最果ての島で出会った少年と、小説に残った記憶
歴史小説の主人公は、過去の歴史を案内してくれる水先案内人のようなもの。面白い・好きな案内人を見つけられれば、歴史の世界にどっぷりつかり、そこから人生に必要なさまざまなものを吸収できる。水先案内人が魅力的かどうかは、歴史小説家の腕次第。つまり、自分にあった作家の作品を読むことが、歴史から教養を身につける最良の手段といえる。第166回直木賞をはじめ数々の賞を受賞してきた歴史小説家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語る。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、歴史小説マニアの視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【直木賞作家が教える】ヨーロッパより遠かった…断崖の島・鵜来島で出会った“忘れられない中学生”Photo: Adobe Stock

ネットの便利さと現地取材のバランス

 私はネット検索の便利さを享受する代わりに、現地取材を疎かにしてはいけないと考えています。

 現地には、グーグルの衛星地図ソフト「グーグルアース」では伝わってこない匂いや湿度があります。こういった要素が小説を下支えする重要な要素となるので、現地取材は手を抜かないようにしています。

最も過酷だった鵜来島(うぐるしま)取材行

 これまで最も苦労したのは、高知県宿毛市の鵜来島への取材行です。

 鵜来島は宿毛湾の沖合約23キロに位置し、周囲約6キロの断崖絶壁の島。島内に30人弱の人が暮らしており高齢化率約9割の限界集落でもあります。

島にたどり着くだけで一苦労

 そもそも、島に到着するまでが大変でした。関西から新幹線と快速、特急で徳島に向かい、そこからクルマで高知まで取材をしながら移動。高知駅から中村駅までは特急に乗り、中村から土佐くろしお鉄道中村・宿毛線で宿毛駅に着き、駅から片島港まではバスに揺られ、港から市営定期船で鵜来島を目指しました。

 途中で寄り道したこともありますが、大阪の伊丹空港から国際線に乗っていたらヨーロッパの都市まで到着していたと思います。大変な移動時間です。

足を運んだからこそ得られた手応え

 しかし、苦労をして実際に足を運んだだけの価値はありました。

 実際に入江の形などを見て回ったことで、創作の手応えを得られたのです。

島で出会った中学生の記憶

 島の人たちはほとんどが高齢者ですが、1人だけ中学生の男の子がいました。事情があり、一時的におばあちゃんと鵜来島に滞在しているのだといいます。

 彼は民宿の手伝いもしていて、港で獲ってきた魚を一生懸命捌いていました。その様子を見ながら、「この子は、この島で再生していくんだろうな」などと思いました。

 中学生と出会ったことは、描こうとしている作品とは直接関係ないかもしれません。けれども、私は彼の姿を忘れることはないでしょう。

「無関係な経験」が後に活きる

 こういう経験は何かのときに必ず生きます。小説家は生かす機会が比較的多いというだけで、どんな仕事をしている人でも絶対に生かされるはずなのです。

※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。