金曜日, 5月 30, 2025
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自分と向き合うことのリスクこやまの散文日記

🧠 あらすじと概要:

映画のあらすじ

本作は、自己との向き合い方とそれに伴うリスクに焦点を当てたストーリーです。主人公は、他者の言動や感情に深く入り込み、自分自身の感情から目を背けていることに気がつきます。彼は、シングルであることを通じて、自分自身との関係を築く時間を持つことができると考えます。そんな中で、彼は自分の気持ちや選択を大切にし、自分を信じることの重みを学んでいきます。

記事の要約

この記事では、自分自身と向き合うことの重要性とその過酷さについて綴られています。特に他者の言動に焦点を当てることで、自己の感情から逃避することがあると指摘。著者は、宇多田ヒカルの言葉を引き合いに出しながら、自己分析の難しさについて考察します。最終的に、曖昧ながらも自分の選択を信じて進んでいくことの大切さを伝えています。今日の選択が少しでもマシであれば、それが成長の証であるとのメッセージが込められています。

自分と向き合うことのリスクこやまの散文日記

こやまの散文日記

2025年5月28日 23:30

ふと思った。誰かのことをずっと考えてる時って、ほんまは“自分の気持ち”を考えたくない時なんちゃうかって。たとえば、LINEの返事が遅いとか、SNSの投稿がどうとか、言動が気になるとか。相手の言動ひとつひとつに反応に他者の気持ちや行動を必死に深読み考える事は自分の気持ちと向き合わない理由にもなりうるじゃあそれに誰かと付き合っていない時間や孤独を感じる時間。つまり“シングル”でいるってことは、

結局は「自分との関係を築く」ってことができる時間でありチャンスでも在る。

じゃあどうするべきか「今の俺は、これを感じてる」「この選択をしてみたい」って、ちゃんと自分を主語にしていくことたとえそれが間違っても、「俺が選んだ」って言える自分でいたい。宇多田ヒカルが3年前の雑誌のインタビューで「週5で精神分析受けてる」って聞いて、“自分で在る”と言う事はそれだけ自分と向き合う事の過酷さとリスクが伴うんだなーってすごく当たり前の事なのに、気づかなかった。でもそれでも、曖昧なままでも、怖くても、“今の自分”を選び続ける。それが、たぶん“自分を信じる”ってことなんやと思う。このエッセイにも確信的な事はないけどでも「今ここで、曖昧なまま、それでも立ち止まらずに選んでる」それだけでも、十分進んでる証拠やと思ってる。今日、曖昧でも「こっちの方が少しマシかもな」って感じた方を選ぶ。今日はそう思えた。

こやまの散文日記

日常で感じたこと、書きたいと思ったこと答えが見つからないもの



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