🧠 概要:
記事の概要
島崎智子さんが自身の音楽活動を振り返り、苦労と喜びを交えた体験を語っています。子供の頃から音楽そのものを楽しんでいたが、他の人間関係や生活との両立には苦労した時期もありました。最終的に、やりたいことを追求することで得られた幸福感についても触れています。
要約の箇条書き
- 音楽活動においては苦労した記憶はないが、他との両立で悩んできた。
- 学生時代はクラスメイトや先生との関係に苦労した。
- 高校時代は自由に音楽活動ができ、楽しい時間を過ごした。
- 父親の倒れた影響で音楽大学を諦め、ヤマハに就職。
- 就職後、音楽での苦労を初めて体験し、自殺未遂を経験。
- 会社を辞めてから演劇やシンガーソングライターとして活動を再開。
- 現在は生活との両立に苦労しつつも、やりたいことを楽しんでいる。
- 音楽仲間や観客との楽しい関係が心の支えになっている。
- 自身のやりたいように活動することができて、幸せを感じている。
「音楽活動」というやつの、良くない思い込みに気付き祭り中です。
子供の頃からずっとなんですが
音楽自体で苦労したことは一回もなくて(やりたいようにしかやらないから..)
いつも、何かとの両立部分で苦労してました。
.
子供時代で言えば、クラスメイトとの関係で苦労したし
参観日に音楽発表したら、先生から禁止されて苦労したw
中学生時代は、部長だったから先生と生徒の狭間で苦労した。
高校時代が一番自由で、アルバイト代を全部音楽活動に使えたし、
学校内じゃなく、外で、自由に出来る場所を探して、そこで勝手にやってた
ひたすらに色々たくさんやってた
大阪フィルハーモニーの先生に習いに行ってて(パーカッション)
音大を目指してたから、
普通に音大に行くと思っていた。
お父さんが倒れた。
.
音大は諦めてヤマハに就職して
ここで初めて音楽で苦労した。(やりたいようにやるでは済まなかったから)
たぶん人生で一番、1日の演奏時間が長かった時期で
ある意味しあわせだった
お給料もボーナスも良かったし
音楽以外の苦労もあったけど販売成績は良く、必死ながらちゃんとやっていたと思う。
しかし
入社3年目くらい?に自殺した
消えたくなったんです
自分の中の「そうじゃない」がやまなくて
でも「そうじゃないならどうすればいいの」が
わからなくて
死ぬしかない ってなってしまった。
.
意識は戻って生かされて、
会社はやめないといけないと思い、
5年くらいでやめてから、一旦演劇の道に逸れて、シンガーソングライターが始まって
ここからまた音楽での苦労はなくて(やりたいようにやるだけに戻った)
一人暮らしになり
生活との両立に苦労した。
.
今は、
なんも苦労もない
やりたい事のために全方位の仕事、全力尽くしてる
ただそれだけな日々
それを面白がってくれる音楽仲間、演奏の場を提供してくれる人達、お客さんたち
と、たのしくやってる。
いいやん。もう充分や。
やりたいようにやったらハブられるとか音楽たのしいってダメな事なんだとかならばせめてお金くらいは 人間関係くらいは苦労して辻褄合わせとこう
とか
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