後世で「偉人」と称された人のなかには、人生の後半で成功した「遅咲き」の人が少なくありません。

「遅咲き」とは単に「年齢を重ねたのちに成功した」ということだけではなく、「学生時代にはまるで期待されていなかったのに、世界を変えてしまった」ような人物のことも含まれるでしょう。(「はじめに 偉人も悩んだ『中年の危機』」より)

こう述べているのは、『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』(真山知幸 著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者。そこで本書では、「大器晩成型」と呼ばれる偉人たちがたどってきたプロセスを紹介しているわけです。

ただし、ここには注目すべきポイントがあります。それは、“どのように中年期を過ごしたか”に焦点を当てていること。つまり多くの人が中年期に直面することになる「ミッドライフ・クライシス(中年期危機)」を、偉人たちがいかに乗り越えたかを明らかにしているのです。

思えば、人間というものは、順調にいっているときになかなか変革は起こしにくいもの。「ミッドライフ・クライシス(中年期危機)」は人生を見つめ直し、新たな価値観に目覚め、アクションを起こす絶好の機会だともいえるでしょう。(「はじめに 偉人も悩んだ『中年の危機』」より)

たしかにそのとおり。そう考えれば、決してクライシス(危機)ではないとも解釈できそうです。むしろ、チャンスだといえるかもしれません。もちろん、うまくいく場合もあれば、なかなか結果につながらないこともあるでしょう。しかし、そのプロセスにこそ意味があるのです。

きょうは第1章「50代以降に花開いた偉人たち」のなかから、50歳で才能を開花させた作家・詩人のチャールズ・ブコウスキーをクローズアップしてみたいと思います。

チャレンジを続けるも収穫はなし

ブコウスキーが自分の作家性に気づき、創作にのめりこんだのは13歳のころ。

幼少時から続いていた父親の虐待から逃れたいという思いもあったようです。しかも虐待の影響で、顔から全身にかけて悪性ニキビが発症。コンプレックスに苛まれ、孤独な学生時代を送ったのでした。

ロサンゼルス・シティ・カレッジを中退してからは、21歳でアメリカ放浪の旅へ。安宿を転々としながら肉体労働で日銭を稼ぎ、短編小説を書いて雑誌社に投稿していました。ところが、一向に反応はなし。23歳のときにはようやく短編が採用されましたが、それだけですべての状況が好転するはずもありません。

そのためしばらくは郵便局の配達員として働いたり、トラックの運転手をしたりして糊口をしのいでいました。しかし、この時期にはのちの活動につながっていく重要な変化もありました。

それは、タイプライターを購入し、ふたたび創作活動を開始したこと。しかも、かつて書いていた短編に代わり、詩を書きはじめたのです。(92ページより)

Advertisement

37歳〜 夜間に郵便局で働きながら書き続けた

酒におぼれながらも投稿を続けていると、いつしか掲載される機会も増え、少しずつ注目されはじめることになります。

結婚と離婚を経験するなどつらい経験もあったものの、執筆への意欲は衰えることがありませんでした。

郵便局の夜間の内勤として働きながら、詩を書き続けたのです。

「つまらない仕事だが、すべて夜だから、

どっちにしろ、夜は眠れない」(99ページより)

こう述べているものの、書き続けるための状況が整ったことは事実。そしてそれから12年にわたり、郵便局勤務と執筆を両立させたのです。

著者が指摘しているように、37歳から49歳までのこの期間は、ブコウスキーにとって「大いなる助走」期間だったといえます。

大きな転機となったのは、創刊されたばかりの「オープンシティ」という雑誌で「オヤジ日記」(ブコウスキーノート)という連載をはじめたこと。紆余曲折を経てきた彼にしか表現できない“笑える物語”が、仕事明けの労働者の楽しみとして人気を博していったのです。

ちなみに同誌の廃刊後も、他誌へ移行するかたちで連載は続行。ブコウスキー人気は、じわりじわりと高まっていったのでした。(97ページより)

Advertisement

50歳 「労働者の文学」として大ブレイク

ブコウスキーは連載開始から半年で、急速に名が知られるようになります。

そして彼の作品に魅了されたジョン・マーティンが、「ブコウスキーの本を出したい」という理由で「ブラック・スパロウ・プレス」インディペンデント出版社を設立。ブコウスキーに「専業作家になって書いてほしい」と依頼します。

「何も書かなくても一生毎月100ドルやるといわれた。

それで信じる気になれたよ」(101ページより)

そこで熟考の末に郵便局の仕事を辞め、50歳にしてようやく専業作家になることができたわけです。そんなブコウスキーの小説や詩は“労働者のための文学”として評価され、朗読会を開けば600〜700人がつめかけたほど。しかも作品は世界中で翻訳され、版を重ねることになったのでした。

何十年もくすぶり続けた小さな火種は、50代にしてようやく大きな火種となったわけです。時間がかかったことは否めませんが、ブコウスキーは「そのプロセスにこそ意味がある」と考えていたようです。

「遅咲きだから強い。神々が守ってくれたんだ。

それは本当のことだ。

ちょうどいい時期と場所に鍛えられ、今でも味方さ」(102ページより)

これはブコウスキーだけではなく、働くすべての人にあてはまることではないでしょうか。ちなみにブコウスキーが亡くなったのは1994年3月。享年73でした。(100ページより)


成功したという実感を持てず、悩んでいる方は決して少なくないでしょう。しかし著者は、「苦しみを自分ひとりで抱えてほしくない」と強く感じているのだそうです。

そうした思いを軸とした本書を参考にしながら、これからの人生をよりよいものにしてみてはいかがでしょうか?

>>Kindle unlimited、500万冊以上が楽しめる読み放題を体験!

Source: ディスカヴァー・トゥエンティワン