土曜日, 5月 17, 2025
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西村修さんの遺骨は恩師の眠る湖に…藤波が「無我」復活の叫び 追悼試合で感極まる「会いたかったなって」


16日のドラディション東京・後楽園ホール大会で、2月28日にがんで亡くなったプロレスラー・西村修さん(享年53)の追悼試合が行われた。試合後、師匠の藤波辰爾は「西村、これでいいのか!」と叫び、かつてともに盛り上げたイベント「無我」の復活を宣言。西村さんが愛した伝説のリングが、長い時を経て、プロレスファンの前に戻ってくる。「無我をもう1回やるか!」

 16日のドラディション東京・後楽園ホール大会で、2月28日にがんで亡くなったプロレスラー・西村修さん(享年53)の追悼試合が行われた。試合後、師匠の藤波辰爾は「西村、これでいいのか!」と叫び、かつてともに盛り上げたイベント「無我」の復活を宣言。西村さんが愛した伝説のリングが、長い時を経て、プロレスファンの前に戻ってくる。

 藤波、小島聡、永田裕志組対長井満也、征矢学、竹村豪氏組のメインイベントは、西村さんへの追悼ムードがあふれる中で行われた。

 試合前にこれまでの西村さんと藤波の歩みがビジョンで流される。プロレスファンなら誰もが知る2人の師弟関係。一時はタッグパートナーとしてともにベルトを腰に巻き、信頼し合っていた両者は、2007年に西村さんが無我ワールド・プロレスリングを退団したことで18年にわたり、疎遠になった。しかし、今年1月、体調不良で試合を欠場した西村さんの代わりに藤波が代役参戦したことから、急接近。西村さんは、藤波に感謝のメッセージを送り、2人の間では退院後の対面が約束されていた。

 西村さんは藤波とのリング上での再会を待ち望んでいた。それが、追悼試合になってしまったという無念は、リングに上がった6人の誰もが背負った。征矢が永田のヘッドシザーズを三点倒立で抜け出し、西村さんへの思いを示すと、藤波はドラゴンスクリューを連発して会場を沸かせる。最後は、いつも以上の気迫を見せた竹村を飛龍裸絞めで下し、西村さんに勝利をささげた。

 そして、試合後にサプライズが起こる。

 マイクを握った藤波は、「西村、これでいいのか! お前の仲間たちがみんな今日そろってくれたぞ」と絶叫。

「本当に彼とはいろんなことがありました。でも、最後にこうやって彼にまつわる仲間が集まってくれました。僕も無我を彼にささげましたが、まだちょっと無我が中途半端に留まっているのがあるんでね。もう1回……、最後のケジメとしてね、無我をもう1回やるか! なあ西村!」と続け、自身が1995年に立ち上げた無我の復活を宣言した。

 無我は派手な技を多用する現代プロレスとは異なり、一つ一つの技を大切にする原点回帰のスタイルを掲げていた。その理念に強く共鳴し、旗揚げ時から参加した西村さんは生前、「無我は引き算をやりましょうということ」と独自の言い回しで表現し、入場ガウンの背中に「無我」の二文字を刻んでいた。

 追悼試合には、西村さんの妻・恵さんや小学校1年生の長男も観戦に訪れていた。

 長男をリングに上げて全員で記念写真を撮影した藤波は、バックステージで感極まる表情を見せる。

「改めて今日こういう感じで追悼大会を迎えてみると、本当に現実なんだなっていうね。気のせいか、ちょっと自分の気の焦りもあるのか、もうちょっとしっかりとしなきゃいけない中、ふらつきが見えた。でも、彼との思い出は、思い出として大事に。リングに上がっている間は、彼もどこかで一緒に戦っているでしょうし、最後、子どもが上がってきたのはちょっとつらかったね。18年、今思うと後悔ばかりで、なんとかならなかったのかなっていうね。会いたかったなって。最後に言ったとおり、西村さんの葬儀の時、弔辞で無我をささげたんですけど、そういう部分では1回無我を今まで応援してくれたファンのためにも、最後にもう1回、無我という大会を西村さんを中心として、一つのケジメとして企画してもいいのかなと思いましたね」

 一夜限りになるのか。実現すれば、特別なリングになりそうだ。

遺骨は恩師の眠る湖に…

 訃報から2か月半。西村さんの遺骨は、国内外のゆかりのある場所に散骨された。

 火葬の際、最も大きいサイズの骨壺にもすべてが収まりきらず、遺族の許可のもと、一部を親しい友人たちが持ち帰った。

 国内では、かつて無我の道場があり、西村さんが頻繁に訪れた房総の海に。一方、海外ではかつて西村さんが居宅を構えた米国フロリダ州タンパのキーストーン湖に運ばれた。同じ湖には、07年に亡くなった“プロレスの神様”カール・ゴッチさんの遺骨も散骨されている。散骨は西村さんの葬儀に駆けつけたゴッチさんの弟子ジョー・マレンコによって行われた。

「マレンコからここにまいたよって動画を送ってもらいました。ゴッチさんの眠る湖に一緒に。西村さんとフロリダを訪れると、この湖に行ってワインを注いで手を合わせていました。今年の夏にまたフロリダに行こうって話はしていたんですけど」

 西村さんと17年の親交があった大隅良雄さんは話した。

 1961年に初来日したゴッチさんはタンパで数多くの日本人レスラーを育てた。西村さんはゴッチさんの晩年に親しい関係にあり、日本のプロレス界の発展に尽力したゴッチさんを日本でも供養しようと、2017年に都内にアントニオ猪木とともにゴッチさんの墓を建立した。タンパは世界中を旅した西村さんが、「1番住み慣れた、1番好きな場所」と振り返る思い出の地だった。

 マレンコは「彼が喜ぶところに俺は骨を散骨する」と快く引き受けたという。

 天国できっと西村さんはゴッチさんとプロレス談義に花を咲かせている。そして、藤波が発した「無我」復活のメッセージを聞き、話はさらに熱を帯びていることだろう。どんな大会になるのか、誰が出場するのか、何を残すのか。語り尽きない夜になっているに違いない。

【写真】西村修さんの遺骨がまかれた思い出の地…美しい湖面の下でアメリカの恩師と再会している、実際の写真

【写真提供:大隅良雄さん】



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編集部の感想:
西村修さんの追悼試合は感動的で、師匠の藤波辰爾による「無我」の復活宣言が印象的でした。彼の遺骨を恩師の湖に散骨したことで、師弟の絆がさらに深まったように感じます。プロレス界における彼の存在は永遠に記憶されるでしょう。

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