月曜日, 5月 19, 2025
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第3話 貨幣とは何か──自然には生まれない「信用」の物語ザイム夢我無罪

🧠 概要:

概要

この記事では、現代の貨幣システムにおける「信用創造」のメカニズムを解説し、貨幣の本質が自然に存在するものではなく、人為的に作られる「信用の記録」であることを強調しています。銀行による貸付が新しいお金の創出にどのように寄与するか、そしてそのシステムが一般市民や中小企業にどのような影響を与えるかを詳述しています。また、バブル崩壊後の日本経済への影響や、利子の存在が生み出す経済的な不平等についても触れられています。

要約

  • 貨幣の本質: お金は「信用」に基づいて生み出され、人為的に発行されるものである。
  • 信用創造のメカニズム: 銀行は融資によってお金を「作る」ことができる。借金が新たな通貨を生むが、返済時には利子が必要。
  • 利子の存在: 借金に伴う利子は元金にはなく、他者から奪ったり新たに借り入れたりすることで賄う必要がある。
  • 庶民の苦境: 中小企業や一般市民は借金を背負い、利子の負担が重く、経済的な苦境にある。
  • 失われた30年: バブル崩壊後、銀行の貸し渋りが経済の資金供給を阻害したことで「金欠スパイラル」が発生。
  • 国債の役割: 政府は国債を発行して追加の資金供給を行い、それが通貨供給の変わりになる可能性がある。

この記事は、貨幣と経済構造に関する深い洞察を提供しており、特に信用創造の影響を理解するために重要です。

第3話 貨幣とは何か──自然には生まれない「信用」の物語ザイム夢我無罪

私たちが日々使っている「お金」とは、一体何なのか。 財布に入った千円札、銀行口座の残高、交通系ICカードの数字── それらはすべて「お金」だと認識されていますが、ではそれは、どこで、どのようにして生まれたのでしょうか。

多くの人は、「お金とは価値のあるモノを交換するための手段だ」と答えるでしょう。 それは確かに正しい一面を持っています。しかし、それだけでは足りません。

ここで問うべきなのは、「お金の発生源」です。 そのお金が、初めてこの世界に現れた瞬間──いわば「誕生の場面」について、私たちはほとんど知りません。

実は現代のお金は、「信用貸し」によって生み出されています。 「貸すこと」が、「お金を生み出すこと」とイコールになっているのです。

つまり、誰かが借金したとき、はじめて新たなお金がこの世に出現する── それが、現在の通貨制度の中核にある「信用創造(credit creation)」の仕組みなのです。

しかしこの仕組みは、長い間、ごく一部の人たちによってのみ理解され、使われてきました。 その結果、庶民は「お金がない」と苦しむ一方で、銀行だけが「お金を生み出す権利(=増刷益)」を独占しているという構図が生まれていたのです。

この章では、そうした貨幣の本質── 「自然には生まれず、人為的に発行される信用の記録」だという事実を、明らかにしていきます。

◆ 信用創造とは何か──お金の誕生メカニズム

銀行の役割と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「預かったお金を貸し出す」というイメージです。ところが実際には、銀行は誰かから預かったお金を貸しているわけではありません。

銀行は、誰かが融資を申し込んできたとき、その借り手の口座に「○○円」と数字を打ち込みます。 たとえば100万円の融資であれば、銀行はその人の口座に「100万円」と記録するだけです。 この瞬間に、世の中のお金の総量が100万円分、増えることになります。

つまり、銀行の融資とは、「お金を移動させること」ではなく、「お金を新しく作り出すこと」なのです。 これが信用創造と呼ばれる仕組みです。

ただし、ここで重要なのは、「借りればお金が増える」という表現が完全な真実ではないという点です。 確かに元金のぶんは一時的に増えますが、返済時には利子も含めて支払わなければならず、 その利子のぶんは世の中に存在しない“架空の通貨”です。 したがって、トータルで見ると通貨は徐々に減少し、経済全体が痩せ細っていく構造になります。 この仕組みの矛盾を一時的にカバーしていたのが、政府による「国債発行」というもう一つの通貨供給手段だったのです。

つまり、この構造において、銀行は「貸した瞬間にお金を生み出し」、 返済されたときに利子を除けて「そのお金を帳消しにする」ことになります。

そして、利子の分が国債によって、帳消しにされるのですが、るいせき赤字として、国の借金が増えたと誤認されるのです。

◆ 貸し付け=創造、返済=消滅の上マイマスに

このような仕組みのもと、世の中のお金は、誰かが借金をすることで増え、 誰かが借金を返すことで減っていくという、不思議なメカニズムで循環しています。

お金が足りないとき、どうするか? 誰かが借りればいいのです。 すると、新たなお金が生まれて流通し始めます。

しかし、逆に言えば──誰も借りなければ、世の中のお金は増えません。 そして、既存の借金が返済されれば、その分だけお金は減っていくのです。

この仕組みの最大の問題は、「お金の供給が、誰かの借金に依存している」という点にあります。

つまり、私たちは「通貨を持つ」ために、誰かが「借金を背負う」ことを前提とした社会を生きているのです。

◆ 利子は創造されない──“存在しないお金”をどう返す?

ここでさらに深刻な問題があります。 それは、「借金には必ず利子がついている」という事実です。

100万円を借りたら、105万、110万といった金額で返済しなければならない。 しかし、信用創造によって生まれるのは「元金」だけです。 利子に相当するお金は、最初から世の中に存在しないのです。

この利子分をどうやって返すのか。 それは、「他人から奪う」か、「誰かがまた新たに借金をして増やす」しかありません。

この構造が、社会全体に“足りない感覚”をもたらし、競争と格差を生み出してきたのです。

◆ 庶民が金欠になる理由──構造的な不利の中で

では、なぜこの仕組みが特に庶民を苦しめるのか。

そう言うと話が単純すぎるかもしれません。 信用創造の恩恵を受けるのは、お金を生み出す側──つまり銀行、そして通貨創造を可能にする借入を行う大口の事業者たち──であり、 さらに言えば、大手企業のように信用力が高く、低金利で資金を引き出せる立場にある者たちです。 たしかに、彼らは借金によって新たな通貨を生み出し、その資金で投資や設備拡大を行うことで、実質的な“創造の側”にいるようにも見えます。 しかし、その実態は単純ではありません。 彼らもまた、巨額の負債を背負い、返済の重圧のなかで資金繰りに追われています。 一見すると創造に見える行為も、実際にはすでに生み出されたお金の恩恵を受けて回しているにすぎず、実際には“創造”とは言いがたい状況すらあるのです。 つまり、大手企業の経済活動も、通貨創造の“受益者”であると同時に、過酷な返済競争に巻き込まれた“自転車創業”の側面を持っているとも言えるのです。現状維持すら難しくなった今、多くの大企業は国内での収益確保が困難となり、海外にすそ野を広げることでかろうじて耐えているというのが現実です。

一方で、返済義務を負わされ、なおかつ利子という“存在しないお金”を埋めなければならないのが、 主に中小企業や一般市民です。彼らは信用創造の輪の中では“生み出す側”ではなく、“背負わされる側”に位置づけられてしまうのです。

その信用によって、社債と言うモノが存在しています。ここでは、それが、国債と同じ様に機能し、通貨発行しいていると、捉える事も出来そうですが、企業にとって、社債は、外貨建てに等しいと言えます。つまり、ギリシャの破綻の様に、円建ては、社債にとっては、外貨であり、破綻があり得るので、そこが、国債と違う所です。

そして、庶民は、もともと利子を得る側ではなく、支払う側に位置しています。 そのうえ、給与や生活費といった収入の流れは固定的であり、急に増やすことは困難です。

すると、何が起きるか。

結果、破綻・倒産・自己破産が増える

● 借金で得た資金は返済と利子で消え、蓄えが残らない ● 消費活動は縮小し、経済全体も冷え込む ● 利子負担に耐えきれず、破綻・倒産・自己破産が増える

こうして、金がないという状態は、一人ひとりの努力不足ではなく、 制度によって“設計された必然”なのだということが見えてきます。

◆ 失われた30年──「借りたくても借りられない」時代の到来

1990年代初頭、日本経済はバブル崩壊を迎えました。 それまで膨張していた地価や株価が暴落し、多くの企業や個人が巨額の不良債権を抱えることとなりました。

銀行は、信用不安を恐れて貸し出しを渋る「貸し渋り」や、既存の融資を引き上げる「貸し剥がし」を強化しました。「貸し剥がし」は、貸付先に対して返済を急かし、場合によっては担保として差し入れられていた資産(不動産や機械設備など)を差し押さえ、競売にかけることで債権回収に動くことも含まれます。 借りたい人はいても、銀行は慎重になり、資金供給がストップする。 その結果、企業は運転資金を確保できず、倒産が相次ぎました。

この時期から、日本経済は本格的な「金欠スパイラル」に陥ります。

● 貸し渋りが経済を殺した

それまで信用創造によって支えられていた通貨供給は、バブル崩壊後に突然縮小に転じます。 なぜなら、銀行が貸さない限り、お金は新たに生まれないからです。

しかし、これは単なる信用不安の問題ではありませんでした。 そもそも「誰かが借金しなければ通貨が生まれない」という構造そのものが、バブル崩壊と共に限界を迎えたのです。

景気を回復させるには通貨を供給するしかありません。 ところが、民間は借金できない。政府も「財政健全化」を理由に支出を抑える。

その結果、社会は「モノもサービスもあるのに、お金がない」という慢性的なデフレに陥りました。 この状態が、「失われた10年」「20年」、そして現在の「失われた30年」にまでつながっているのです。

このように、私たちが「お金が足りない」と感じる原因は、偶然ではなく制度設計の結果でした。 信用創造の仕組みは、借金というリスクと引き換えにしか通貨を生み出せない構造であり、 それが破綻したとき、国民経済は「借りたくても借りられない」時代へと突入しました。

だが、ここで忘れてはならないのは、通貨の供給手段が「信用創造」だけではなかったという事実です。

実際、バブル崩壊後の金欠を補うために、政府は国債を発行して資金供給を試みました。 その国債こそが、もう一つの「通貨を生む装置」として機能していたのです。

次章では、「国債とは何か?」という問いに正面から向き合い、 それが本当に「借金」なのか──あるいは、実は「通貨の代替手段」だったのか── この社会の通貨観を根本から問い直す旅に入っていきます。



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