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概要
鈴木美慧(MISAwMISA)は、生成AIによって作られたアートの美しさとその無機質さについて考察しています。AIによるデザインがよく見られる現代において、人が手を加えたアートの重要性や価値を再認識し、機械では表現できない「物語の温度や温もり」についても触れています。
要約の箇条書き
- 最近、生成AIによるイラストやアイコンが増加している。
- それらの作品は高いクオリティで、美しさを持っているが、全体的に似た印象を与える。
- ジブリ的な魅力はビジュアルだけでなく、キャラクターの感情や物語の深みにもあると指摘。
- AI生成のアートには無機質さが感じられる。
- 宮崎駿の言葉を引用し、AIアートに対する倫理や感覚の重要性を強調。
- アートは「うまい」や「きれい」だけではない、「ゆらぎ」がその人特有の魅力を生む。
- AI表現の可能性を認めつつも、人の手で描かれた作品の魅力を再認識したいと願う。
- 誰かの生活や思いが反映された絵と出会い続けたいと述べている。
最近、SNSやウェブ上で目にするイラストやアイコンの多くが、生成AIによって作られたものだと気づくことが増えてきました。どれも完成度が高く、美しく、色合いも構図も洗練されています。まるでアニメ映画のワンシーンのようで、初めて見たときはそのクオリティに驚かされました。
特に多く見かけるのが、「ジブリ風」や「日本のアニメっぽい」絵柄です。
けれど、そうした絵を見続けているうちに、少しずつ違和感のようなものが積もっていきました。たしかにきれいなのに、どれもどこか似ていて、「この絵、前にも見たような……?」という既視感が離れません。
思い返せば、あのジブリ的な表現の魅力は、単なるビジュアルだけではなかったように思います。キャラクターの息づかい、背景に流れる時間や空気、登場人物のまなざしや沈黙。そういった“物語の温度”があって初めて、あの色合いや構図に命が宿っていたのだと思います。
今のAIが生み出すイラストの似たような絵が並ぶと、かえって無機質に見えてしまうのかもしれません。
このことを考えるとき、ふと思い出すのが、宮崎駿さんのある発言です。過去にAIで自動生成されたアニメーションの映像を見た際、「生命に対する侮辱だ」と語ったことがありました。あの言葉には、技術への単なる反発ではなく、人間が時間をかけて培ってきた感覚や倫理に対する“敬意”がなければ表現にならない、という思いが込められていたのだと思います。
アートは、「うまい」や「きれい」だけでは語りきれないものです。むしろ、線のゆがみ、塗りムラ、アシンメトリーな構図……そういった”ゆらぎ”のなかにこそ、その人にしか出せない“らしさ”があって、むしろ肉感的ですらあるのではないかと思い改めるのです。
もちろん、私はAIによる表現を否定したいわけではありません。便利さも可能性も十分に感じていますし、AIが新しい視点を与えてくれる場面もあります。ただ、だからこそ今、あえてデジタルであれ、アナログであれ「人の手で描かれたもの」の魅力をもう一度感じたいと思ってしまうのです。
誰かの生活や思いがにじむような絵に、これからも出会っていたいと願っています。
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