「だから、今が好機なのよ」杏子が力強く言い切ると、カフェの奥の席に座っていた聖奈、愛蓮、菫の三人は互いに顔を見合わせた。ここは彼女たちの溜まり場となっているカフェ「アークロッジ」。奥の席には仕切りがあり、他の客には声が届きにくい。午後の柔らかな陽光がカーテン越しに差し込み、微かにコーヒーの香りが漂っている。「小桜がまだ動かないと決まったわけじゃ……」菫が言いかけると、杏子はすかさず遮った。「小桜が行動を起こす前に決着をつけるの。時間を与えれば与えるほど、あの子は予想外のことを仕掛けてくる」「それは……確かに」菫は納得したように頷く。「ノクターナルにも先を越される可能性が高くなる」「その通り」杏子は我が意を得たりと、自信に満ちた笑みを浮かべた。だが、その表情にやや焦りが見え隠れしていることに聖奈は気づいた。「慌てすぎじゃないかしら?」聖奈が静かに口を開くと、杏子は眉をひそめた。「何よ、聖奈。あんた足を引っ張るつもり?」「そういう意味じゃないわ。ただ、状況を正確に把握しておきたいだけよ」聖奈が冷静な視線を向けると、杏子は不満そうに顔を背ける。「愛蓮、報告をお願い」聖奈が指示を出すと、愛蓮は手元のタブレットを操作しながら口を開いた。「現在、伊勢神宮に常駐しているのは、神職と事務系の人間が大半みたいです。防犯と防災を担当する部署も確認済みです。でも、これはあくまで公になっている情報だけで……」「ってことは、裏がある可能性が高いってことね」聖奈が目を細める。「京都・愛宕神社の時と同じなら、単なる神職や職員じゃなく、戦闘訓練を受けた連中がいる可能性があるわ」彼女は白石昂弥たちのことを言っているのだと、愛蓮は察して頷いた。「それでも問題ない」杏子は自信たっぷりに言い切った。「……どうしてそんなに自信があるの?」菫が不思議そうに聞くと、杏子は口元に笑みを浮かべた。「今の私たちの戦力なら、多少の戦闘部隊がいても十分に対処できるからよ」他のメンバーは彼女の自信の裏付けが何なのかを測りかねていた。「ふん、お前の考えは読めたぞ」突然、獅子の剣が重々しい声で口を開いた。「派手な騒ぎを起こしてノクターナル、そしてその裏にいるロキアンと……お前の友人を誘き出すつもりだな?」「……」杏子は小さく舌打ちした。「悪くない推測ね」「リスクが高すぎる。相手はロキアンだけではない。ノクターナルの覚醒者たちが全力で介入してくる可能性があるぞ」「それでも、兵は拙速を尊ぶって言うでしょ?」「それは——」「それは『戦を長引かせるのは良くない』という文脈の一部であって、孫子の本には拙速が良いとは書かれていないぞ」突然、第三者の声が割り込んだ。「……またあんた?」杏子が声の主を振り返ると、悠然と歩み寄ってきたのは昂弥だった。「このあいだはすまなかったな」昂弥は慣れた様子で隣のテーブルに腰を下ろし、律儀にメニューを手に取った。「アイスコーヒーを」店員にさらりと注文すると、再び視線を杏子たちに向ける。「何しに来たの?」聖奈が冷ややかに言った。「また金の無心じゃない?」菫が皮肉めいた笑みを浮かべると、昂弥は肩をすくめた。「今日は忠告をしに来たんだ」昂弥がそう言うと、場の空気が僅かに張り詰める。「忠告……ですか?」愛蓮が訝しげに眉をひそめる。「お前ら……まさか、朔の鏡が手に入らなかったからって、今度こそ八咫の鏡に手を出すつもりじゃないだろうな?」昂弥がそう言って一同を見渡す。杏子は笑みを浮かべたまま黙っている。聖奈は表情を崩さずに昂弥を見つめ返し、愛蓮と菫は目を見開いて言葉を失っている。「……やはりな」昂弥が低く呟いた。「何か問題でも?」杏子が目を細める。「今のお前たちを思い止まらせるためには、話すしかないようだな」昂弥はため息をついた後、声のトーンを落として慎重に切り出す。「これは一部の神職だけが知る極秘情報だが……」その瞬間、カフェの喧騒が遠のいた。外の通りを歩く人々の足音や車の音さえも消えたように思える。
テーブルの上に置かれたカップから、コーヒーの湯気が静かに立ち上っていた。
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