金曜日, 5月 30, 2025
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血と性の寓話 (サブスタンス鑑賞)純

🧠 あらすじと概要:

映画『サブスタンス』 あらすじ

『サブスタンス』は、老いと死をテーマにした物語で、主人公エリザベス(デミ・ムーア)がかつての大スターとしての栄光を抱えながらも、その老いに直面し葛藤する姿を描いています。彼女は、自身の肉体の衰えと向き合い、業界の性搾取や年齢に対する偏見と戦いながら、再び自分を見つめ直すことになります。映像はグロテスクながらもテンポよく展開し、観客を引き込む独自のスタイルで作られています。

記事の要約

この記事では、映画『サブスタンス』についての感想が述べられています。特に、デミ・ムーアが自身の老いを受け入れ、力強く演じる姿が評価されています。映画は、老いが持つ美しさと残酷さを描き、視覚的に豊かで感情的な深みを持っています。冒頭のシーンからも、一瞬で多くの情報を伝える映像センスが際立っており、約142分の上映時間が感じられないほどです。作品は単なるエンターテインメントを超え、現代の寓話として多くのメッセージを観客に届けます。デミ・ムーアの演技は、彼女自身のキャリアにおいて最も高く評価されるものとなり、その老いた肉体が持つ力強さが示されています。ospel」のような甘いラブロマンスとは異なり、『サブスタンス』は老いを受け入れることの意味や人間の儚さを強調しています。

血と性の寓話 (サブスタンス鑑賞)純

純

老いることも死ぬことも人間という
儚い生き物の美しさだ

煉獄杏寿郎

というのは数年前、日本中を泣かせた鬼殺隊隊長のお言葉ですが、老いるというのは美しいだけでなく残酷な事でもある。あれだけ理想や愛に燃えた若者たちの大半が結局は下半身と財布の充実しか考えないようになる、それが本当に「 老いる」という事だと俺は思っている。今回はこの「老いる」という自然の摂理に血みどろの戦いを挑む女が主人公の話題の映画「サブスタンス」を見た感想文。あらすじなど基本情報は↓を参照願います。

「要約」という魔法

まず度肝を抜かれたのが冒頭の数分、初見の観客が期待するであろう本作の見所はまだ何一つ登場していない。が、この有名な星形プレートを固定アングルで捉えた一連のシーンのみで、観客はデミ・ムーア演じる主人公エリザベスが「かつて」の大人気スターである事を知ることができる。これ程見事に、そして鮮やかに短いシークエンスの中に多くの情報を小気味よく要約している作品は少ないと思う。俺の知る限りでは「雨に唄えば」のラストシーンぐらいだ。この類稀な映像センスはラストシーン最後の1秒まで発揮され続けていて、142分という上映時間をまるで感じさせない。

ルッキズム、エイジハラスメント、ジェンダーそして例のワインスタインから始まるハリウッドの性搾取などなど、訴えかけてくる内容は実に多い、その伝えようとする内容に溺れて、情報過多や1人よがりな演出に堕してしまうのは駄作の典型例だが、そんな心配はまるで無く、いわばアスリートのように一片の脂肪もなく絞り込まれた映像が次々と叩き込まれてくる。作品の内容そのものはかなりグロテスクであるにも関わらず、そのテンポの良さは爽快ですらある。そして分かり易い。映像というメディアの持つ小説にも、音楽にも持ち得ない、凄まじい力を

存分に活かした、キューブリックから受け継いだ簡潔な画面の中に、狂気と象徴性を纏った現代の「寓話」である。

「女優」デミ・ムーアここにあり

デミ・ムーアというと、俺の世代では「GIジェーン」で女性兵士を演じるためにで丸刈りにしたり、「チャーリーズエンジェル」では若いヒロイン達と渡り合うために全身整形して悪役に挑むなど、文字通り「身体を張って」演じる役者、というイメージが強い。本作でも、50代の「老いた」肉体とマーガレット・クアリー演じる20代の「全盛期」の肉体を対比させるために、オールヌードから毛穴全開の顔面ドUPなど見せつけるように自分の老いたの肉体を作品に捧げている、彼女演じるエリザベスは劇中では自らの老いを認められず凄惨な破滅を迎えるのだが、この映画のあらすじを聞いた、映画馴れした方は「あぁ、「アルジャーノンに花束を」ね」「あぁ、「青い鳥」的な教訓話ね」と、ありがちな結末を想像するかもしれない、鑑賞済みの方はお分かりだと思うが、その直感は間違ってはいない、しかし、この映画の結末はその想像を遥かに越えている、間違いなく、傑作でも名作でもなく、「伝説」として語られるほど凄惨な結末である。まだ未見の方は主演女優2人の熱演を是非劇場で鑑賞して欲しい。また、興味深いのは演じるムーア自身は、素直に自分の老いを認め、それすら利用する事で演技の幅を更に広げ、本作で自身のキャリアで最も高い評価を得たという点だ。今の時代、「女優」という言葉はそれ自体が炎上しかねない禁句になってしまったが、このサブスタンスという作品は、デミ・ムーアという「女性」にしか、その年を重ねた肉体と

精神と経験でしか演じ切る事の出来ない作品なのだと、俺は思う。

「ゴースト」から30年以上が経った、もうあの甘くとろけるようなラブロマンスを演じる事は出来ない、絶対に。現実に「サブスタンス」は存在しない。しかし、女優 デミ・ムーアは老いるという事が必ずしも「終わる」のではない事を、その身体に刻まれたシワの一つ一つが、傷ではなく、力強い巨木に刻まれた年輪なのであるという事を文字通りの全身全霊で証明した老いるという事は、醜いと同時に、やはり人間という儚い生き物の美しさでもあるのだ。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

純

作家志望の30↑長らく入院していたので、療養と文章の練習に主に映画のレビューと、小説を書く予定です。よろしくお願いします。



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