木曜日, 7月 3, 2025
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ホーム音楽活動10,000人からスマパンに選ばれた厨二病のメタル・ヒロイン: SMASHING PUMPKINS来日特集!夏目進平

10,000人からスマパンに選ばれた厨二病のメタル・ヒロイン: SMASHING PUMPKINS来日特集!夏目進平

🧠 概要:

概要

この記事では、キキ・ウォンが10,000人のオーディションを経てSMASHING PUMPKINSの一員となった経緯や、彼女の音楽的影響、演奏スタイルの変化について語られています。ウォンは厨二病的なメタル・ギターへの情熱を持ちながら、バンドとの共演を通じて演奏技術を向上させ、新たな音楽的理解を得たことを明かしています。

要約

  • キキ・ウォンは15歳でメタル・ギターを始め、SNSでの人気を得る。
  • 10,000人のオーディションに合格してSMASHING PUMPKINSのメンバーに。
  • バンド加入により演奏スタイルが多様化し、新たな技術を習得。
  • 厨二病的なメタル愛を持ちつつ、アコースティック要素も取り入れる。
  • オーディションの過程で、大きな緊張と期待の中で演奏。
  • ビリー・コーガンとの会話で彼をフォローしていることを知り、感激。
  • 他のメンバーとのジャムセッションを通じて相互に影響を受ける。
  • SMASHING PUMPKINSの音楽は複雑で、アレンジに挑戦を感じる。
  • 自分のメタルスタイルを維持しつつ、バンドのサウンドにも貢献する意欲がある。
  • 音楽への愛と努力が彼女の成長を支えていることを語る。

10,000人からスマパンに選ばれた厨二病のメタル・ヒロイン: SMASHING PUMPKINS来日特集!夏目進平

「寝室でメタル・ギターを弾いていた15歳の私が、こんなことになるなんて思ってもみなかった…今でも信じられないわ!」

才能に溢れ、インスタグラムのフォロワーは70万人を突破。テイラー・スウィフト、アッシャー、ブレット・マイケルズらと共演した華々しい経歴を持つキキ・ウォン。そんな彼女にとって、10,000人のオーディションを勝ち抜き、ビリー・コーガンとその仲間に加わる奇跡こそ、夢が叶った瞬間でした。

「SMASHING PUMPKINS のおかげで、自分の演奏を10倍以上に多様化することができた。このバンドに参加する前は、自分はただ一芸に秀でた人間だと思っていた。 私はメタルが大好きなの。 厨二病が大好き。 不必要なシュレッド、ノイズ、ハイゲインの悪ふざけが大好きなのよ。それまで、アコースティック・ギターはほとんど弾かなかった」

しかしウォンは、必要な戦術の変更を受け入れることに決めました。

 「文字通り砂漠に住んでいた私が、最も影響力のある90年代のロックンロール・バンドのひとつとワールド・ツアーに飛び込んだことは、今でも衝撃的。でもそのおかげで、ミュージシャンとして向上し、音楽的理解を広げることができたの。SMASHING PUMPKINS は、多くの新しいタイプのサウンドやエフェクトに目を開かせてくれた。 私はこれまでの個人的な音楽活動ではエフェクトをあまり使わなかったの。このバンドのペダルボードの充実ぶりは、まるで学校に戻って、技術的な能力に集中するのではなく、音の使い方やよりダイナミックになる方法を学ぶような感じだった」

スタジアムでヘッドライナーを務めるバンドの一員となったことは、ウォンにとって大きな転機となりました。 アップグレードされたパフォーマンスもさることながら、ギアに関する視野が大きく広がったのです。

「この世界に入ってきて、より多くの深みに触れることができた。今まではただ、自分ひとりで物事を理解しようとしてきただけだったけど、今は5人の仲間がいる。彼らは皆、バックグラウンドも興味も違う。そして、ギター、アンプ、エフェクトの良さ、さまざまなトーンに触れることができたわ」

しかし、それは決して一方通行のウォンだけが受けた恩恵ではありません。 ウォンもシュレッドに適したジャクソン・ローズのギターでバンドにメタルのエッジをもたらしました。つまり、90年代のオルタナティブ・ロック・ヒーローにとっては、驚くほどメタルな人選でした。

 「パンプキンズ・スタイルのロックを学ぶのは、間違いなく挑戦だったわ。彼らの演奏スタイルには、とても多くの感覚とリズムの雄弁さがある。 ギターのレッスンを受けたり、ブルースのルーツに立ち返ったり、自分の演奏に取り入れるためにもっとアコースティックに演奏したりもした」

ウォンはメタル・ファンではありますが、幸い90年代の多くの子供たちと同じように、パンプキンズの音楽も聴いて育ちました。

 「初めて “Bullet With Butterly Wings” を聴いたとき、完全に打ちのめされたことを覚えているわ。ギターに夢中になっていた子供だった。だから、”Cherub Rock” は、ミュートがとても繊細で、私には本当に衝撃的だった。パーム・ミュートは、初心者の私にはちょっと難しかった、 だからリズム・プレイをもっと練習しようという気にさせてくれたのよね」

インディーズ・アーティストからソーシャルメディア・インフルエンサー、そして SMASHING PUMPKINS のツアー・ギタリストと、ウォンは長い道のりを歩んできました。 

「ピアノは6歳から、ギターは13歳から、ドラムは16歳から。20歳のときからツアー・バンドに参加している。 音楽とは愛憎入り混じった関係で、3年間ギターに触れずに会社勤めをしていた時期もあるのよ。
観客が誰もいないようなクソみたいなショーや、ステージから蹴落とされるようなショー、フェスやテレビの生放送で放映されるようなポップ・アーティストのショーにも出演してきた。 私は徹底的に戦い、自分の信念を貫いた。 他の人よりも時間がかかると思ったけど…でもいつかは私のメタルの馬鹿げたビデオで世界征服を企んでいたの」

10,000人の応募者の中に入ったきっかけはなんだったのでしょう?

「ボーイフレンドの親友が、オーディションのDMを送ってきたの。一見、本物の投稿だとは思わなかった。 でも、クリックして本物だとわかったとき、”みんなにチャンスを与えるなんて、なんてすごいことをやっているんだろう” と思ったわ。
でも、私には小さな子供がいるから、ツアーに出る日々はもう終わりだと思っていたのよ。 私の夢はいつも観客の大勢を前に演奏することだったけれど。
最後はボーイフレンドに背中を押された。応募するように言ってくれたの。それで履歴書を書いて送ったんだけど、すごい数の履歴書が送られてきて、その中に埋もれてしまうんじゃないかと思ったわ。 そして、すべてを変えるメールを受け取った。
バンドとZoomミーティングをしたんだ。 とても緊張していたけど、雰囲気は良かった! 彼らは私を家族の一員のように感じさせてくれた。 確かに怖かったけれど、とても魅力的で素晴らしい経験だった。
次のステップはLAでの対面オーディションだった。 その間には待ち時間があったし、その時点では他のギタリストに決まったと思っていた。 でも、オーディションの時間をもらって、家族全員でフェニックスから車を走らせたんだ。
オーディションを受けた翌日、人生を変えるような電話がかかってきた。 正直、あんな喜びは子供が生まれて以来だわ!」

オーディションの過程はどのようなものだったのでしょう?

「対面式のオーディションは、最初はとても怖かった。 4曲演奏するように言われたの。”Today”, Cherub Rock”, “Jellybelly”, “Bullet With Butterfly Wings”。3週間、命懸けのように練習したよ。ライブビデオをありったけ見て、彼らのすべての動きを分析しようとした。 ただ自分が思ったようにやるのではなく、確実にやりたかったんだ。
会場に着くと、ドラム・テックのヴィックが優しく励ましてくれて、私の緊張をほぐしてくれた。 彼はとても優しく、こう言ってくれた。”10,000もの応募があり、直接会うために選ばれたんだ。 たとえここまでしか来られなかったとしても、よくやったよ”。 それは私を良い気分にさせ、私の脳内の混乱を落ち着かせてくれたの。
中に入ってみると、そこは私が今まで行った中で最も大きなリハーサル・スタジオのひとつだった。 OGのラインアップがほぼ全員そこにいたから、私の心臓は時速100万キロで動いていた。 10代の頃を垣間見たような気分だったよ!
それに、みんないい人たちだった。 バイブスがすごく良くて、緊張を忘れてジャムってた。 その瞬間は、ギグが決まろうが決まるまいが、どうでもよくなっていた。 そんな伝説的なプレイヤーたちとジャムセッションできたことにとても感謝している。 本当に」

ビリー・コーガンとの最初の会話はウォンにとって忘れられないものとなりました。

「Zoomコールを始めたとき、ビリーが最初に言ったことのひとつは、ソーシャルメディアで私をフォローしていること、いつも私のビデオを見ていること、そして私の作品のファンだということだった。
その瞬間、私の魂は体から抜け出し、心臓が止まったと思う! 正直なところ、今までもらった中で最も素敵で、最も納得のいく褒め言葉だった。
それから私たちは、音楽について、ギタリストに何を期待するかについて、そしてもっと重要なのはダイムバッグ・ダレルについて話した。 私が反抗的で怒りっぽいティーンエイジャーだった頃、彼は亡くなったばかりだったから、サクラメント一帯の壁に “RIP DIME” と落書きしたものだった。
ビリーは PANTERA のライヴを何度も観ている。 ビリーがヘヴィ・メタル的な一面を持っているのは超ラッドだよ。 オルタナティブ・ロックとメタルの境界線を融合させるインスピレーションを与えてくれた。 絶対に画期的なことだ。今、その一部になれて嬉しいよ」

ビリー、ジェームス・イハ、ジミー・チェンバレンとの相性も抜群でした。

「彼らのレベルでジャムる価値があると思われるなんて、かなりワイルドだよ。このレベルのミュージシャンとジャムるのは、ちょっと違うんだ。 すべてがロック・インして、レコードと一緒に演奏しているような感覚になる。
アンプから直接音を出してジャムることができて、10代の頃に演奏していたときのことを少し思い出した。
ビリーは本当に素晴らしくて、文字通り音楽の天才だ。 ジミーは他にはない懐の広さを持っていて、まさにドラム・シュレッドの達人だ。 そして、ジェイムスは演奏に個性とスタイルを加えている。 彼らがやっていることを真似できる人は他にいないよ。そして私には埋めなければならない大きな穴がある。ジェフは本当に素晴らしいプレイヤー。 彼のスタイルを埋めるのは不可能に近い。
彼のパートを練習しながら、フィーリングについて多くを学んだわ。強さを活かして弦を叩いたり、ベンドをかけたり、エフェクトをかけたり、ヴォイシングをしたり。 彼は私に大きなインスピレーションを与えてくれたし、とても尊敬しているの」

ジェフ・シュローダーという最大の難関に挑めたのは、メタルとその回復力があったから。

「ジェフのエフェクトの知識とフィーリングを真似するのはとても難しいと思う。 彼はとても面白いヴォイシングをたくさん加えてくれた。 私のボイシングはこれまでとは違って新しいものになるだろうし、私のスタイルに慣れていない人もいるかもしれない。 でも、 SMASHING PUMPKINS の象徴的なサウンドを汚すことなく、可能な限りベストな方法で、サウンドにちょっとした塊と汚れをもたらすことができればと思っている。正直なところ、私は絶対的なベストプレーヤーではないかもしれない! 私は日々学び続け、向上しようとしている。 私が持っているのは、ギターとメタルに対する不滅の愛だ。
ギターとメタルに対する不健康な執着と、ちょっと自虐的なユーモアのセンス。 でも、それでパンプキンズのヘヴィな面を少しでも引き出せればと思っているの。
ジェフのパートは私が引き継ぐことになるけど、私自身のソロや追加のためにいくつかの部分を空けてくれている。同時に、アルバムにとても近い状態を保とうとしているけどね」

SMASHING PUMPKINS のスコープに合わせるために、アプローチを変えることが彼女の成長につながりました。

「ビリーとジミーがくれた最高のアドバイスのひとつは、レコードをよく聴いて、パンプキンズのポケットを感じることだった。 最近の多くのバンドは、クリックに合わせて演奏したり、鼻先で叩いたりすることに慣れているから、少し機械的に聴こえるからってね。
パンプキンズには独自のポケットがあり、私はそれを学んで適応しようとしている。本当に驚かされるよ」

コミットするのに最も悩んだのは “Mellon Collie and the Infinite Sadness” 収録の “Thru the Eyes of Ruby” でした。しかし、彼女が頭を悩ませたのはこの曲の複雑さだけではありません。

「エフェクトやハーモニーのパートが多すぎて、覚えるのが大変だった。SMASHING PUMPKINS の音楽で難しいのはアレンジだからね。
音楽的センスとメインストリームへのアピールを保ちながら、オーケストレーションが巧みで、直感に反している。 本当に天才的で習得するのも難しい。非常識に聞こえるかもしれないけど、簡単な曲でも緊張してしまうことがある。もしその音をミスったら、パート全体が台無しになってしまうって。 だから “Today” は時々緊張するんだ(笑)」

SMASHING PUMPKINS に加入して、ソロの中にリズムギターの美学を取り入れることができるようになりました。

「”私はあなたのお気に入りのリズム・ギタリストになる” と言うのが好きなんだ。これまでは、ソロこそが挑戦だった。でも、自分のルーツに戻って、自分の演奏の隙間を埋めようとしているんだ。
YouTube以前のインターネットで独学でギターを学んだから、ギターの知識にはまだ足りない部分がたくさんある。ただシュレッドのためにシュレッドするのではなく、ソロの中で印象的なメロディック・ヴォイスを作り出そうとすることが、私の目標となっている」

ウォンは自由に伸び伸びとビッグ・バンドのプレッシャーを楽しんでいます。

「正直なところ、彼らが私のプレーを信頼してくれていることは本当に光栄なこと。アルバムのサウンドを守りつつ、ソロの部分で自由を与えてくれているのだから、本当にクールだよ」

SMASHING PUMPKINS との旅で得たものはなんでしょう?

「私はソーシャルメディアに力を入れ、自分らしくいることに専念してきた。 人々がそれを好きか嫌いか、どちらでもいい。それはそれでいい。でも、その努力を積み重ねてきたからこそ、今の私があるの。
どんなに多忙でも、他のことをやらなきゃならなくても、一日の終わりに、私はいつも音楽に戻った。 どんなに物事がめちゃくちゃになっても、いつも音楽が私を導いてくれた。 そして今、私の夢はついに叶った。 私を信じてくれた SMASHING PUMPKINS と、私の旅を支えてくれたすべての人に感謝してもしきれないよ」

参考文献:



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