、自分が見つけたベストな形を実現するためには、これしかない。

「だったら、自分でやるしかないか」

不安ながらも、これしかないと選び取った。そういう決断でした。

起業は、自分のやりたいことを実現する一つの手段

ここまで書いてみて、やっぱり僕は起業家的性格ではないと改めて思います。

それは、「起業が好き」なわけでも「独立する」ということに意欲があるわけでもないからです。

僕はエールコネクトを起業しましたが、それも自分が「やってみたい」「形にしたい」と思ったアイディアを会社にしている人が、他に誰もいなかったから、結果的に「起業」になっただけ。

僕はマーケティングが大好きで、新しいことに果敢に取り組む企業、魂を込めて仕事をしている人と仕事がしたくて、

チームの一員として、事業を伸ばすためにできることを何でもしたい。

だから、僕は「外付け・マーケティング・プレイングマネージャー」という一風変わったサービスを始めました。

周りの人には意外がられたし僕自身も意外だったけど、実は全然肩肘張っている感じもなく、すごく自然体でいられています。

会社員としてSNSマーケ会社やDeNAに転職した時と、実は質的な差はないのかもしれません。起業という手段で僕が一番得たいものも、やっぱりこれまでと差はありません。

僕にとって最高に幸せな時間は、チームで目標達成後にあげる「お疲れ様、カンパイ!」という祝杯なのです。お酒をそんなに飲めるわけじゃないけど、チームで頑張った思い出を語り合える関係は、最高です。

エールコネクト自体の事業のグロースよりも(もちろん大事ですが)、大切だと思うサービスに打ち込んで成果を出し、一緒に祝杯をあげる幸せな瞬間を味わいたい。

こんな起業もありなんじゃないかなと、僕は思っていますが、どう思いますか?

「一緒に祝杯あげたい」「そんな支援を求めてた」「マーケの話、もっと詳しく聞きたい」、少しでも興味を持ってくれた方、ぜひお声がけください。

▲会社のMVVのパネルをプレゼントしてもらった時の写真

僕の会社に興味を持ってもらえたら、こちらぜひご覧ください!

X(旧:Twitter)もやってます!
https://x.com/mMasanao

盟友と一緒にやってるPodcastも120回以上、毎週配信しています

P.S. 自分のことを自分で整理するのは難しいので、プロの方にも編集協力いただきました。

編集協力:北原 泰幸、榮田 佳織

宮本 昌尚@スタートアップのための戦略マーケターTEAM

スタートアップの思いが伝わるマーケティングを実現する株式会社エールコネクトの代表▶️日本政府観光局(JNTO) デジタルマーケアドバイザー▶️ #マーケターの真夜中ラジオ 運営▶️遍歴:アクセンチュア→トライバルメディアハウス→DeNA→独立!!コミュニティとマーケが専門



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