
the brilliant greenの「the brilliant green」、Tommy february6の「Tommy february6」、Tommy heavenly6の「Tommy heavenly6」という3つの“1stアルバム”がアナログレコードとなって再リリースされる。
近年、多くの若手バンドから再評価され支持を集めているthe brilliant greenに加え、Y2Kリバイバルの潮流に乗り海外でも人気を広げるTommy february6とTommy heavenly6。このタイミングでのリリースでさらに大きな注目を浴びることは間違いない。
アナログレコード化を記念し、the brilliant greenのメンバーであり、Tommyプロジェクトの楽曲制作も手がけた奥田俊作へのインタビューが実現した。取材には、当時バンドを発掘、育成し、Tommyのプロジェクトにも深く携わった現SML取締役執行役員専務・藤原俊輔氏も同席。インタビューはさながら同窓会のような和やかな雰囲気で進み、バンドやプロジェクトにまつわる貴重な思い出話に花が咲いた。リアルタイムで彼らの音楽に触れたリスナーはもちろん、近年のリバイバルをきっかけに新たなファンとなった若い世代にとっても、見逃せないエピソードが満載だ。
取材・文 / つやちゃん
再評価の流れは全然知らなかった
──近年のthe brilliant greenやTommy february6 / Tommy heavenly6の世界的な再評価をどう受け止めていますか?
奥田俊作 僕は普段SNSをまったくやってなくて、見ることもないんですよ。突然その情報だけポーンとレーベルのスタッフから送られてきて。「盛り上がってますよ」みたいな(笑)。それでTikTokとかを初めて見て「へぇ、こういう使われ方をするんだ! 今の時代ってこういうことになるのね」と思いました。
──寝耳に水だったということですね。まったく予想もしていなかったような内容の動画に合わせて、自分たちが作った曲が使われることに対してはどう感じましたか?
奥田 うれしいなと思いました。ああいうのも表現じゃないですか。言ってみれば動画を投稿している全員がクリエイターなわけで、スタイルやファッションなどの自己表現に自分たちの音楽が使われるというのはありがたいです。突然、奇跡が起きたなと。
──いやいや、奇跡ではなくて必然だと思います。やっぱり、作品にタイムレスな魅力があるから起きたことだと思うんです。今多くの人がブリグリやトミーのそういった魅力について語っていますが、奥田さんはその正体をなんだと考えていますか?
奥田 もしかしたらトミーがやっていた表現って特別なものではなくて、みんなが思っていたことや感じていたこと、好きだったことかもしれませんね。それが今の「好きなことやっていいんだ」という時代の空気に合っているんじゃないかな。サウンド的にもわかやすくてキラキラしたものを目指して作っていたし、とっつきやすいという理由もあるとは思いますけど。
──アイドル的な感性とロック、ポップ、エレクトロを掛け合わせたり、好きなキャラクターとコラボして世界観をどんどん作り込んでいったり、トミーがやっていたことって今では珍しくはないかもしれませんが、当時はとても先駆的だったと思います。ああいった感性をメジャーの環境で実現していくのは大変だったのではないでしょうか。
奥田 確か、レーベルのほうから「川瀬智子のソロをやりませんか?」という提案があったんですよ。それで、みんなで会議室に集まって「どういうのやる!?」っていろんな案を出していったのを覚えてます。でも本人は、最初やる気がなくて(笑)。
──はい(笑)。
奥田 ブリグリは京都で自分たちでバンドを組んで、ゼロから始めた活動でしたけど、トミーはスタッフと会議で意見を出し合って始まったものでした。そこで「ユーロビートやったら面白いんじゃない?」「えー!?」みたいな会話があったのを覚えています。そもそも自分はトミーには関わらない予定で、ほかの作家さんに曲を書いてもらおうと考えていたんですけど、「なかなかしっくりこないね」「じゃあ自分がやってみるか」という流れになってデモを作った。それで、スタッフみんなでデモを聴く日に「EVERYDAY AT THE BUS STOP」を流したらすごくウケちゃって。この路線でやってみようという話になりました。
──ユーロビートや80’sのどういうポイントに対して、皆さんは「いい」と思ったのでしょう?
奥田 いや、みんなもう半分悪ふざけみたいな感じだった(笑)。でも川瀬智子本人は具体的なイメージに落としていくのが早い人だから、会議で話しながら、もう頭の中でビジュアルまで作っていたのかもしれない。
藤原俊輔 当時、Daft Punkが流行っていたじゃないですか。ああいう音楽をやってみようと話したのを覚えています。例えば「♡KISS♡ ONE MORE TIME」は、タイトルからわかる通り制作時にDaft Punkが頭にあったはずで。
奥田 実はそれについては1つエピソードがあって。「♡KISS♡ ONE MORE TIME」はブリグリで一度デモを出しているんですよ。なぜか急にあのデモを作ってメンバーやスタッフに聴かせたんですけど、全員引いちゃって(笑)。メンバーに「これはアカン!」と言われたのを覚えてる。当時、海外でもギターロックバンドがダンスミュージックに寄っていく流れがあって。自分もそういう影響を受けていたから提案したんだけど、却下された。だから、トミーのときに「これを出す機会が来たぞ」って思ったんです。
──当時すでに、奥田さんの中でブリグリでは表現しきれない音楽性が生まれていたんですね。
奥田 そうですね。ブリグリは生楽器でやってたので、そこから解放されたい瞬間もあったのかもしれない。それに、もともと僕は自宅で多種多様な音楽を作っていたから、いろいろなサウンドを試すのが好きだったんです。
曲作りで一番大切にしていたことは
──トミーの音楽は、高いクオリティや完成度と、遊び心が両立していますよね。曲作りの際に特に大事にしていたことはありますか?
奥田 一番大事にしていたのはメロディです。とにかく、誰が聴いてもわかりやすくてとっつきやすいメロディ。スッと入ってきて、長く感動できるようなメロディラインを、1つのリフとして曲に配置していくことを一番大切に考えていました。歌のメロディはもちろん、シンセのフレーズもドラムのパターンも。僕は、そのすべてをリフだと捉えているんですよ。音楽とは、リフの集合体であると。これは欧米的な考え方ですけど、自分はそう捉えるほうが好きなので、曲をリフのつなぎ合わせとして考えています。どれだけ締切が迫っていても、メロディだけは突き詰めると決めていました。雰囲気だけでは終わらせたくないんです。
──だからこそ、TikTokなどでどこを切り取られても耳に残るフックがあるんですよね。
奥田 そうかもしれないですね。裏メロもかなり時間をかけて作っていたので、シンプルに聞こえてけっこう凝っています。作ったのにボツにした曲も多かったし、とにかく曲作りで一番時間をかけるのはメロディでした。フレーズ同士の組み合わせにもよりますから。アナログシンセだとなかなか再現できない音もあって、必死になっていろいろ試していました。
──ブリグリもトミーもメロディへのこだわりは確かにすごく感じられますけど、そもそも奥田さんがそこまでメロディにこだわるのって、どういったルーツから来ているんでしょうか?
奥田 小学生のときに、おじいちゃんに初めて買ってもらったレコードがシンディ・ローパーの「N.Y.ダンステリア」(1983年リリースのアルバム)だったんですよ。聴いたときにびっくりして。メロディがいいし、音がキラキラ輝いていた。あれがルーツにある。スネアの音もあのアルバムに影響を受けてますね。だからなのか、ブリグリでもドラムの録音にはめちゃくちゃこだわっていました。当時はカンカン抜けるようなドラムの音を目指している人が多かったですけど、ブリグリではとにかくリズムマシンみたいな低く重いスネアにしたいとエンジニアさんに伝えていて。「あまりそういうオーダーをしてくるバンドはいないよ」って言われてました。
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ひさびさにブリグリのアルバムをフルで聴いた感想は……
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