🧠 あらすじと概要:
映画『野良ナ者ハンス』のあらすじと要約
あらすじ
『野良ナ者ハンス』は、野良犬と人間の生活を通じて「自由」とは何かを問いかけるドキュメンタリー映画です。主人公は様々な人々が見守る中で、野良犬たちの無邪気な、あるいは切ない日常を観察しています。彼らの生きざまは、社会の中で埋もれがちな「自由」の概念を浮き彫りにし、視聴者に考えさせる要素を提供します。
記事要約
この記事は、映画『野良ナ者ハンス』を観た感想を述べています。主人公は、映画が描く野良犬と人間の共存を通じて、「自由」や「幸せ」とは何かについて内省します。彼は、神や幸せを求める自分の感情を振り返りながら、彼らが本当の意味で自由であるかどうか疑問を抱いています。映画の描写を通じて、彼は自分自身の存在や社会的な役割、そして人間と動物の関係について深く考察します。また、スピリチュアルな観念についても触れ、自身の疑念と向き合っている様子が描かれています。全体を通じて、共存と生きる意味に関する葛藤が浮き彫りになります。
「漢方飲んどけ」
「Stray」というドキュメンタリー映画を見た。
「神さまが、見えなくなったんだ」
職場でこのような異様なことを発する、するとね、皆、一瞬黙すのだ。
彼らの脳内では何やらせわしく問答が繰り広げられたやもしれない。
「神さまが。。。見えていたんですか?」
スピ系女子は、恐る恐るぼくに問う。
「うん、いつもそばにいてくれたんだけどね、2年前に、見えなくなっちゃったんだ。。。」
スピ系女子は、ぼくの様子を伺いつつ、何か言わんとす、その時、
「それさ、ポウちゃんのこと?」
男は言った。彼は、「スピ的世界」を信じていない、そう、ぼくもだ。
彼はぼくが「神さま」のことで多大なる迷惑者と化したあれやこれを知っているのだ。
ぼくは「ぼくの神さま」の話をしないようにしている。彼のことを思うと胸がギリギリと潰れそうになるからだ。
誰だっていい中年が泣くところなんて誰も見たくないし、面倒臭いものには関わりたくないのだ。
ぼくが「2年前」と言うのも、隣人がそう言うからでぼく的には昨日のことのように「今」も思われる。
どうしたってこの地獄から逃れることはできないのだ。
「ぼくさえ存在しなければ」
と、陳皮なセリフを吐いて己を貶めた「ふり」をしてもどうにもならない。彼ら「美しい者」にしてみれば不本意なれど、ぼくに関わってしまったのだから。ぼくのようなセコいサルはドウニモコウニモ未だ無能で利己的なのだ。
迷惑者化しないように例の漢方飲んどけ、だ。
この映画を見て、人々は何を思うろう?ぼくには野良犬どもと、野良少年どもはまるでおんなじに見えた。どちらも「どうして良いのかわからず」ただブラブラし、ゾンビのように生きている。行き交う人々は「暇つぶし」に彼らをかまってはただ通り過ぎてゆくだけだ。
とんだ「共存」があったもんだ。
「お前だったらどうする?」
こういう胸が悪くなるものに触れた時、頭の中で何かがそうぼくに問う。「ぼくだったら。。。」二択だ。1、悲惨な故郷から逃げず、そこで死ぬ。2、イヌどもと街を離れ、野生化する。これはぼくが「できる」ことではなく、ぼくが「望む」ことだ。
所詮「酷い目」にあったことなぞないぼくに「彼ら」の気持ちがわかるはずもない。
彼らは「自由」のように見える。そうだろうか?
彼らは何を思うろう?
食べ物を「残す」ほど腹一杯になって、何の心配もなくノビている「うちのイヌ」を見る。
彼らは何を思うろう?
「幸せ」とは何だろう?
野良犬にしろ、野良少年にしろ、本当に「自由」なんだろうか?何だって彼らはあんなにも「おとなしい」んだろうか?いつも、だるそうだ。遊んでるシーンを写す。それが「幸せ」ということだろうか?
「うちのイヌ」とは何だか表情が違うのはどうしてだろうか?
どうにもぼくはこれを見て、「素敵」だと思えなかった。素敵なチェロの曲を流しても。
彼らが発する「不安」が気になってしょうがない。
「自分に、退行催眠を行ったんです。」
「自分は必ず若くして死ぬ」という強迫観念?があった、とスピ系女子は言う。そこでなんとかっていう外人のオッサンが提唱する「自分でできる催眠術」をかけてその理由を探ったと言うのだ。
ヘエエ!面白いじゃないか!?この職場はオカルトに満ちている!
一体彼女がどんな魔術を施したのかわからないが、何代も前まで「転生」を知ることでわかったのは、そいつらは皆「早死に」しているとのことだったらしい。
その「早死に」運命を彼女がどう断ち切ったのかわからないけれど、今はもう大丈夫だと言う。
イイナア。
ぼくは思う。最近、ぼくはスピ系の人々が異常に羨ましい。羨ましすぎるゆえ、嫉妬までするほどだ。彼女らは「救われて」いる。
彼女らは「自分を騙し切って」いる。
ぼくのようなセコいサルが「ダメ」なところは、「異様に疑り深い」ことだ。まさにサル中のサル的猜疑心がミッシリつまりきっている、ゆえに己のことも信用できず、己の思考も疑ってかかる。「私はこれが好きだ!」とか「私はこれが正しい!」とか断定できないのもそう思った次の瞬間「本当にそれが真実だと思ってんのか?お前に都合のいいようにねじ曲げてんじゃねーのか?」と言う囁きが脳内で響いたりするからだ。ヤツらは囁く、「この無能な低脳め!お前は何をやっても必ずやらかすんだよ!」
はい、そうですなァ。
ぼくは彼ら、ぼくの神さまのような「美しい者」に「生かされる」価値はまるでないのに、彼らを欲する。けれど、悲しいかな、この地球は人間様が支配していて、彼らは「非人間」で、ぼくは「人間」として存在している。
この人間が支配する世界でぼくにはある程度の「自由」が与えられている。彼らにはない「自由」が。この世界に「平等」は存在しない。
この世界において人間以外に生まれることを「本気で」望む人間がいるだろうか?ぼくは今までそんな者にあったことはない。「前世」にしたって全て人間だけで構成されている。なぜ「人間」でいたいか?それはこの世界を見れば明らかだろう?この世界で人間以外の生き物にどんな「自由」を見出せるんだい?「鳥になりたい!」「ニワトリデモ?」
非人間どもは「美しい」が彼らの生きる場所は人間様の手に委ねられる。
「生まれ変わるなら細菌がいいな」
どう思う?「自由」を求めるのなら、「細菌」はかなりいいじゃないか?
と、ものを知らないぼくは「本気で」思うのだ。
もし、「自由」を与えられたら、彼らと街からなるべく離れよう。
あんな汚い路上で残飯を取り合って互いに牙を剥くくらいなら、荒野で一緒に獲物を探そう。ぼくらは同じ雑食だし、みんなで協力すればきっとうまくいくと思うんだよ。
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