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概要
この記事は、キャリア戦略コーチの「ちかこ」が自身の転職成功ストーリーを語り、戦略的に働き方を変えることで年収を7倍に増やしつつ、週3日リモート勤務を実現した過程を詳細に述べている。また、困難な経験から学んだことや、自分らしい働き方を追求するためのヒントを共有している。
要約(箇条書き)
- 自己紹介: ちかこはキャリア戦略コーチであり、神奈川県在住の女性。
- 転職の成果: 年収300万円から2000万円に増加し、週3日リモート勤務の職場に転職。
- 子供の頃の夢: 建築家を目指していたが、父の一言で大学進学を断念。
- 自力で学費を稼ぎながら進学: 新聞配達をしながら学業を続けたが、就職氷河期に直面。
- IT業界への挑戦: 経済的理由からIT業界に転職し、未経験からプロジェクト管理に携わる。
- 外資系企業への転職: 英語の壁を乗り越えて外資系に転職し、キャリアを広げる。
- 転職の戦略: 転職を人生のステージを上げるための戦略として利用し、自分の価値を発揮できる場所を選択。
- 副業とキャリアコーチング: 副業ブログを開始し、キャリア相談を受けるようになりキャリア支援を始める。
- 健康問題と再起: 難病を患うも治癒し、再びキャリア支援の目標に向かう。
- 自由な働き方の提案: 会社員としても自由な働き方が可能であることを強調し、自身の経験を基にした働き方のヒントを提供。
- 依頼・相談の呼びかけ: 読者に向けて、自分らしいキャリアを歩むことを応援するメッセージを送る。
ここでは、私のオモシロ人生の一部を、ざっとご紹介したいと思います!
さて、わたくし、神奈川県在住。
一緒に暮らすのは、観葉植物と、コーヒーと、ちょっとツンデレな ” 猫っぽい家族 ” 。
趣味は、ダイビング・海外旅行・グルメ巡り。人からはよく「話しやすい」「ちょっと抜けてるけど頼れる」と言われます(笑)
そんな私ですが、会社員時代、転職を ” 戦略的に ” 進めることで、年収7倍を実現することができました。
最終的には、週3リモートOKの企業で、働きがい・自由・収入、すべて手に入れることも!
こんな会社員時代の経験を活かし、現在「キャリアコーチ」として、転職や、キャリア戦略のお手伝いをしています。
そんな今でこそ穏やかな暮らしになりましたが…ここにたどり着くまで、本当に悔しいコトや苦しいコト、たくさん経験しました。
「女に大学なんて必要ない」─ 父の一言で、夢は砕けていった
小学生のころからの夢は、「建築家になること」。
高校も大学も、自分で志望校を決め、夢に向かって走っていたあの日 ー
「女が大学なんて行く必要はない」
父のその一言で、すべてが崩れました。
悔しさで、涙が止まりませんでした。
そして、一度すべてを投げ出しました。
…でも、それでも、夢は諦めきれなかった。
私は家を出て、新聞配達で学費と生活費を自力で稼ぐ道を選びました。
朝3時と夕方に新聞を配り、昼は授業、夜は集金へ。
深夜に課題をこなし、気づけば睡眠時間は1日3時間。
まさに「気合と根性だけ」で走りきった4年間。
でも、その代償は小さくはなかった。
記憶障害や集中力の低下が断続的に起き、
本気で「脳がとけたのでは…?」と思った日もあったほど(笑)
なんとか卒業するも
そこに待ち受けていたのは、「就職氷河期」でした。
憧れの企業はすべて不採用 ー。
ようやく入れたのは、月収17万円の小さな建築設計事務所でした。
自分が情けない ー 母の病気が、人生を変えた
内定をもらった建築設計事務所は、温かい雰囲気の職場。
9〜17時勤務のホワイト企業でした。
新聞配達をしていた4年間に比べれば、驚くほど居心地がよかった。
……けれど。
「ようやく、人生が落ち着くのかな」
そう思い始めたその矢先 ー
母が、命にかかわる病気を発症しました。
そのとき、治療費すら支援できない自分の経済力に
情けなさと悔しさがこみ上げました。
「このままじゃ何も守れない!
もっと収入がほしい」
そう思い飛び込んだのが、まったくの未経験だったIT業界でした。
パソコンすら苦手だった私が、IT業界でプロジェクト管理へ
最初の仕事は、社内業務システムの開発。しかも一人で。
Excelしか触ったことがなかった私は、
画面に並ぶコードを見ては「呪文?ラテン語?」と思ったほど(笑)
でも、「できない」より「できるようになりたい」気持ちのほうが勝っていました。
近所の書店で何万円分もの専門書を買い込んでは、両手いっぱいに抱えて帰った日々。
いまでは良い思い出です。
少しずつ「わからない」が「分かる」に変わるそんな感覚が、うれしかった。完璧じゃなくても、一歩ずつ前に進むことが
楽しかった。
その後 ー
商社や政府のプロジェクトで働くようになり、
プログラマー → SE → ITチームリーダー → IT内部監査 → プロジェクトマネージャー
と、仕事の幅を広げていきました。
日本企業に限界を感じて、外資系へ挑戦
ITの仕事は、ほんとーっに楽しかったー!
でも、段々とこんな風にも感じるように。
「いまの働き方、ずっと続けられるかな?」
ダラダラと終わらない会議…
年功序列、空気を読み合う職場 ─
どこか、不自由さがまとわりつくような感覚。
「もっと自分らしく働ける場所が
きっとあるはず!」
そう思い、外資系企業への転職を決意したのです。
しかし、外資系、そんなに甘くはなかった〜!1社目は、まさかの選考10回!
9回目までは順調だったのに、最終面接の“英語”で撃沈。
はい、…けっこう凹みました(笑)
でも諦めずに、2社目(アメリカの企業)で内定を獲得!
ー ところが、ここで直面したのが、めっちゃ分厚い“英語の壁”!
もう当時の私は、英語力ほぼゼロ!「Hi Chikako」のメールでさえドキドキ。上司から「sec(セク)」と呼ばれ、あたふた。
(※ ちなみに「Can you come here for a second? / ちょっと来て」だったことは後に知ることになります…)
周りはみんな英語のできる人たち。わたしの「なんちゃって英語」を同僚に聞かれるのは恥ずかしすぎるー当初はそんな気持ちになり海外とのオンライン会議は、いつも“こっそり一人会議室”でやっていました(笑)
けれど、そんな風に現場で鍛えられるうちに
英語にも、多国籍文化にも、自然と慣れていくのでした。
人間の適応力ってすごいよね。
そうこうしているうち ー
-
TOEIC 865点
-
英語で「PMP(プロジェクト管理の国際資格)」
など取得することもでき…
決して ” 完璧ではないけど、自分らしい一歩” を、手に入れました。
転職は “逃げ” じゃない。”戦略” だ。
私は「転職」を、人生のステージを上げるための”戦略”として使ってきました。
正社員にこだわらず、非正規雇用も活用しながら、“自分の価値を発揮できる場所”を自分で選んできたんです。
つねに意識していたのは、たった3つの問い。
-
自分らしく、楽しく働けるか?
-
成長できるチームか?
-
納得できる報酬が得られるか?
結果として ー
年収300万円 → 2000万円に。
週3リモートOKの職場で、「やりがい・収入・自由」、すべて丸っと手に入れました。
自分らしく働く姿に、キャリア相談が集まるように
副業ブログにも挑戦してみました。
初収益は「27円」──でも、めちゃくちゃうれしかったです(笑)
そのブログは後に月60万円ほどの安定収益を生むように。
でもね、本当に伝えたいのは「いくら稼ぐか」じゃなくて。
転職も、副業も、ぜーんぶ!…じつは
「どうすれば自分らしく働けるか?」を
追い求めることに価値があるんです。
そんな私の姿を見てか、次第に
上司や同僚からキャリア相談を受けるようになっていきました。
「ねー、転職ってどう考えればいい?」「今の仕事に悩んでて、ちょっと聞いてもらえる?」
そんな感じで周りからの相談が増えるにつれ「わたしの経験が、誰かのヒントになるかも?」
そう思うようになっていき、
「“キャリア支援”を始めよう!」そう決意することになりました。
キャリア支援を始めようとしたその矢先、大きな転落が待っていた…
そんな矢先、突然、身体に異変を感じるようになります。
吐き気と嘔吐が止まらず、原因不明のまま1年以上。
ようやく出た診断結果は「5年生存率 5.9%」という厳しい現実。
…もう働くどころか、生きられるかさえ分からない。
でも、そんな中、ある日ふと気付くと、クスっと思い出し笑いをしていたんです。
その思い出し笑いの内容がなんと「仕事」のことだった!!
チームで協力して、笑って、壁を乗り越えた日々。
夢中になったプロジェクト。
「あー、働くことは、ただ稼ぐことじゃなかった」
働くことは、私にとって“生きること”そのものだった。
働くことは、生きること
もう一度人生を始めよう、そう思った日
病気の治療には、なんと6年もの歳月がかかりました。
その間、薬の副作用や手術の後遺症が、もうツラすぎて…
何度も心が折れそうになりました。
それでも、心のどこかで「きっと明けない夜はない」、
そう信じ続けてきたのだと思います。
そして ー
2024年12月24日、主治医からの言葉。
「よく頑張りましたね。治癒といっていいでしょう」
そう、ようやく“治癒宣言”をもらえたのです!
6年の闘病のあいだ、胸の奥にずっと抱えていた想いがあります。
「もし回復できたら、誰かのキャリアに本気で寄り添いたい」
いま、ようやくその目標に向かい進み出すことができました。
自由に働きたいなら、まず“会社員”を使い倒せ
「自由に働く」「好きなことで生きていく」
そんな言葉があふれる時代です。
もちろん「起業」や「フリーランス」という道も、とても素敵ですよね。
でも、私は思うのです。
会社員だって、やり方次第で“最強に自由”になれる!と。
たとえば:
-
安定収入がある中で、スキルと経験を積める
-
出会えなかった人・チャンスに触れられる
-
失敗しても、大きなリスクは背負いにくい
ね?
これって、じつは「挑戦したい人」にとって、理想の環境なんです。
ただ、「会社に選ばれる」のではなく「自分が会社を選ぶ」姿勢が大切。
ほんの少し意識を変えた瞬間、働き方の視野が一気に広がるのを実感できるはずです。
あなたは、どんな未来を選びたい?
「なんとなく今の働き方に違和感がある」
「でも、何を変えたらいいか分からない」
そのモヤモヤは、じつは未来からのサインです。
あなたが「こうありたい自分」に近づく選択を
一緒に探していけたらうれしいな。
📨ご相談・DM・コメント、いつでもどうぞ。
さいごに
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
あなたが「自分らしいキャリア」を歩き出す、その一歩を心から応援しています。
このでは、
「戦略的にキャリアをつくる」ヒントをこれからも発信していきます。
よかったらフォローして、また遊びに来てくださいね。
🔖わたしのキャリア実績とスキル✅ IT・英語ゼロから外資系ITへ転職✅ 年収300万円 → 2000万円へ(7倍UP)✅ TOEIC865点/PMP(英語でのプロマネ資格)✅ 副業ブログで月収60万円を達成✅ 5年生存率5.9%の難病から「治癒宣言」獲得✅ 簿記1級/CAD検定1級 ほか
🌱発信テーマ
🔸「会社員をやめなくても、自由は手に入る」🔸「キャリアは戦略でつくるもの」
🔸「働き方は、“もっと自分らしく”変えられる」etc.
つづく ♪
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