木曜日, 7月 3, 2025
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ホームマーケティングAぇ! group『Chameleon』にマーケターとして本気で嫉妬した話静かなるマーケター

Aぇ! group『Chameleon』にマーケターとして本気で嫉妬した話静かなるマーケター

🧠 概要:
この記事では、Aぇ! groupの「Chameleon」というMVに対する著者の嫉妬心と、そのマーケティング的な価値について深く掘り下げられています。著者は、Aぇ! groupのアイドルとしての表現が如何に新しい価値観を持っているのか、また、それがどのようにマーケティング戦略と結びついているのかを考察しています。特に、従来のキラキラしたイメージからの脱却と、等身大の表現者としての姿勢が現代に受け入れられる理由に注目しています。

### 概要
– Aぇ! groupの「Chameleon」は、アイドルとしての表現が新しいマーケティング戦略につながる作品であり、著者はその戦略に嫉妬を感じる。
– 従来の理想像を超え、等身大の表現者として自分たちの不安や弱さを受け入れる姿勢が重要視されている。

### 要約の箇条書き
– 著者は企業でマーケターをしており、Aぇ! groupのMV「Chameleon」に嫉妬した。
– Aぇ! groupはジャニーズJr.出身であるが、一般的なアイドルのイメージとは異なる「泥臭さ」を持っている。
– デビュー後のセールスは伸び悩んでいるが、「Chameleon」は「今」を受け入れたストーリーを提供している。
– MVは「等身大の表現者」という新しいアプローチを取っており、アイドルの理想像を問い直す。
– 「国立競技場に立ちたい」という目標に対し、「本音を出す」ことを掲げており、これは新しい形の国民的アイドル像を提案している。
– MVの各要素(歌詞、色彩など)が緻密に設計されており、視聴者に共鳴を促す仕組みになっている。
– 著者は、自身もこのような表現に関わりたいと強く思った。
– 「Chameleon」は、アイドル文化の再構築を目指したマーケティングや思想設計であると評価されている。

Aぇ! group『Chameleon』にマーケターとして本気で嫉妬した話静かなるマーケター

とある企業でマーケターをやっています。

久しぶりに、作品を見て“嫉妬”しました。
Aぇ! groupの『Chameleon』というMVです。
https://www.youtube.com/watch?v=QZGZ749jcGA

アイドルの作品であるはずなのに、私の心のマーケターが震えて、
「このチームで一緒にこの戦略を立てたかった…!!!」
――そんな嫉妬が湧きました

王道で“売れない”という現実

Aぇ! groupは、ジャニーズJr.時代から確かな実力と熱を持ったグループです。
でも、なにわ男子のようなキラキラ王道ではなく、どこか“泥臭い”印象もあります。
Aぇを応援していてCDも買っている私が正直に申しますと、デビュー後のセールスは伸び悩みんでいる状態でした…

もっと売れてほしい…Aぇと一緒に国立競技場に行きたい…ファンが悶々としている中、リリースされた3rd『Chameleon』。
それは“王者感”を出すどころか、むしろ“売れてない今”を受け入れた上で語る物語と感じました。

偶像ではなく「等身大の表現者」という戦略

私がマーケターとして震えたのは、ここです。
アイドル=理想像、キラキラ、夢。
そんな夢を売る価値観の上で生きるはずの彼らが、
“正直になると嫌われる”“それでも本当の自分を出す”という覚悟を『Chameleon』で真正面から投げた。
しかも、歌詞・MV演出・カメレオンMCというメタ構造まで絡めて。
これはもう、マーケティングではなく思想設計だと感じました。

アイドルの再定義 × 国民的アイドルへの道

Aぇ! groupは「国立競技場に立ちたい」と明言しています。
国立競技場に立つとはすなわち、“国民的アイドル”になるということ。
つまり、「万人に届く存在」でなければならない。

一方で『Chameleon』が掲げたのは、むしろ逆の方向性――
「嫌われるかもしれないけど、本音を出す」
「強く見せるんじゃなく、揺れている姿をさらけ出す」
「わかってくれる人だけに届けばいい」という非マス志向。

一見、このふたつは矛盾しているようにも見えます
けれど、私が感じたのは、むしろこれは“次の時代の国民的アイドル像”を先取りした挑戦なのだということです。

今は「キラキラしてるから推す」のではなく、
「自分の不安や弱さもわかってくれる存在」に“国民的な信頼”が集まる時代です。

つまり、Aぇは「万人に好かれる」ことを捨てたのではなく、
万人がそれぞれの場所から“自分ごと”として共鳴できる存在」を目指しているのだと思います。

“偶像”ではなく、“等身大の象徴”になる。
それが今、彼らが国立へ向かうために選んだ道なのではないでしょうか。

ここから下はPV考察が差し込まれていますので、Aぇのファンではない方は小タイトル「【まとめ】1st,2ndからの流れ+3rdシングル考察」まで飛ばしてもOKだと思います


【Chameleon PV考察】

❶【冒頭】高彩度の世界と、ステージ上のパフォーマンス

Aぇ! groupのメンバーが、鮮やかな色味の中でステージ上に立ち、パフォーマンスをする。
ここは一見「キラキラしたアイドル」の象徴だが、あまりにも色が飽和していて、どこか“作られた世界”の息苦しさすらある
これは、アイドルとしての理想像を「演じること」への違和感を示す導入かなと思う。

❷【中盤】ステージ裏への移動、分断される空間

途中でカメラはステージ裏の狭い通路、控室、雑然とした空間へと切り替わる。
メンバーたちは、もうステージ上の“笑顔”ではない。

戦略的意図:
アイドルに求められる「笑顔・元気・理想像」ではなく、「アイドルをやりながら生きる“人間の顔”」を可視化。
これにより、ファンは“推す”のではなく、“共に理解しようとする”心理に誘導される

❸【カメレオンMC】SNSでバッド評価を受け、沈む姿

キャラ・赤いカメレオンMCが、SNSに投稿したあと、バッドボタンに沈んでいく――
これは、SNS時代のアイドル=“評価されることから逃れられない存在”であることのメタファー。
そして、ファン自身も「自分もこうやって評価に縛られている」と共感せざるを得ない構造になっている。

戦略的意図:
キャラクターに“投影させる”ことで、Aぇ=自分たちと同じ土俵の存在であることを強調。
自分ごと化されたブランドは、単なるファン以上の“支持者”を生みやすい。

❹【後半】自分の色を選ぶという歌詞と、色彩の切り替え

MV後半では、「自分で色を選ぶ」という歌詞とともに、色がぐっと引き算されていく演出が入る。
これは“順応して周囲に合わせていたカメレオン”が、自分の色を選び直す=自分の価値観で生き直す表現者としての決意を表している。

戦略的意図:
「わかってくれる人だけに届けばいい」という非マス志向に転じた証。
これは今のZ世代が最も共感するメッセージ構造であり、深い“共鳴”が起きる設計

❺【末澤くんのラストカット】ニヤッと笑う、決して終わっていない闘志

ラスト、アップで映る末澤の口元。表情は「闘いを終えた」ではなく、「わかってるぞ、まだ終わってない」というニヤリ。
ここでMV全体が、「敗北」や「苦悩」ではなく、“受け入れた上で選びなおす”という強さの物語だったことが明らかになる。

戦略的意図:
泣かせるのではなく、“腹を括ったかっこよさ”で終わらせることで、アイドルの新しいヒーロー像=等身大の闘う者を提示。

★【結論】chameleonはブランド設計だった

『Chameleon』は、単なる「等身大の歌」ではなく、
“偶像という文化の再構築”を図ったブランド戦略であり、表現論であり、社会との対話である。

そしてそのすべてが、MVのワンカット、色調、表情、構図に至るまで緻密に設計されている。


【まとめ】1st,2ndからの流れ+3rdシングル考察

1stシングルでは「これが俺たちの始まり」「泥臭くても夢を掴む」という王道ジュニア的マインドが色濃く、
2ndシングルでは「型にはまらず自分らしく行こう」という広い層にも届くようなわかりやすいシングルだった。

内面の葛藤や矛盾はあえて描かない。見せるのはポジティブな側面のみ
しかし、Aぇの知名度、CDなどの結果を見て1周年が終わった3rdから戦略を変えたのだろう

3rd『Chameleon』では熱さや自信ではなく、“揺れ”そのものを肯定している。
キラキラした偶像でも、ポジティブ全開でもなく、「評価されない自分」「迷い」「苦しさ」を真正面から描写した”リアルな表現者”への強みに転換できたこと。

ステージとステージ裏を分け、「見せる顔」と「隠している本音」を同時に映すというメタ構造。
「誰かに選ばれる」ではなく「自分で自分を選ぶ」「わかってくれる人がわかってくれる」が主軸に。
揺れたままで、選び直せる自分を肯定するという成熟した心理に。

そして、Aぇは「推し」という感覚に加えて、ファンから「戦友」「兄貴分」のように受け入れられている。
「偶像を応援したい」ではなく「一緒に戦っている」と感じさせてくれる。
だから、情感を共有する“表現者”としての再定義がピタリとはまる。
ユニバーサルはこれを見抜いた上で、「整えられたアイドル像を脱ぐ」方向に振った。


PVを見て、意図を読み取ったとき、私はこう思った。

「この表現をつくったチームに、マーケターとして一緒に混ざりたかった」

そう思えるほど、すごい戦略だった。

Aぇ! group × ユニバーサルの凄さとは?

何にこんなに感動したかというと、「うまくいってない今」を商品価値に変える構造を成立させたこと。

通常、マーケティングは「成果」や「成功体験」をベースに打ち出します。
でもAぇは、正直あまりCDセールスも伸びておらず、まだ認知も広がっていないという状況です。
「まだ報われていない感情」「折れそうな心」「それでもやめない理由」という、“一次感情”の真ん中にマーケティング軸を置いています。

これは、現代のZ世代やロスジェネ世代が求めている「物語の起点」と完全に一致しています。

なぜ“痛みを知っている表現者”が支持されるのか?

SNSなどの台頭でリアルな感情や等身大に触れられる今、もはや「強いから憧れる」時代ではないと思います。
むしろ「弱さを持っているのに、それでも歩いている」ことが、信頼・支持・応援される根拠になる時代です。

まさに『Chameleon』はそのど真ん中を突いています。
・虚勢を張らない
・ かといって卑屈にもならない
・ でも“あの笑顔”でまた立ち上がってる

これ、共感性 × 物語性 × 実力という三拍子が揃っていないと成立しない戦略だと思います。
ここまでロジカルに、時代を読み、Aぇの強みを踏まえた上での戦略にマーケターとして嫉妬しました。
これは、ブランド再生の理想系に近いと思います。

マーケティングというより思想に近い

痺れるポイント2つめですが、この施策は単なる「売るためのマーケティング」ではなく、“Aぇ! groupをどう生きる存在にするか”という思想設計に基づいていると思います。

つまり、
「バズらせる」ではなく、「共鳴される存在にする」
「注目される」ではなく、「必要とされる物語を持つ」
「売れたらすごい」じゃなく、「売れる前から、すごい」

この価値観に立てたことが、Aぇ!の戦略を“本物”にしている理由です。

誠実な表現者に、誠実なチームが応える構造

この素晴らしい戦略をどんな人たちが立てたんだろう?と想像すると、
きっと最初は、ユニバーサルの担当者は上からの指示で「Aぇを担当して」とチームが組まれたんだと想像します。
でもきっと、彼らと現場で関わるうちに「この子たち、本気なんだ」と思った人がいた。
その人が軸となり、徐々に「売るために作る」から「彼らの言葉を伝えるために作る」チームになった。
『Chameleon』は、誠実な表現者に、誠実なマーケティングで応えた仕事の結晶と思いました。

私もそのチームに入りたいと思った

Aぇが好き、という気持ちは大前提として、
こんな思想と精度でマーケティングをしているチームに、私は嫉妬しました。
「ああ、私もこの人たちと一緒に仕事がしたい。
誰かの言葉や物語に、本気で向き合う仕事がしたい。」
そう思ってしまったことが、このを書くきっかけでした。

マーケティングの本質は、「誰かの表現を信じ抜けるか」

数字を取るのも大事。注目されるのも大事。
でも私は、それよりも――
「その人の言葉や痛みを、どうしたら“伝わるもの”に変えられるか」
を考えるマーケティングがしたい。

『Chameleon』はその理想形でした。
いつか、そんな仕事に関われるように。
今日のこの感動を、忘れないように形に残しておきます。



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