俳優・中井貴一は、父・佐田啓二の遺志を継ぎながら、自身の道を確立した「二枚目半」の存在として、日本の映像界で独自の地位を築いてきた人物である。1981年のデビュー以降、古風な風貌と「普通っぽさ」を武器に、ドラマ『ふぞろいの林檎たち』で注目され、80年代の「共感型リーダー像」を体現。映画・ドラマの双方で、時代劇から社会派、コメディまで幅広く活躍し、内面的な包容力と演技の柔軟性で評価を高めていった。20代から巨匠やベテランとの仕事で経験を積み、30代後半には私生活でも節目を迎える一方、国際作品にも挑戦。中国映画への出演では文化の壁に直面しながらも、それを俳優としての糧とした。40代以降も映画『壬生義士伝』や『RAILWAYS』などで、人生の岐路に立つ男をリアルに演じ、等身大の中年像を提示。50代での代表作『最後から二番目の恋』では、コミカルで誠実な男性像が共感を呼び、新たなファン層を得た。
その魅力は、「どんな役でも違和感なく存在できる」確固たる存在感と、師と仰ぐ高倉健・小林桂樹の両方になりきれる芸域の広さにある。「我慢する」ことを学んだ幼少期を経て、派手さよりも実直さで道を切り拓いてきた中井は、今も「ぼくらのリーダー」として多くの人々に愛され続けている。
そんな中井貴一が駆けだしの25歳、時代劇をやるには演技が下手でありながらも?初々しいそのご本尊を拝めるという点で、非常に重要なナンセンス時代劇「国士無双」を紹介。
あらすじは戦前を代表する映画監督にして伊丹十三の父親でもある伊丹万作が手掛けた1932年のオリジナル版(脚本:伊勢野重任)とほぼ同じ。
浪人二人(仮に乙と甲としておこう)が、通りすがりの青年を将軍家指南役「伊勢伊勢守」の贋者に仕立てて豪遊しようと企む。しかし青年は彼らの浅ましさに嫌気がさし立ち去る。浪人たちは腹いせに、本物の伊勢伊勢守に贋者の存在を密告する。
贋者は偶然救った娘・お八重の父に「伊勢伊勢守」と名乗るが、彼こそが本物であった。両者は対決し、贋が勝利する。本物は山奥で修行を積み、3年後に再戦するも再び敗北。名を譲ろうとするが、贋は「強い者が勝つ」と言い放ち、お八重と共に去る。物語は、彼らの背に静かに雪が積もる情景で幕を閉じる。
本物と偽物が戦った挙句、ニセモノが勝ってしまうという顛末。イマドキの流行りの考察厨的に分析しようとすれば、その書き出しからして
19世紀前半、ドッペルゲンガーは「無意識」や制御できない内なる欲望の象徴として描かれるようになった。アンデルセンの『影』(1847年)では、学者の影が自律的に行動し、彼の抑圧された性的欲望を体現する。学者はカントをモデルとした禁欲主義者で、理性と真善美を追求するが、夢の中で女性に惹かれ、影=ドッペルゲンガーがその内面の欲望を行動に移す。一方、アメリカではメスメリズム(催眠術)が流行し、「知られざる自分=無意識」への関心が高まる中、ドッペルゲンガー文学が隆盛を迎える。ポーの『ウィリアム・ウィルソン』では、主人公の道徳心を象徴する分身が登場し、彼の悪徳的快楽を阻止する存在として描かれる。この小説では、分身が主人公の個性を模倣・盗用することで、当時未整備だった著作権制度や海賊版問題といった「書くこと」自体へのメタ的批評も含まれている…。
などとくどくど語れるだろうが、そんな堅苦しいものではなく、ありていに言ってしまえば、中井貴一の細長い顔に到底似合わないドジョウ髭のわかりやすい悪人顔を愛でる映画である。
そう、以下のネーミングある豪華なキャスティングと混ざっても顔負けしない程の。殊にフランキー堺は、ニセモノが現れたことを「有名税」と言ってはばからない、ふてぶてしい単純細胞でしかし滑稽なサムライを演じて見せるのが、異色。
中井貴一 – にせ原田美枝子 – 八重原日出子 – お初岡本信人 – 瀬高(原作における浪人甲)火野正平 – 小鹿(原作における浪人乙)(星セントルイスの)セント – 近藤(星セントルイスの)ルイス – 土方笠智衆 – 仙人江波杏子 – オケラのお六中村嘉葎雄 – 羽黒月仙
フランキー堺 – 伊勢伊勢守
この豪華な面々に一切のまれずに、中井貴一がスクリーンのど真ん中にヌボーッと立っているのは、のちのスター性を予感させるものだったのか。何を考えているのかよくわからないが、どことなく大物風にふるまい、しかして中身は意外と気弱で、情けない振る舞いも決して少なくないが、なぜかみんなに愛されているサムライ。
良くも悪くも戦前らしい大時代的なのんびりとしたシナリオが生み出したキャラクターを、本人の「感受性の新鮮さ」「包容力の広さ」「弾力性のしなやかさ」のまま、のびのびと演じる様。
出世作となった『ふぞろいの林檎たち』(1983 ~97)で二枚目=時任三郎、三枚目=柳沢慎吾に挟まれ間を取った「二枚目半」的なキャラクター、大物然としていない次男坊的な人物像を、ちょんまげを付けてそのまま演じているかのようなかわいらしさを、ぜひぜひ、流し見しながら堪能しよう。
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