タブレット スタンド アルミ ホルダー 角度調整可能 Lomicall stand : 卓上 縦置き スタンド タブレット 置き台 デスク台 立てる 設置 aluminium テレワーク 在宅 ワーク Zoom 会議 タブレット対応(4~13'') ミニ エア プロ ipad 10 第十世代 ipad9 第九世代 ipad Air mini Pro第六世代 S7 S8 Note 対応 - シルバー
¥2,199 (2025年4月26日 13:05 GMT +09:00 時点 - 詳細はこちら価格および発送可能時期は表示された日付/時刻の時点のものであり、変更される場合があります。本商品の購入においては、購入の時点で当該の Amazon サイトに表示されている価格および発送可能時期の情報が適用されます。)Anker PowerPort III 3-Port 65W Pod (USB PD 充電器 USB-A & USB-C 3ポート)【独自技術Anker GaN II採用 / PD対応 / PPS規格対応 / PSE技術基準適合 / 折りたたみ式プラグ】MacBook PD対応Windows PC iPad iPhone Galaxy Android スマートフォン ノートPC 各種 その他機器対応(ブラック)
¥5,990 (2025年4月26日 13:09 GMT +09:00 時点 - 詳細はこちら価格および発送可能時期は表示された日付/時刻の時点のものであり、変更される場合があります。本商品の購入においては、購入の時点で当該の Amazon サイトに表示されている価格および発送可能時期の情報が適用されます。)
幸せは自分の思い方次第――101歳、現役の化粧品販売員として活躍している堀野智子(トモコ)さん。累計売上高は約1億3000万円で、「最高齢のビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定されたキャリア61年のトモコさんが、年をとるほど働くのが楽しくなる50の知恵を初公開した話題の書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)が「堀野氏の技法は、ヒュミント(人間による情報収集活動)にも応用できる」と絶賛(日刊ゲンダイ・週末オススメ本ミシュラン)する世界一の先輩による“人生訓”は、アナタの疲れた心を元気にしてくれる!

成り行きの人生、でも後悔はなし
私は、とりあえず乗りかかった船には乗ってみる派なんです。
主人と成り行きで(私にとっては)結婚し、あまり好きでもない生命保険のセールスの仕事にも就きました。どれもこれも、自分がどうしてもやりたくてやったことではありません。
でも、そのことについて後悔することはありませんでした。他人にすすめられたことでも、成り行きでも、あまり好きでないことでも、人のせいにはせず、結局は自分自身が納得したうえで、やったからだと思います。
「今日」を受け入れて生きる
昨日のことも明日のことも考えず、今日が無事に過ぎればいいとだけ思い、自分に訪れた「何か」を受け入れて、納得したうえで従ってきました。
そんなふうに生きてきたら、いつの間にか101年がたったのです。
ただひとつ、自分の意志で選んだ仕事
そんな私にも、1つだけ自分の意志でつかみとり、離さなかったものがあります。それがポーラ化粧品のセールスレディの仕事です。
日本が戦後、奇跡的な経済復興を遂げる中で出合ったポーラの化粧品に、私はどれほど心を奪われたことでしょう。それには、私が生まれ育った時代が関係しています。
「わたしが一番きれいだったとき」
私は「大正デモクラシー」と呼ばれる平和な時代の生まれですが、1931年・8歳のときにアジア・太平洋戦争の起点といわれる満州事変が起こり、日本が暗い時代に突入していきます。
1945年に終戦を迎えたとき、私は22歳でした。戦後、食べ物にこと欠く暮らしが続いたのは、本書でお話しした通りです。
詩が映す、あの時代の痛み
もう亡くなられましたが、茨木のり子さんという1926年生まれの私と同世代の詩人がいました。「わたしが一番きれいだったとき」という有名な詩があります。
一番きれいだった時代と戦争が重なった悲しみが切々と伝わってきて、世代を問わず心を打つ詩です。特に同世代の私には刺さりました。
おしゃれも化粧もなかった戦争時代
生きるか死ぬかの時代、その日の食べ物を確保することが最重要課題だった時代があったことを、今の人はなかなか想像できないことでしょう。
でもそんな時代が本当に存在したのです。おしゃれもお化粧もあったものではありませんでした。
ポーラとの出会いがくれた“夢のような世界”
茨木のり子さんの詩のように「わたしが一番きれいだったとき」、私の周りにきれいなものは何もありませんでした。
だから、初めてポーラの化粧品を手にしたとき、強い衝撃を受けたんです。
“茶色い時代”から“美しさの時代”へ
肌にスーッとなじみ、栄養がしみわたっていくようでした。日本でこんなきれいになるものがつくられ、買えるようになったということ自体が驚きでした。
戦争中の“茶色い時代”を知っている私には、まるで夢の世界のできごとのように感じられました。
「きれいになりたい」が叶う時代の幸せ
女性が「きれいになりたい」と思えて、お肌のお手入れができる時代がやって来るなんて、B29爆撃機が無差別に焼夷弾を投下する空襲に怯えたときに、どうして想像ができたでしょうか。
「なんていい時代になったんだろう」「こんな時代に生きられる自分は本当に幸せだ」と心底思いました。
私にとっての「幸せの象徴」
以来、私にとってポーラの化粧品は“幸せの象徴”となり、この幸せをできるだけたくさんの女性に届ける仕事をしてみたいと強く願うようになったのです。
のちにその夢が叶い、セールスレディとして、多くの女性に「きれいになる喜び」を伝える仕事に就けました。「これを私の一生の仕事にしよう」と心に決めたのには、そんなわけがあったのです。
初めての喜びが、私の宝物
どのお客様の笑顔も私の宝ですが、いちばん心に残っているのは、最初に私から商品を購入してくれた女性のことです。
私の同級生のいとこで、端正な顔立ちをしているのですが、お肌にそばかすがたくさんありました。そのことが、本人にとっては大きなコンプレックスになっていたようです。
喜ばれる喜びが、何よりの力
ところが、私がおすすめした化粧品を使い始めたところ、どんどんそばかすが薄くなっていき、ついにはほとんど目立たなくなり、薄くお化粧すれば見えなくなったんです。
そのことをとても喜んでくれて、会うたびに「トモコさんのおかげでそばかすが消えた。本当にうれしい」と言ってくれました。
人生の最高の喜びとは?
人にとっていちばんの喜びは「自分以外の誰かに喜ばれること」ではないでしょうか。セールスレディを61年務めてきた私は、数えきれないほど多くの人の喜びの声を聞いてきました。
どれほどたくさんの喜びを私はいただいてきたことでしょう。ありがたさで胸がいっぱいになります。みなさんの人生も、「自分以外の誰かに喜ばれること」とともに、たくさんの喜びが詰まった人生になりますように。
※本稿は、『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。