月曜日, 5月 19, 2025
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2度の少年院生活→更生して資格大量取得 平松翔の波瀾万丈な人生「ほんまに見返したい」


「ヒラショー!」。格闘家の平松翔(30=THE BLACKBELT JAPAN)の応援団の歓声が東京・後楽園ホールに響きわたる。人数は十数人と決して多くはないが、福島から駆けつけたそうだ。プロMMA戦績8勝5敗。RIZINにも出場した30歳は現在、設備会社の営業と格闘家の二足の草鞋を履いている。さわやかな短髪とチャーミングな笑顔が印象的だが、10代のころには非行に走り少年院に2度入った過去があった。2度目の出所後に再犯恐れ地元を飛び出す

「ヒラショー!」。格闘家の平松翔(30=THE BLACKBELT JAPAN)の応援団の歓声が東京・後楽園ホールに響きわたる。人数は十数人と決して多くはないが、福島から駆けつけたそうだ。プロMMA戦績8勝5敗。RIZINにも出場した30歳は現在、設備会社の営業と格闘家の二足の草鞋を履いている。さわやかな短髪とチャーミングな笑顔が印象的だが、10代のころには非行に走り少年院に2度入った過去があった。(取材・文=島田将斗)

「朝倉未来さんみたいな漫画の主人公的な不良やない。2対50(※)の反対。50側だったんです」

(※)“路上の伝説”と言われる朝倉未来の武勇伝のひとつ。3対3の喧嘩をする予定であったが、相手が50人を引き連れて登場し仲間1人が逃走。朝倉は逃げずに戦い大けがを負った。

 暗い過去があることは現在の見た目からは全く想像できない。しかし傷害や暴走を繰り返し、少年院に2度入ったというのはまぎれもない事実だ。

「当時は暴走族とかもないので、移動がもう暴走でしたね。住んでいた場所の環境が悪かったわけではないですけど、仲間と暴れているのが楽しかったんですよね」

 幼稚園から喧嘩に明け暮れた。特に理由はなく、ただ喧嘩が好き。小学4年生のときには友人を殴りすぎてひとりぼっちになってしまった。その後はおとなしくなったが中学に入ると今度は自分が殴られるようになった。

「番長的な存在のやつがいて、殴られることが多くなったんですけど、タイマンをはるタイミングがあったんです。相手の方が立場が上だったんですけど、ボコボコにしてしまって、そこから立場が逆転して喧嘩だったり、どんどん悪いことをするようになってしまいました」

 実家がたまり場になった。「みんなが学校に行ってる間は家で寝て、みんなが学校とか仕事から(平松の家に)帰ってきたら起きるみたいな」と当時の生活を振り返った。

 3人の兄弟がいるが、他は大学院などに進学するほど真面目。ぐれてしまったのは平松だけだった。鑑別所に入ると母が面会に来てくれたが、14歳で少年院に入ることになった。

「基本的に中学校と同じ勉強をしていました。他には集団行動でルールを守ることを覚えたり……。基本的にはしゃべったりもできません。主に寮生活をしていて『なぜ犯罪をしたのか』を考える課題をやったりしていました。1回目は半年でした」

 更生したはずだったが、2年後に少年院にまた帰ってきてしまった。

「2回目は浪速少年院というところで職業訓練施設も入っていました。中で訓練を受けながら資格を取って更生して、それを生かして社会復帰する。もう入ると決まったときに『資格を取りまくって真面目になって生まれ変わろう』と決めていたんです」

 1週間に本を3冊読み約1年間、塀のなかで過ごした。最終学歴は中卒となったが、宣言通り電気工事士や高卒認定、危険物取扱者などさまざまな資格を取得して無事出所した。

 出所後は電気工事士の資格を生かしてエアコン工事のアルバイト。生きるために仕事をしたが、なかなかうまくはいかない。また喧嘩をしてしまった。「このままやったらあかん」。逆戻りしそうになる自分に言い聞かせた。手元に残った3万円を握りしめ17歳で親戚のいる沖縄に移住。地元・大阪の仲間から物理的に離れた。

「元々地元に帰ったら再犯するって家族に言ってたんです。友達を悪く言うわけじゃないですけど、ヤンチャな集団だったので、そこに帰って真面目にやれるわけがない。そう周囲に言って地元に帰ったら案の定そうなってしまった。当初は京都に行く予定だったんですけど親からしたら『何も変わらんやろ』ってことで沖縄に行きました」

成人式直前に事件「20分間殴られ続けました」

 沖縄ではドミトリーで住み込みのバイトをした。客の予約状況で変わるが、3段ベッドの2段目が主に家だった。家賃や食費で給与はほとんど手元に残らなかったが、ただ毎日掃除やベッドメイキングをやり続けた。

 格闘技と出会ったのはちょうどこのころ。沖縄に住む親戚の知り合いから「いまから格闘技しに行くけど来る?」と誘われた。「行きます」と即答。訪れたのは地下格闘技のチームだった。

「本当に暇だったんです。『俺、沖縄来て何してんだろうな』って感じだった。ワクワクして行ったら不良がいっぱいいて。いきなりマウスピースもなしにスパーリングですよ。相手がめちゃくちゃ強いわけではなかったんですけど、僕が勝って。『格闘技向いてるかもな』って通い始めました」

 格闘技を始めて住み込みバイトも卒業。国際通りの居酒屋で働きながら約3年過ごした。「全然見た目も気にしなくなって、メガネをかけて坊ちゃん刈りで真面目に過ごしていましたね」。

 スパーリングだけで身に付けたスキルで格闘技イベント「THE OUTSIDER」にも出場。順風満帆な生活を送る中、20歳でいったん沖縄を離れることに。成人式出席のため地元に戻ったタイミングで事件が起きた。

「帰って『ハッピーニューイヤー!』ってやった1時間後に地元の10人ぐらいに集団リンチされたんです。僕がアウトサイダーに出ているのを知っていたみたいで、その10人は地下格闘技の集団やったんですよ」

 襲われるきっかけはあった。「酒を飲んで暴れておかしくなってる後輩がいて、それを止めていたら不意打ちで殴られて。僕もとっさにやり返してしまって」と苦笑い。

 その後、後輩の仲間10人に一方的に殴られ続けた。

「20分間殴られ続けました。ただ僕はそのとき冷静だったので『ここでやり返したら元通りになってしまう』って考えたんです。ずっとガードだけしていました。向こうが格闘技やっていたのを知っていたので『これだけやってくるんだったら1対1で試合せぇや』って言ったんですけど、“格闘技で語るな、俺ら不良だから”って返されて」

 20分間耐え続けたことで相手の大将に認められ集団リンチが終わった。このタイミングで平松はプロ格闘家になることを決めたという。

「ほんまにこいつら見返したいと思った。やり返してしまったらこいつら(不良)と一緒。とりあえず試合でボコボコにしたらいいやと」

 リンチにあった数日後、平松は宣言通り相手のボスのいる道場へ。路上の喧嘩ではなくスパーリングで文字通りボコボコにした。過去の因縁を清算できた一方で成人式には歯も折れた状態で参加した。

扇久保博正とのスパーでプロの壁を痛感「結局ボコボコに」

 その後は東京で格闘技をしながらできる仕事を見つけ上京したが、すぐに名門ジム・パラエストラ松戸(現THE BLACKBELT JAPAN)の門をたたいたわけではない。「THE OUTSIDER」に出場していたものの、この頃は総合格闘技とキックボクシングの違いも分からなかった。

「山本KIDさんと魔裟斗さんしか知らなくて、そこのジムのどちらかに行けたらなって。プロ選手も知らない状態で沖縄のチーム時代の知り合いに紹介してもらってGRABAKAジムに入会しました」

 しかし、プロ練習に参加していたわけではなく、クラスに出席してサンドバッグをたたく程度。スパーリングをしないままに大会に出場していたが、ある日プロ練習に参加したいという旨をSNSに書き込んだ。

「当時、アウトサイダーに出てたパラエストラ松戸に所属していた方が『うちおいでよ』って会ったこともないのに連絡くれたんです。それでネットで調べてみたらちょうど扇久保(博正)さんがTUFに出ていたタイミングで。『やばいな、こんな人いてんねや』って」

 連絡からすぐ、木曜日に体験に参加した。すると扇久保の姿をすぐに見つけた。「現役のチャンピオンがいるなら強くなれるな」と入会を即決した。

 ここで初めて格闘技を知ることになる。通常、プロのスパーリングはケガのないようにパンチなどは当てずにやるものだが、平松のやってきたスパーリングは、本番のような火花を散らすような殴り合い。「僕は地下格闘技出身なんで『根性あるな』って言われたいんですよ」と照れながら苦い思い出を口にした。

「『お前根性あるやん』って言われるのが僕らのジムだった。だから扇久保さん相手にもガチで行ってたんですよ。それで結局ボコボコにされるんですけど。そのときに扇久保さんに『練習相手いなくなるぞ』て教えてもらって、そこからプロのスパーを覚えました」

 その後、平松は格闘技団体・DEEPの舞台でプロデビュー。昨年11月にはRIZINという国内での大舞台にも出場し、2R・TKO勝ちした。

「ずっと出たかった。先輩たちが出てる舞台で戦いたいっていうのもあるし、昔の僕を知ってる仲間だったり、当時の人たちは『あいつはどうせ結果出せない』『なにもかも中途半端』って認識もあったと思う。そういう人たちにも結果を見せたかった。だからめちゃくちゃうれしかったです。そこがゴールではないんですけど」

 今後の目標は当たり前だが、ベルトを獲ること。

「週に2部練、3部練を6日やってる。DEEPのベルトは今年までには獲るって決めてる。太田(忍)さんの後ぐらいに(RIZINも)獲れたらと。1番やりたいのは福田(龍彌)さん。でも牛久選手に奪われてしまったので、知名度をつけないととも思っています。瀧澤(謙太)選手にも勝ったので、打撃の人とやってMMAは甘くないっていうのを見せたいなと思います」

 己の拳を喧嘩に使わないと決めてから10年がたった。喧嘩に明け暮れていた非行少年がいまはプロ格闘家として大きな夢を抱いている。あのとき、集団リンチに対し、やり返さずに耐えた20分は平松のなかで大きな財産となっているに違いない。

【写真】非行に走り少年院に2度入った過去…特攻服に身を包む非行少年時代



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編集部の感想:
平松翔選手の波乱万丈な人生に感銘を受けます。彼が過去の非行を乗り越え、資格を取得し、プロ格闘家として活躍している姿は希望の象徴です。どんな困難にも屈せず前進する姿勢に、多くの人々が勇気をもらえるでしょう。

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