月曜日, 5月 26, 2025
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音楽産業は"キラキラ"を取り戻せるのか?: イーサーンが語る失われた想像力と神秘性夏目進平

🧠 概要:
この記事は、音楽産業の現状とその変化を考察し、「所有感」や「想像力」の喪失について探求しています。特に、イーサーンが語る「神秘性」や「人との関係」がもたらす重要性を強調しましょう。

### 概要
音楽産業は、デジタル化に伴い、リスナーとの関係性やアーティストの神秘性を失っている。この変化により、リスナーは音楽との「所有感」や「想像力」を喪失し、アーティストとの特別な関係を築くことが難しくなっている。イーサーンは、音楽の楽しさを再発見するための方法を模索する必要性を訴えています。

### 要約(箇条書き)
– 人生での入院を機に、死のリスクを意識し、快楽を重視するように。
– ソシャゲ(特にガンダム)への重課金経験から得た「所有感」について。
– 音楽のデジタル化が「所有感」の喪失を引き起こしている実態。
– 音楽産業は選択肢の多さとそれによる購買欲の低下に直面。
– 昔はアルバムに対する想像力が深く、アーティストとの関係が強かった。
– SNSが神秘性を減少させ、リスナーの想像を阻害している。
– 成功するバンドは神秘性や独自性を持ち、ファンとの強い関係を築いている。
– 現在の音楽市場は飽和状態で、新しいアーティストが目立つことが難しい。
– 音楽がライブ体験に依存する傾向が再び強まっている。

音楽産業は"キラキラ"を取り戻せるのか?: イーサーンが語る失われた想像力と神秘性夏目進平

人生ではじめて入院して気づいたことがある。

人はわりと簡単に死ぬ。明日も生きているなんて保証はどこにもない。メサイア・マーコリンに言われるまでもなく、人生とはメメント・モリなのである。

そうして僕は、ひとつの教訓を得た。明日死ぬかもしれないのだから、お金などは貯めていても仕方がない。今日を精一杯生きて、精一杯快楽を享受しよう。

退院してすぐに、僕はソシャゲを始めることにした。ガンダム・エターナルだ。もちろん、無課金でも遊ぶことができるけど、明日死ぬかもしれないのにそんなチマチママチュマチュと遊んでいても仕方がない。僕はすぐさま限度額いっぱいまで課金して、嫁というクイーン・マンサから拡散メガ粒子砲を胸いっぱいに浴びることとなる。

クイーン・マンサや強化人間、ムラサメ研究所のドゥー・ムラサメが刺さりすぎる件については今回は置いておこう。重要なのは、僕がソシャゲにハマったという事実だ。

これまで僕はソシャゲに重課金する人たちを生暖かい目で見ていた。カードダスやプラモならいくらでも欲しい。だけど、ソシャゲはただスマホにデータが入るだけではないか?それに何十万も課金するなんて正気の沙汰とは思えないと。

でもね、実際にソシャゲを始めてみると、これが非常に “所有” している感覚がある。ゲームという世界観の中で、確かに美しきウルトラレアは雄々しく存在しているのだ。そして、人よりも一歩先に行きたいという欲望、もう少し回せば出るに違いないという射倖心を “キラキラ” の “ヴァーチャル・カード” は巧みに煽ってくる。そう、僕らはこの “データ” を手に入れたらどれだけ強くなるのだろう?どれだけカッコいいのだろう?どれだけ嬉しいのだろう?どれだけ羨ましがられるのだろう?という “想像力” をソシャゲで働かせることができるんだ。

一方で、音楽はどうだろう?

音楽をデータで買うという試みが成功しているようには思えない。だけど、サブスクリプションに所有している感覚は皆無だ。結局、今も音楽はレコード・ストアか通販でフィジカルを購入することだけが、所有のための唯一の手段だ。残念ながら、CDやレコードのお店は街にほとんどなくなってしまったけれど。

音楽産業はどこで間違ってしまったのだろう。”所有” することの楽しさ、嬉しさ、幸せを “想像” させる鍵、”キラキラ” をどこに置き忘れてきたのだろう。

EMPEROR の首脳、イーサーンが最近、この問題について独自の見解を披露したんだ。

「私たちは、バンドやアーティストとの関係を深めるために費やす時間がある時代に登場した。それが大きいよね。それ以前にも、もちろんたくさんのミュージシャンがいて、たくさんのバンドがあったけど、例えば60年代だったら、ほとんどの人、若い人たちはビートルズかローリング・ストーンズのどちらかを選ぶしかなかった。そんなに選択肢がなかったからね。一方で、最近は SNS やサブスクリプションが発達して、どんなアーティストやアルバムにもアクセスできるようになったから……」

そうなんだよね。購買欲をそそるには、まず選択肢が多すぎても少なすぎてもダメなんだよね。80年代後半から90年代前半はそうした意味で完璧だった。

「僕より若い人も、子供の頃にお金を貯めてアルバムを買った時の気持ちはきっとわかると思う。でも若い人たちは、そのアルバム1枚を買うお金しかなくて、2枚目が買えなかったことは知らないし理解もできないだろう。当時は、すべてを手に入れられるわけではなかったから、想像して優先順位をつける必要があったんだ。だからこそ、アーティストとの関係も深まったよね。少なくとも私は歌詞もライナーノーツも全部読んでいたよ。その人たちがどんな人たちなのかという情報は何も持っていなかったから、それを掴もうとした……イマジネーション、想像の部分が大きかったね。想像することで、アーティストやアルバムとの間に特別な関係が生まれるんだ。最近では、アーティストとの関係ではなく、プレイリストとの関係を持っている人がとても多い。その時流行っている音楽なら何でもいいんだ。メタル・コミュニティーの中でも、ロックやメタルの人たちは、まだ想像することに熱心なのかもしれない。でも、変化が速すぎて、今若いバンドが関係を築く時間を持つのは本当に難しいんだよ。90年代初頭に活動を開始した私自身は、まだ長い期間をかけて関係を築くことができる時代だった」

そう、そして何かを “買わせる” ためには人々の “想像力” をかき立てなければならない。どんな音なんだろう?どんな人たちがやっているんだろう?何を伝えたいんだろう?手に入れたらどれだけ楽しいだろう、嬉しいだろう、幸せだろう?少しは自慢もできるだろうか?ブラウブロから細すぎる人がスン!っと出てくるなど、誰が想像できただろうか?!

音も情報もすべてが無料で手に入る現代において、リスナーの想像力をかき立てることは決して容易ではないだろう。でもだからこそ、例えば SLEEP TOKEN のように何かをベールに包んだり、謎解きで射倖心を煽ったり、アートワークや楽曲をウルトラレア限定仕様にしたり、何かとやりようはあるはずなんだ。そうやって、想像力を膨らませて購入したアーティストの商品やアーティストとは必ず “つながり” ができるのだから。プレイリストとつながっていても、その “多幸感” にたどり着くことは決してできないだろう。

実際、イーサーンは SNS 時代の透明性とファンとの交流、”推し推されの関係” が、インターネット以前のアーティストが神秘性を生み出していた時代とはいかに違うかについても語っている。

「1980年代にはKISSやアリス・クーパーがいて、神話的だった。 初めて IRON MAIDEN のライヴに行ったとき、彼らと同じ空気を吸っているなんて信じられなかった。 彼らがステージに登場する前に、ランチに何を食べたかも当然知らなかった。SNS がなかったおかげで、彼らが同じ人間だとさえ思えなかったんだ。 SNS をやることで、そうした謎が少しづつ取り除かれてしまうんだ。そうして人々は想像することをやめてしまう。
 特にメタルの世界では、GHOST や SLEEP TOKEN、SLIPKNOT のようなバンドが成功したのは、マスクや謎があったからだと言えると思う。 もちろん、彼ら全員が匿名性を保つことに成功しているわけではないけど、結局人々は劇場感や興奮を求めている。 この例も使ったことがある。 私のキャリアの中で、幸運にもロブ・ハルフォード(JUDAS PRIEST のメンバー)のような人と知り合うことができた。ロブに会ったことのある人なら誰でも、彼が世界一謙虚でスイートな人だと知っている。でもステージに立つと、彼はメタル・ゴッドになる。 謙虚な人間ではなく、ステージではメタル・ゴッドが必要なんだ。そしてドラマと儀式を求める。 ステージ上のバンドは、観客からすべての抑制を解き放ち、音楽に身を任せることを許可させなきゃならない。 だから、このような SNS におけるプライベートなつながりは、それを少し失うことになると思う」

もう大転換の時期じゃないかな。たしかに、SNS でリプライをすればそのひと時、リスナーは喜ぶだろう。フォロバすればフォロワーもいいねも増える。だけど、そうすることでリスナーは想像することをやめてしまう。手動でひとりひとりファンを増やすよりも、もしかすると巧みに神秘性を保って “想像” させることのほうが、結果多くのリスナーにアピールするのかもしれないよね。もちろん、そこには素敵な音楽があってこそなのだけど。

とはいえ、簡単ではないよ。このままだと、神秘性を保ったまま消えていくバンドがほとんどになってしまうだろう。イーサーンは、Spotify や Apple Music のような音楽ストリーミング・プラットフォームの “非常に飽和した” 市場のせいで、新しいバンドが突破口を開くことも困難になっていると言っている。あまりにも、玉石混交。選択肢が多すぎるんだよね。

「もちろん、今でも素晴らしい音楽は作られているけど、そのほとんどが聴かれることも、好きな人に届くこともないだろう。デジタルで全ての音楽にアクセスできるのは悪くない。フィジカルで持っていないものも全て見つけられるし、お勧めの曲や、そもそも聴くことがなかったかもしれない新しい音楽も手に入る。それは素晴らしいことだと思う。以前は、レコード会社が入り口のような存在で、そこに認められなければリリースすることができなかった。でも今は何も必要ないし、誰でもリリースできる。1時間もあれば、Spotifyやあらゆるストリーミング・プラットフォームで19ドルとかでリリースできる。だから一方でとても飽和状態なんだ。相当運がないと発見されることはない。でも、それが現状だと言わざるを得ない。

レコードが大流行した60年代、70年代、80年代以前は、はすべてライブ音楽だった。少なくとも60年代か50年代には、レコードを買うお金なんてなかった。たぶん、友達の誰かが小さなシングルプレーヤーを持っていたんだろう。そして、それを聴き、ラジオを聴く。だから、”ああ、昔はもっとよかったのに” って悔しがる代わりに、レコードやCDに執着できた素晴らしい時期があったことを幸運に思うべきくもね。そして今、私たちはライブ体験とそのつながりという50年代以前まで戻ってきたような気がする。それはもう、音楽家が独占できる唯一のものだ。A.I.がそれを引き継ぐまで、長い時間がかかることを願っているよ (笑)」



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