土曜日, 5月 24, 2025
ホームマーケティング野球記録に一定の「価値観」を与えたセイバーメトリクス広尾晃「野球のことを中心に、そのほかの話題も」

野球記録に一定の「価値観」を与えたセイバーメトリクス広尾晃「野球のことを中心に、そのほかの話題も」

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概要

この記事では、セイバーメトリクスが野球記録に与えた影響やその価値観について論じられています。セイバーメトリクスは、単に数値を扱うだけでなく、それを通じて選手の貢献度を評価する新しい基準を制定しました。また、従来の日本の野球記録のスタイルとの違いにも触れながら、数字によってプレーの重要性を「見える化」している点が強調されています。

要約の箇条書き

  • セイバーメトリクスの定義: 野球の統計学として、データを数値化・整理する。
  • 記録の神様たち: 日本の野球記録の専門家たちが選手の個性を数値で際立たせた。
  • セイバーメトリクスとの違い: 従来の日本の記録スタイルはコンピュータに依存せず手計算を重視。
  • 価値基準の構築: セイバーメトリクスは「勝利」に寄与するために貢献する能力を数値化。
  • 評価できない指標: 例として「打点」や「勝利」が不正確な指標として挙げられる。
  • 評価できる指標: 「本塁打」や「四球」など、選手の能力に基づく貢献度が評価される。
  • フライボール革命の影響: セイバーメトリクスの発展がMLBにおける打撃スタイルに変化をもたらした。
  • 文化的な違い: 日本は伝統的なスタイルを重んじ、アメリカは常に新しい潮流を受け入れている。

野球記録に一定の「価値観」を与えたセイバーメトリクス広尾晃「野球のことを中心に、そのほかの話題も」

広尾晃「野球のことを中心に、そのほかの話題も」

2025年5月23日 19:33

セイバーメトリクスは「野球の統計学」と紹介されている。私もそう書いている。野球が草創期から記録し続けてきたデータ、数字を総合し、様々な指標にしたわけだ。
ただ、セイバーメトリクスの偉大さは、野球のプレーを数字的に「見える化」したことにあるのではない。

「記録の神様」たち

広瀬謙三、山内以九士、宇佐美徹也、千葉功と、日本でも「記録の神様」と言われた専門家が何人もいた。私など、宇佐美徹也さんや千葉功さんのコラムや著書で「記録の楽しさ」に触れて野球記録を収集するようになった。広瀬、山内から宇佐美、千葉までこれらの「神様」たちは、野球選手のデータを語ることで、漫然と見ていても見えてこない「選手の個性、すばらしさ」を際立たせてくれた。例えば王貞治と長嶋茂雄という日本を代表する大打者は「どう違うのか?」。王が左打者、長嶋が右打者、王の方がホームランが多い、長嶋の方が足が速い、という単純なことだけでなく、王貞治は「ボール球を一切振らない」きわめて辛抱強い打者だったのに対し、長嶋は「初球から打っていく積極打法」だったとか。王がリーグ最強打者になってから、長嶋はライバル心を燃やして、何度も打点王を獲得して王の三冠王を阻んだ、とか。たとえば、鈍足のイメージのある野村克也が、実は「ダブルスチール」「ホームスチール」の名手だった、みたいなこともそうした「記録の本」で知ったものだ。

「記録の神様」と肌合いが違ったセイバーメトリクス

しかし、そうした日本の「野球の記録」と、その後出て来たセイバーメトリクスは似通った数字を扱いながら、ほとんど交流がない、宇佐美徹也さんのお弟子さんである報知新聞の蛭間豊章さんに「宇佐美さんはセイバーメトリクスについて、どれくらい関心があったんでしょうか?」と聞いたことがあるが「名前くらいは知っていたと思うけど、ほとんど関心がなかったと思いますよ」とのことだった。宇佐美さんは、蛭間さんなどにも「手計算の大事さ」みたいなことを教えた。「自分で数字を集計していく中で、選手の特長が浮かび上がってくる。それをコンピュータまかせにしてはダメだ」と言っていた。宇佐美さんは、NPBが「BIS(Baseball Information System)」を導入する際の責任者だったが、ご本人はそれ程ITには興味がなかったようだ。セイバーメトリクスは、パソコンの発達とともに急速に進化した。素人であってもエクセルなどの表計算ソフトを使って、NPBやMLBが発表した数字を加工して新たな指標を次々と生み出すことができるようになった。「手計算」を重んじる宇佐美さんなどとは、肌合いが大きく違っていたのだ。

「価値基準」を作ったセイバーメトリクス

セイバーメトリクスと、日本の「野球の神様」の違いは「手計算」か「コンピュータ」か、みたいな表層的なものだけではない。セイバーメトリクスは、膨大なデータを扱ったが、主導したビル・ジェームズらは、こうした数字を一定の「価値基準」で整理した。「この選手はこの数字がすごい」とか「この選手はこういう数字が特徴的」みたいなことを紹介するのではなく「だから、それはどんな価値があるのか?」を考えたのだ。すべての野球選手の走攻守投のプレーは「何のため」のあるのか?彼らは何のために能力を磨き、高いパフォーマンスを見せているのか?それはひとえに「チームの勝利」のためだ。そして野球の「勝利」とは、相手チームより1点でも多く得点して、失点を1点でも少なくして試合を終えることで得ることができる。だから、野球のあらゆるプレーとそれに伴って記録される数字は「得点にどう絡むのか」という観点で評価されるべきだ、と。この考え方、マーケティングの考え方によく似ている。私はいろんなところでマーケティングを学んだが、ある上司は「マーケティングとは『売るためのすべての努力だ』」と言った。この言葉、非常に腑に落ちたのだが、その考え方で言えば野球のあらゆるプレーは「勝つためのすべての努力だ」といえるのではないか。そしてセイバーメトリクスとは「勝つためのすべての努力を数値化したもの」と定義されるのではないか。マーケティングでは統計学はメインエンジンみたいなものだが、その点も共通している。

「評価できない指標」

セイバーメトリクスの研究者は、その観点で従来の野球記録を見直していった。

例えば「打点」は、打者が自身も含めた走者を返した数ではあるが、打者が打席に立った時に塁上に何人の打者がいるかに、打者自身は一切かかわることができない。ホームラン以外の打点は、その打者の手柄とは言えない。

だから、打点は打者の「勝利への貢献」を表す指標としては、適当とは言えない。

投手の「勝利」は、文字通り「投手が勝ちに貢献した数」のように見えるが、投手がどんなに好投して相手に点を取らさなくても、味方が点を取ってくれなければ「勝ち」はつかない。味方打線の援護があってこそ勝利できる。だから「勝利」には、もちろん投手の「貢献」はあるにしても、純粋にその投手の手柄とは言えない。

昨日も行ったが「安打」は「運」「偶然」の要素が占める割合が大きいから、これも打者の純粋の手柄とは言えない。

「評価できる指標」

だとすれば打者の貢献を純粋に表す数字とは何なのか?

まず「本塁打」だ。本塁打数は、競技場の外にノーバウンドでボールを運んだ結果だ。遠くに飛ばす能力は、純粋にその打者の能力だ。そして即得点に結びつく。もちろん風とか球場サイズとか外部的な要因があるにしても、本塁打を打つ能力の大部分はその選手の「能力」に起因している。

続いて「四球」だ。もちろん審判のジャッジという「運の要素」もなくはないが、四球は「ボールとストライクを見分ける能力=選球眼」という打者の能力に起因している。四球は「一塁」を与えられると言う点で、安打と同じ価値がある。むしろ「より選手の能力による部分が大きい」という意味で安打よりも価値がある。
「盗塁」に関しては「アウトになったときのダメージ」が非常に大きいので「成功率が高い選手に限って」推奨される。盗塁成功率が6割以下の選手はダメージの方が大きいので「走らない方がまし」ということになる。
「三振」は、塁に出る可能性が「振り逃げ」以外になくなるので最悪のリザルトだ。投手の場合は、真逆になる。「被本塁打」が多いのは被安打が多いよりも、良くない。
「奪三振」は「振り逃げ」以外に走者を塁に出さないと言う点で、最善のリザルトであり「奪三振率」の高さは大いに評価される。
反対に「与四球」は打者を絶対にアウトにできないと言う点で最悪のリザルトだ。
そして「K/BB=奪三振数÷与四球数」は、投手の能力を表す最重要の指標だ

セイバーメトリクスから「フライボール革命」へ

セイバーメトリクスが重要視されなければ「フライボール革命」は、ここまで大きな流れにならなかっただろう。セイバーメトリクスが「本塁打至上主義」的な色合いを帯びたことで、そしてその評価基準がWARに代表されるセイバーメトリクス系の総合指標に組み込まれたことで、スイングスピードを上げてひたすら打球を遠くへ飛ばす「フライボール革命」が、MLBの主流となったわけだ。前述したように「三振」は、最悪のリザルトではあるが、即得点にむずびつくホームランを量産できるなら、三振のダメージは「コスト」として吸収することができる。

そういう文脈で「フライボール革命」は、MLBで受け入れられたわけだ。

野球の記録を調べていて思うのは、アメリカは常に様々な「思想」「潮流」が生まれるということだ。それによって、野球の作戦、戦術から選手のトレーニング方法までが、どんどん変わっていく。日本野球はそうはならない。まるで「伝統文化」のように、先人の考えを有難く押し頂く姿勢が、今も息づいている。「フライボール革命」でボールをポンポン打ち上げる選手を見て、日本の指導者は「真似をしてはいけない。君たちはボールを上から叩きなさい」とかいうわけだ。

日米の野球論は「文化論」としてもなかなかに味わい深いのだ



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