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概要
この記事は、著者がiPhoneとAndroidの使用体験を述べ、両者の利点と欠点について考察している。特に日本におけるiPhoneの優位性や、自身の左利きとしての視点からのAndroidに対する愛着について語られている。また、著者が感じる多動性や不器用さについても触れ、自身の特性を理解するための考察を行っている。
要約(箇条書き)
- 著者はiPhoneとAndroidの両方を使用し、それぞれの良さを感じている。
- Androidのキーボードでの使いやすさと大画面での読みやすさを好む一方、iPhoneの便利さも理解している。
- 日本ではiPhoneが優勢であり、周囲とのコネクトでiPhoneを選ぶことがある。
- 自身が左利きであるため、Androidの「左利き的」な立ち位置に愛着を持っている。
- 多動性や不器用さについての自己理解を深め、子供たちの特性に対する感覚を持っている。
- 自分に合った好きなものを使うことが重要だと感じている。
日本は若干iPhone優勢みたいなところがあって、だからこそ同調的な感じは少なからずあるのかなと思っています。iPhoneでないと駄目じゃないのに、iPhoneではないと仲間に入れないような、どこか「iPhoneじゃないの?」みたいな空気。
まあ、Androidがグーンと伸びているのでだいぶiPhone以外のスマホユーザーを見かけることは多くなりましたが、それでも日本はまだまだiPhoneですね。
わたしは同じが苦手なところがあって、だからこそしばらくAndroidユーザーでした。昨年の9月にiPhone16が発売されて、割と評価が良かったことや周りとのコネクトの関係でiPhoneを購入した訳です。それからしばらくはiPhoneメインで運用していました。 やはりiPhoneだと不自由はないんですよね。 うーん、例えていうとiPhoneは右利き、Androidは左利きみたいなイメージです。世の中iPhoneユーザーが多いので、便利。無いということがほぼ無い。
一方でAndroidは増えているとはいえ、不便さは残っていてそれがたまにネックになる。
で、わたしは左利きなので、Androidのそのなんとも言えない立ち位置が好きだったりするのです。
多数を苦手とするわたしにとって左利きは不便だけれどアドバンテージでもあって。
だから、iPhoneがメインであっても、しばらくAndroidユーザーだったわたしにとってAndroidが愛おしくなってしまうのかもしれないですね。
無い物ねだり。
要するに、自分が上がる好きなものを使えばいいじゃーん!って話です。
全くスマホの話と関係ないのですが、昨日親友と話していて、改めて言葉にしたことがあります。自分が恐らく多動気味であること。大人だから「動いてはいけない」という時はわきまえているつもりだしそういう時は止まれているはずですが。以前から自分を俯瞰した時に、立っている時に持て余す感じで、ついからだを揺らしたり動いたりするなあと。留まっていられない。人の名前も間違えるし、ストローをうまく開けられず袋がビリビリになる。
まあ、これは多動というより不器用なんだと思う。
子どもたちの特性を考えたりする時に、だから気持ちが少し分かったりもする。
止められない、悪気はない。
今までぼやかしていた部分を改めて言葉にすると自分にもしっかり落ちる。ああ、だからそうなのかと。
色々と、考えると面白い。何でも面白いと思いたい。
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