
植物由来の天然染料・藍(あい)を使用し、布や糸などを染め上げる藍染(あいぞめ)。この伝統的な染色技法に魅せられたことで、会社員から藍染職人へとライフシフトをした桑山奈美帆さん。出身地である愛知県知多半島に工房「紺屋(こんや)のナミホ」を構え、染料の材料となるタデ藍を畑で育てるところから、染料づくり、染めまでを一貫して行っている。また、染料を仕込む常滑焼の甕(かめ)をはじめ、できる限り地域の材料を使用。こうして生まれたオリジナルの製品は〝知多藍〟と名付けブランド化し、地域の産業として根付かせることを目指している。古くからある藍染をアップデートして、次世代へ。そんな目標を掲げ、桑山さんは日々奮闘している。
起業を視野に入れて会社を退職。山間の小さな集落に移住して藍染修業に挑む
大学のファッションビジネス科を卒業した桑山奈美帆さんは、2012年にスポーツやアウトドアのウエア・用品を扱う「株式会社ゴールドウイン」に入社。「THE NORTH FACE」の店舗で接客販売に携わりながら、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング/視覚的な売り場づくり)にも没頭していたという。
「もともとファッションに興味がありましたが、それだけでなく、学生時代にアスリートとしてスポーツに打ち込んでいたことも影響していて。現役のアスリートをアパレルの面から支えたいという思いがあり、服を通して誰かのパフォーマンスや暮らしを後押しできることに、大きなやりがいを感じていました」
そんな桑山さんが藍染に興味を持ったのは、「THE NORTH FACE」でインディゴ染めの商品を取り扱ったことがきっかけ。素材や加工について学ぶうちに、〝染〟という工程におもしろさを見出すようになった。
「〝染〟について学ぶため、江戸時代から続く伝統工芸・有松絞の産地である名古屋市の有松を訪れる機会があり。そこで天然の藍染を営んでいる人が少なくなっていることを知りました。さらに、地元である知多半島にもかつて藍染の産業があったこと、そして有松絞りとも深いつながりがあったことも教えてもらったんです」
かつては出身地でも盛んだったという藍染。〝染〟としての魅力に惹かれると同時に、今は廃れてしまった伝統を知多半島で再建したい、そんな思いが桑山さんの胸に湧き上がってきた。そして、7年間務めた会社を辞め、藍染の職人になるべく修業をすることに。その決断の裏にはこんな思いもあったという。
「もともと私はあまり協調性がなく、集団行動が苦手な傾向がありました。この生きづらさを解消するためにも、一人で起業して働くという選択肢が生まれたんです」
こうして桑山さんは藍染の修業をするため、岐阜県郡上市の標高700mの高知にある石徹白(いとしろ)という小さな集落に移住。山間にある小さな洋品店でスタッフとして働きながら、草木染めや藍染を学んだ。
「修業先は、〝染〟の行程もすべて自社で行い、天然素材にこだわって衣服づくりをしている工房でした。さらに隣町に住むおじいちゃんお師匠のもとへ月に一度足を運んだり、日々電話でやり取りをしたりして、藍のことを教わりました」
3年という修業期間で、自分で育てた葉を使って染めるという一連の流れを実際に見て、そして習得。最初は田舎暮らしに少し抵抗はあったものの、藍染を学ぶためなら腹をくくることができたのだという。そんな修業を通して一番苦労したのは「〝藍は生きもの〟という感覚を身につけることだった」と、桑山さんは語る。
藍染の原料となるのは、タデ藍の葉を発酵、乾燥させてつくる蒅(すくも)。これを灰汁(あく/木灰を水に浸すことでできるアルカリ性の液体)に入れて撹拌(かくはん)しながら、フスマ(小麦の外皮)や貝灰、酒などを加えて、発酵を活性化させたり調整したりする。すべて天然のものだけで染料をつくる、この伝統的な藍染は〝天然藍灰汁発酵建て(てんねんあくはっこうだて)〟と呼ばれ、現在も桑山さんが工房で取り入れている技法だ。
「発酵の状態は天候や気温によって日々変わるので、数値や理屈だけでは判断できません。藍を建てる甕(かめ)の表面の泡の立ち方、匂い、色の変化を五感で捉える必要があり、最初は全く分からず…。その感覚を掴むまで試行錯誤の連続で、かなり時間がかかりました」
こうして畑で原料となるタデ藍を畑で育て、染料となる藍をつくり、染色するまでという、藍染の全工程を学んだ桑山さん。修業後はすぐに開業する予定だったため、ほかにアルバイトをしながら資金も貯めた。そしてすべての準備が整った2022年春、愛知県常滑市に自らの工房「紺屋のナミホ」を開業する。
「先ほどお話ししたように、地元の知多半島にもかつて藍染文化があったことから、その歴史を再び息づかせたいと思い、開業にあたってはこの地を選びました。もともと常滑焼の製陶所だった築約100年の建物を改装して工房に。甕には常滑焼を使い、染める布は知多木綿など、できる限り地元の素材を取り入れることにこだわっています」
すべての工程を知多半島で行い、地域資源も活用する〝知多藍〟としてブランド化
現在、「紺屋のナミホ」では、オリジナルブランド「すくすくすくも」での藍染製品の販売のほか、祭りの法被やのれん、個人の洋服などのオーダー染め、ワークショップや染色体験の実施、地域の藍畑の管理・育成を行っている。
最近では企業や行政からの依頼も増え、アパレルメーカーの染色や、空港のおみやげ、ノベルティなどの特注品を手掛けることも。そんな多岐にわたる事業を展開しながら桑山さんは、藍染の世界を〝閉鎖的な職人の工房〟にせず、誰もが気軽に訪れられる場所にすることにも余念がない。伝統を残していくためにも、「まずは知ってもらうというハードルを下げる」ことが重要だと考えている。
「カフェと連動することで、工房をオープンな空間にしています。気軽に来て、実際に見ていただき、藍染について知っていただけたらと。また、オリジナルブランドのアイテムは昔ながらの〝おばあちゃんの家の暖簾〟のようなものではなく、現代の感覚に合った〝かわいい〟〝かっこいい〟と思える柄を開発することに力を入れています。
また、〝できる限り地元で完結させること〟にもこだわっています。タデ藍の栽培、蒅(すくも)づくり、発酵、染色のすべての工程を知多半島で行い、常滑焼や知多木綿、地元の木灰やお酒などの地域資源を活用。そんな知多半島でつくるオリジナルの藍染製品を〝知多藍〟と名付けてブランド化しました」
藍染の魅力を広げるだけでなく、地域の活性化にも役立てたら。そんな思いで突き進んでいる藍染職人の道だが、後継者不足などの問題はあるものの、その先には明るい未来が待っていると桑山さんは信じている。
「藍染の世界は分業制で〝染師〟に加え、染料をつくる〝藍師〟や〝藍農家〟にわかれています。そして現在、〝染師〟は多くいますが、〝藍師〟や〝藍農家〟の後継者がいません。そこをカバーする取り組みは必要だと考えています。
しかしながら今は、自分の分は自分で作る流れができつつあり、私のように藍農家、藍師、染師までを一貫して取り組む工房が増えてきました。サステナブルな暮らしや自然素材への関心が高まっているなか、藍染を実際に体験したいという声や、本物を求める人たちのニーズが高まっていて、藍染の可能性を感じています。染料を安定して作ることができれば、藍染はこのまま続いて、工芸としての文化も受け継がれていくのではないでしょうか」
〝知多藍〟を地域の産業として根付かせ、次世代につないでいきたい。そのためにも「積極的に弟子を取り、後継者の育成を止めない」ことを目標としていると語る桑山さん。そんな彼女にとって、このライフシフトで一番よかったと感じているのは「自分自身と素直に向き合えるようになったこと」だという。
「会社員の頃は、どうしても周囲のペースや成果に合わせる必要があり、自分の気持ちを後回しにすることも多くありました。でも今は、職人としてまったく異なる時間の流れの中で、自分の〝やりたいこと〟や〝やりたくないこと〟に正直に向き合える暮らしができています」
異業種への転身や独立、起業といったライフシフト。思い切って飛び込める人がいる一方で、あと一歩が踏み出せずにいる人も多いのではないだろうか。そんな人たちに向けて、最後に桑山さんからエールを送ってもらった。
「本当にやりたいと思うのなら、できるだけ早く動き出した方がいいと思います。なぜなら、迷っている時間が長くなるほど、不安ばかりが膨らんでしまうからです。どうしても時間が必要だと感じるなら、〝やりたい〟〝できる〟と思える理由に目を向けてみてはいかがでしょうか」
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