月曜日, 5月 5, 2025
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[インタビュー]“ゲーム界の風雲児”飯野賢治生誕55周年レコード発売記念,伝説のバンド「NORWAY」メンバーに,飯野氏との想い出を聞く



 かつて「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」「リアルサウンド〜風のリグレット〜」といったタイトルを世に出し,“ゲーム業界の風雲児”と呼ばれたゲームクリエイターの飯野賢治氏。2025年は,42歳の若さで世を去った飯野氏の十三回忌の年であるとともに,5月5日には生誕55周年となる記念の年でもあり,数々の企画が開催される予定だ。
 その1つとして,生前に制作した楽曲から55曲を厳選して収録したアルバム「KENJI ENO 55」が,全世界に向けてデジタル配信される。数々のゲームを彩った楽曲を始め,晩年に活動していたバンド「NORWAY(ノルウェイ)」の楽曲も楽しめるとのこと。

「KENJI ENO 55」
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【NORWAYメンバー】
飯野賢治/担当:プロデューサー,リズムトラック,シンセ
浅岡雄也(FIELD OF VIEW)/担当:ボーカル
HISASHI(GLAY)/担当:ギター
セキタヒロシ/担当:ベース
Taccs(たっくす)/担当:シンセサイザー
みのやん/担当:ミックス
上野美香/担当:PR・マーケティング
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 NORWAYには,FIELD OF VIEWのボーカル・浅岡雄也氏や,GLAYのギター・HISASHI氏を始めとした錚々たるメンバーが顔を連ね,飯野氏が敬愛する坂本龍一氏の楽曲などをカバーしていた。今回4Gamerでは,NORWAYのメンバーである浅岡氏,セキタヒロシ氏Taccs(たっくす)氏上野美香氏にインタビューし,飯野氏の素顔や制作秘話を聞いた。

(前列左)浅岡雄也氏/担当:ボーカル
2025年に結成30周年を迎えるロックバンド,FIELD OF VIEWのボーカルを務める
(後列右)セキタヒロシ氏/担当:ベース
ベーシスト・作曲家。とくP(阿部尚徳),LiSAなど数々のアニメ作品やアーティストのCD及びライブサポートを務める
(前列右)Taccs(たっくす)氏/担当:シンセサイザー
NORWAYの音楽メンバーでは唯一の“素人”(本人談)。当時はサラリーマンをしながら活動していた
上野美香氏/担当:PR・マーケティング
Twitterが日本でも利用できるようになった当時,国内に広げるための仕事を飯野氏と行っていた
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「飯野賢治生誕55周年記念企画」

お互いを尊敬,刺激し合うプロデューサー達。

「ここがすごい!」と驚いたポイントとは?

――バンドの結成経緯を教えてください。

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Taccs氏:
 2010年頃,ニコニコ動画やYouTubeに,僕が趣味でYMOのカバー動画を10曲くらい上げていたんです。するとある日,飯野さんが「こいつすげえじゃん」みたいなツイートをしてくれたんですよ。それで,「『Dの食卓』の人が俺のこと言ってる!」とうれしくなって。お互いにYMOが大好きだし,ぜひ話しかけたかったんですが……以前,動画へ辛らつなコメントが来ることがあったので,僕はプロフィールで自分はノルウェイ人だって嘘を書いていたんですよ。


Taccs氏:
 そしたら,飯野さんからノルウェイ語のDMが来て(笑)。僕はノルウェイ語なんて分からないから無視していたら,今度は浅岡さんが日本語で話しかけてきてくれたんです。
浅岡雄也氏(以下,浅岡氏):
 僕はもともと飯野さんをフォローしていなかったんですが,Taccsについてツイートしていたのがたまたま流れてきたんですよ。聴きに行ったら「かっこいいの作ってる,いいじゃん!」と思い,2人にメンションを飛ばしました。
Taccs氏:
 その後,飯野さんとお話したときに「すみません。実は僕,めちゃくちゃ日本人で埼玉に住んでるんです」と白状したら,「坂本(龍一)さんに『ノルウェイ人がカバーしてるんですよ』って言っちゃっただろ。俺の信用どうしてくれるんだよ!」って怒られました(笑)。
浅岡氏:
 それから3人で話すようになりました。僕は飯野さんがYouTubeに上げていたYMOのカバーを勝手にダウンロードして歌を入れたりして(笑)。そうやって3人でネット上でいろいろと絡むようになったのが,NORWAYの原点ですね。
Taccs氏:
 なので,バンド名も最初の僕の嘘から来ています。飯野さん曰く「一生(嘘をついた)十字架を背負っていけ」と(笑)。それで,やりとりをするのにTwitterでは文字数が足りず,2011年くらいにクローズドな掲示板を作ったんです。セキタさんと美香さんがメンバーになったのは掲示板ができたあとでしたね。
セキタヒロシ氏(以下,セキタ氏):
 僕は,浅岡さんが飯野さんに「(何かやるなら)ここにベースいるよ!」って言ってくれたんですよ。


Taccs氏:
 それからメンバーが増えて,GLAYのHISASHIさんも入ることが決まったとき,これは広報がいる! となって美香さんが入ったんですよね。本気でやるぞ,広めるぞっていう。
上野美香氏(以下,上野氏):
 あ,そうだったんですね(笑)。私が飯野さんと知り合った当時,まだTwitter Japanは無かったんですが,一緒にTwitterを国内に広めるための仕事をしていたんです。するとあるとき突然「バンドに入らない?」と言われて,「楽器はできませんよ!?」と答えたら,そうじゃなくてマーケティングと広報をやってほしいと。
セキタ氏:
 飯野さんは“バンドに関わっている人は全員バンドメンバー”っていう考え方だったんですよね。かっこいい。

飯野氏もメンバー達も

音楽を心から楽しんでいたNORWAY

――NORWAYでの音楽活動を通して,飯野さんとのエピソードがあれば教えてください。
浅岡氏:
 「YMOを本気で愛しているんだな」というのはすごく感じていました。僕にとっては “神々”でしたが,飯野さんは気軽に「坂本さん」って呼べるくらいの仲で「そうなんだ……」と。それで昔,飯野さんに「WORLD HAPPINESS」(高橋幸宏氏が主催した音楽フェスティバル)に連れて行ってもらったとき,メンバーを紹介してくれたんです。もう,泣くしかなかったですね。

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Taccs氏:
 僕はガチのプロのメンバーの中で唯一の素人だったので,最初はすごく緊張していました。でも,飯野さんはいつも「周りがプロだからこそ,Taccsは自由にやりなよ。みんながまとめてくれるから」って言ってくれていたんです。僕も飯野さんも,職業が音楽家じゃないからこそできることをやろうって。あったかい人だなと思いましたし,だからこそ僕はNORWAYでやってこれたと思います。
セキタ氏:
 飯野さんって猛烈な人じゃないですか。何かやりたいことを思いつくと,伝えるより先にやってるんですよね。あれはすごいなと。
浅岡氏:
 そうそう,言ったと思ったらもうやってる(笑)。
セキタ氏:
 「遠足しよう!」と思ったらもうバスを借りてるし,スイートルームでの生配信()もそうでした。
 音楽的には,自分なりの観点がはっきりある人でしたね。例えば,僕がこだわってベースを弾いているところは,ちゃんと聴いていてくれるんです。自由にやらせてくれたうえで「いいね」って言ってくれて。ゲームプロデューサーとはいえ,音楽にもすごくこだわりを持っているんだなと。いろいろな音楽を聴いているからこそ,大切にされているのが素敵だなと思っていました。

※【NORWAY featuring Miu Sakamoto】
2011年7月22日,グランドハイアット東京のスイートルームから,NORWAYメンバーが坂本美雨氏をゲストボーカルに迎えた生配信。
プラットフォームはUSTREAMで,ライブではなく「Never Ending Story」のカバー楽曲制作からレコーディングまでを12時間にわたって配信したもの。世界各国から約3万人に視聴された。

飯野氏のブログ

上野氏:
 私は飯野さんと音楽的な話をしたことがないんですよ。掲示板でメンバーが話していても,専門的すぎて何の話だか全然分からなくて,新入社員みたいな感じでした(笑)。あと,私がNORWAYに入る前からですが,飯野さんのコミュニケーションってあらゆる手段を使うんですよね。ビジュアルだったり音だったり,言葉とメールを使って伝えるみたいなことをしない人で。映像も画像も音楽も作れるんだなと思っていましたが,掲示板を見ていて,あらためてすごいなと思いました。
浅岡氏:
 掲示板はクローズドでしたが,最近になって(Taccs氏が)面白いエピソードを公開してくれたんですよね。


Taccs氏:
 数えてみたら,掲示板では3600回のやりとりがありました。読み返してみて,皆さん忙しかったり立場があったりするにも関わらず,本当にバンド活動を楽しんでる感じがすごかったです。いつか全部まとめて出してやろうかな,と思ってます(笑)。
浅岡氏:
 息抜きだったかもしれないね。自分の本業の活動とはまた別に,音楽で遊ぶみたいな。
――集まって演奏したのは,スイートルーム配信と高尾山でのライブ(2011年9月11日)だけだったんですね。


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セキタ氏:
 NORWAYはネット上で集まって曲を作っていたので,スイートルームでの配信の前は直接会ったことはおろか,一緒に演奏することもなかったんです。NORWAYとして唯一やったライブが高尾山のやつですかね。
浅岡氏:
 GLAYの「グロリアス」を3回ぐらいやったんですよね。全然人が見に来ないから,「ほら,GLAYだよ!」みたいに何回も(笑)。
上野氏:
 あ,でも「グロリアス」は,スイートルームの生配信のときも明け方に演奏しませんでしたっけ?
浅岡氏:
 やった! 飲みすぎてベロベロになりながら,シャンパンの瓶をマイク代わりにして歌った(笑)。あの当時は動画のプラットフォームが普及してきて,CDとも折衝していく中でしたが,(NORWAYは)ネット上でできることをかなり早い段階でやっていたと思います。
――もしWARPが続いていたら,ゲーム制作や打ち合わせの様子を生配信していたかもしれませんね。
セキタ氏:
 確かに。それは面白いですね,ぜひ見たい。

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浅岡氏:
 NORWAYで活動していた当時が,まさにそういう時代になってきていたんじゃない?
Taccs氏:
 あとは東日本大震災(2011年3月)の影響もありました。当時,浅岡さんも,この先の仕事のやり方を考えていくときだとおっしゃっていましたね。NORWAYの活動はすごく楽しいから救われた,という話もよくしていましたね。
セキタ氏:
 SNSもまだ目新しかったし,面白いものや知らないものを手探りしていましたね。ネット上の活動とはいえ,本当に楽しかったです。
――もしNORWAYが続いていたら,どこでライブをやってみたかったですか。
Taccs氏:
 飯野さんはよく「フェスに出たい」って言っていましたね。それこそフジロックみたいな。
浅岡氏:
 僕はHISASHIくんがいたから,GLAYの活動を止めるわけにいかないし,なかなかライブは無理だろうと思っていました(笑)。
Taccs氏:
 あ,でも実は,飯野さんが10曲くらいのセットリストを作っていたんですよ。これでフェスに出たいな〜って。

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浅岡氏:
 マジで!?
Taccs氏:
 映像と画像で残してあるんですよ(笑)。

素顔の飯野氏について。

意外と寂しがり屋なエピソードも

――飯野さんの素顔について,音楽活動以外のエピソードがあれば教えてください。

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浅岡氏:
 (等身大パネルを指して)いつも全身黒でこの格好だから,ゲームとかの仕事が忙しくて着替えてないんじゃ? って思っていました。そうしたら,同じ服をたくさん持っているんだと(笑)。
――ゲームファンにはWARPの時の黒スーツがおなじみですね。あれも,似たものをたくさん持っておられたかと。スティーブ・ジョブズみたいに……。
浅岡氏:
 そうそう! そういうイメージだったんだと思う。
Taccs氏:
 あと,みんなで遠足をした日にお酒を飲んだエピソードがあります。あの日は「ルパン三世のテーマ」を含めて4曲リリースする予定でした。帰ってきてから恵比寿の飯野さんの事務所にみんなで行ったんですが,飯野さんは動画をアップしなければいけなかったので,部屋にこもって写真を加工したりしていたんですよ。でもほかのメンバーは,しこたまバスの中で飲んでいたのに「飲み足りねえ!」って言って,飯野さんを置いてお酒を買いに出て。

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上野氏:
 私とTaccsさんが酒屋さんでお酒を買っているあいだに,浅岡さんとHISASHIさんが飲み屋のテラス席で飲み始めていて(笑)。
浅岡氏:
 あの頃は酒クズだったからね……。
Taccs氏:
 そのあと大量のお酒を持って事務所に帰ったら,不機嫌そうな飯野さんが「俺もペースを合わせる」って言って飲みだして(笑)。でもあまりお酒が強いほうじゃないので,かなり酔っ払っていましたね。
セキタ氏:
 僕は音楽モードになっているときにしかお会いしたことがなかったので,飲むときも音楽の話をしていました。あと,飯野さんはみんなが話しているのを楽しそうに見ていた印象がすごくあります。ニヤニヤして,時々ツッコミを入れたり。
浅岡氏:
 僕は意外と精神論の話をしてました。ものの捉え方にしても,お互いに近いものがあるなと感じていたし,なんでもやっちゃったもの勝ちだよねって。
上野氏:
 ご本人にそんなつもりはなかったかもしれませんが,すごく刺激されました。エンタメや技術やいろいろ興味範囲が広いですし,行動も話すことも予想がつかないんですよね。それが自然に出てくる方でした。
――ちなみに,飯野さんと一緒にゲームで遊んだことのある方はいらっしゃいますか。
浅岡氏セキタ氏:
 ないですね。
上野氏:
 私もないです。
Taccs氏:
 飯野さんはApple製品がすごく好きだったのでずっと勧められていて,iPhoneを買ったんです。それで,飯野さんが作った「one-dot enemies」(2009年3月)をインストールしてくれて,一緒に遊んだ想い出があります。
――飯野さんの言葉で印象的だったものはありますか。
Taccs氏:
 僕は「ビッグウェーブに乗り遅れるな」って言われたのが印象に残っています(笑)。ミリオンセールスを生んだアーティストやゲームでヒット作を飛ばしたクリエイターがいるバンドで,日本中を探したってそんな人と一緒にバンドをやってるサラリーマン(Taccs氏)なんていないんだから,このビッグウェーブに乗り遅れるなよ! と。その言葉が印象的でした。
浅岡氏:
 僕もいろいろ言われたと思うんですが,やっぱり「この人って自分と同じだ」という印象が強かったんです。掲示板を掘り起こしたらいろいろ残ってそうですが,飯野さんの行動力は見習わなきゃなといつも感じていました。
セキタ氏:
 僕も特定の言葉というよりも,「思いついたらもうやってる」が印象深いですね。そういえば,高尾山に行った日,全員でお蕎麦屋さんに立ち寄ったんです。そうしたら飯野さんが,お店の人に「色紙あります?」って聞いて,NORWAY全員でサインを書きました。お店の人は僕達のことを全然知らなかったのに,無理やり飾ってもらったんですよ(笑)。
浅岡氏:
 あれは飾ってもらったというより自分で飾ったんだよ。サイン書き終わって,飯野さんが自分で画鋲で壁にブスッと(笑)。

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Taccs氏:
 その後,浅岡さんやHISASHIさんのファンがお店に行って写真を撮ったりするようになったそうで,お店の人も「これは貴重なものだったのか!」となって,きちんとラップで包んだそうです(笑)。そのお店はもうないので,どこかに残っているかどうかは分かりませんが……。
 あと僕,飯野さんのところに遊びに行ったら,缶コーヒーを飲みながら話していて10時間くらい帰してもらえなかったことがあります。
一同:
 10時間!?
Taccs氏:
 もう終電なんですけど……って言っても,「分かった分かった」って(笑)。事務所を出てからもずっと,飯野さんの散歩コースを歩いていました。猫が集まる魚屋さんがあって,猫の写真を撮りながらまた何時間も話したり。飯野さんって勢いがすごい人だけど,寂しがり屋なのかなと思いましたね。
浅岡氏:
 確かに,それは感じたなあ。
上野氏:
 Twitterにしても,コミュニケーションを取りたいし反応が欲しい人ですよね。NORWAYで活動していた頃も,時々「すごく幸せ」って言っていました。ブログでも書かれていましたが,音楽をやって救われたし,幸せだと。そういうときはいつもの空気と少し違うので,本当にそう思っているんだろうなと感じました。

「NORWAYのライブ。幸せな空気。平和な日常」eno blog(2011年7月24日)

――NORWAYの活動は飯野さん主導で決めていたそうですが,もし,飯野さんも含めてNORWAYが再活動して,自分に決定権があるとしたら,どんなことをやってみたいですか。
Taccs氏:
 飯野さんが発足して,志し半ばで終わってしまった「ILCA(イルカ)の学校」ですね。飯野さんはNORWAYを音楽講師として迎えたかったそうなんですよ。子供達に「こんなビッグな人達が,こんなに楽しく音楽やってるんだよ」と広めたかったんだと思います。そして,将来的には子供達と一緒に音楽を作って出せたりしたら面白いな,とも。

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 2013年4月6日,“新時代のイノベーター養成プログラム”「イルカの学校」において,特別講座「夭折の鬼才 飯野賢治を学ぶ。」が行われた。“映像で振り返るKenji Eno”をテーマとしたこの講座では,飯野氏と親交の深かったILCAの発起人およびゲストによるトークも繰り広げられた。その模様をお届けしよう。


[2013/04/09 14:44]

セキタ氏:
 実は飯野さんが亡くなったあと,NORWAYとして「あまちゃん」(2013年放送のNHK連続テレビ小説)のテーマを含めて何曲かやったんですよ。みんなで飯野さんの感性を持ったまま作ったので,そこの続きとして,飯野さんがいたらどんな感じだったのか一緒に演奏してみたいですね。
浅岡氏:
 僕はやっぱりまたYMOカバーをやってみたいですね。YMOも坂本さんと高橋さんの2人が鬼籍に入ってしまったし,飯野さんが生きていたらどんなふうに受け止めたんだろうと。僕は彼らの訃報を1年くらい引きずりましたしね。
Taccs氏:
 今回のアルバムのほかにも,飯野さんが作った音は残っていて,今とある企画をしています。この記事が出る頃には発表できていると思いますが……。そもそも,NORWAYは解散していないですからね。飯野さんが不在でも,自分達にできることをやれたらと。
――最後に,読者に向けてメッセージをお願いします。
浅岡氏:
 今回のアルバム「KENJI ENO 55」に,あんなにたくさんのNORWAYの楽曲を入れてくださってすごくありがたかったです。実は僕のバンド(FIELD OF VIEW)も30周年なので,そこに弾みをつける感じで(笑),このアルバムもぜひたくさん聞いていただけたらと思います!

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