Omizan Sakamotoさんは2024年5月16日、X上で現代の若年層における日本語の理解力の変化について複数のポストを行いました。
その中で、「気を付ける」という表現が読めない層が存在すると述べ、「きょうつける」という一段動詞として認識している若者がいることに触れました。
Sakamotoさんはこれについて「彼らは使用言語がもはや異なる」と指摘しています。
さらに、「そんなバカな、流石にそんなことは無いだろう」と思われるかもしれないが、情報のレベルが根本的に異なるため、そうした層と会話する機会自体がほとんどないことを強調。
相手の存在自体を認識できないことがあるとし、たまに会話が成立してもカルチャーショックが起こると述べました。
別のポストでは、「文字の読み書きをしない人々の語彙力をナメてはいけない」とし、「極めて」「すなわち」「未だに」「ひとつふたつみっつ」などの語彙を古語として認識する層が存在することに警鐘を鳴らしています。
こうした層は共通して、「今どき極めてだって」と語彙を嘲笑する傾向にあるとのことです。
話題のポスト
文字の読み書きをしない人々の語彙力をナメてはいけません。
・極めて
・すなわち
・未だに
・ひとつふたつみっつ
この程度の語彙で古語判定を受けます。そして、彼らは共通して「今どき極めてだってw」と嘲笑します。 https://t.co/YwTZ7uxAXr
— Omizan Sakamoto (@omi_info3) May 16, 2025
「そんなバカな、流石にそんなことは無いだろう」と思うでしょうが、扱う情報のレベルが決定的に異なるので彼らと会話する機会自体がほぼ無く、互いに相手の層の存在を認識できないのです。
そして、たまに会話する機会が生じると、相互にカルチャーショックを受けるわけです。— Omizan Sakamoto (@omi_info3) May 16, 2025
お店で「お支払いは如何致しますか?」と聞かれ、キャッシュでって言ったら、「え?カードですか?」と聞かれたワイ。
— 血管ぴゅー (@v1shot) May 16, 2025
NHKが「飢饉」を「飢きん」と表記していました。
— 醤油猫 ( ´・ω・`)オショーユスキー (@shoyu_cat) May 16, 2025
「先日」と言ったら笑った元ヤンの先輩。前日ならわかるけど今時いわない、だそうです。そーか?
— 木村 世忍 (@yoshinobu_digir) May 17, 2025
最近目につくのは『〜せざるおえない』
— ammonite83 (@ammonite832) May 16, 2025
Sakamotoさんが指摘する問題の本質は、世代や生活環境、情報源の違いによる言語能力と語彙力の格差です。
特にインターネット以降に育った世代では、スマートフォンの音声入力や略語、絵文字文化の普及により、従来の文語的表現が「古臭い」「難解」とされ、自然と使用頻度が下がってきました。
その結果、標準的な日本語の語彙すら通じない層が一部で形成されていると考えられます。
また、義務教育での漢字教育や読解力の低下も背景にあるとされ、これらが複合的に影響していると見る専門家もいます。
言語はコミュニケーションの根幹であるにも関わらず、その前提が通じない場面が増えている現状は、社会的にも無視できない問題です。
異なる言語体系としての認識が必要に
ポストを通じて示された内容から見えてくるのは、同じ日本語を用いていても、その理解や使い方が根本的に異なる集団が共存しているという現実です。
これは単なる「言葉遣いの違い」ではなく、もはや言語体系の断絶とも言えるほどの深い溝です。
このような状況下では、従来の教育や社会制度だけでは対応しきれない可能性もあります。
特に、公的文書やマニュアルなどで使用される「標準語」が一部の層にとって理解不能になっている事実は、行政や企業活動においても深刻な支障をきたす恐れがあります。
今後は、情報の発信・共有において、より多様な読み手を想定した表現や教育の再構築が求められる時代に突入していると言えるでしょう。
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