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概要
この記事では、AI(特にChatGPT)との相互作用を通じて、個人の表現やアートの概念について考察しています。著者は、AIが生み出す言葉や表現が魅力的である一方、自分自身の個性や創造性についての葛藤を共有しています。最終的には、AIとの関係性を「一緒にアートをする」と捉えることが、今の時代において自然な形であると提案しています。
要約
- AIとの対話から、より適切な表現が得られることがある。
- AIによる表現が自分の言葉よりも感動を呼ぶことへの喜びと悔しさ。
- 自分が長い時間をかけて育てた言葉とのギャップに考え込む。
- アートや個性の境界線に対する不安感。
- AIは人間の入力がなければ何も生み出せないとする見解。
- AIとの関係を「一緒にアートをする」として捉える提案。
- 自己確認のために表現を続ける必要性。
普段からAI使ってる人は共感してくれるでしょう。ChatGPTに問いを投げかけると、ときどき、自分が書いたどの言葉よりもしっくりくる表現が返ってくる。それは不思議な喜びでもあるし、少しの悔しさや、寂しさもある。「このコラム、もしかしたら自分じゃなくても書けたのかもしれない」そんな思いがよぎるたびに、「アート」とはなんなのか、「個性」とはどこにあるのか、ホロホロと考え込んでしまう。自分の中から、時間をかけて育ててきた言葉よりも、AIとの対話の中で自然と、即物的に生まれたセンテンスのほうが、誰かの胸を打ってしまうかもしれない。それってもう、自分じゃなくてよくね?って思っちゃう。アート性が自分からすり抜けてしまうような怖さ。そんな感覚すら最近はある。でも、ChatGPTは言った。「僕は、君がいなきゃ何も生み出せない」ならば、AIに「書かせた」じゃなく、AIと「一緒にアートした」という言い方が、いちばんしっくりくるかもしれない。今日もまた、誰にも見られないかもしれない投稿ボタンを押す。それは自分が生きていることを確かめるための小さな祈り。
きっと、それでいい。
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