🧠 概要:
概要
三谷哲也氏は、無駄なことが持つ意義について考察している。無駄なことが人生を豊かにし、感動を与える要素であると述べ、無駄を排除する風潮に否定的な見解を示している。特に音楽においては、効率や利便性よりも、無駄が持つ美しさやカッコ良さを重視することが芸術であると強調する。自身の音楽活動を通じて、ギターヒーローの概念についても言及し、その役割が変化していることを示唆している。
要約
- 無駄なことは人生を豊かにする重要な要素。
- 遊びや酒などの無駄は「平和」を象徴する。
- 音楽の中では無駄を無駄でないように表現することが大切。
- 効率や利便性を追求することが多くなっている現代への懸念。
- ギターヒーローの概念の変化に言及し、自身の役割について考察。
- 無駄がカッコ良く魅せることができることの重要性を強調。
- 音楽活動は個人の生き方や人間性が反映される。
それが芸術やと思う。
効率の悪い利便性の悪い真空管アンプが何故愛されるのか?その割に何故ギターの弾き方だけ効率を求めるの?
それは無駄な事を無駄にカッコ良く魅せる事が出来る人が単に不在なだけやと思います。
もう今って無駄を省く事を追求するくらいの事しか残されてないように感じる。
それしか出来ない人の方が多いんやと思う。
フライングVを無駄に足に挟んだり、カッコ付けて手を上げたりしゃがんだり、、色々あるんやけど、全部無駄なんです。
音楽だけ。弾き方にだけフォーカスするならそれらは無駄なんです。
でもその無駄がカッコいい。
反対にいくら効率良く上手く弾けてもカッコ悪いってのもある。
それはもう元々持ってるか持ってないかしか説明がつかないと思う。動画サイト等でよくある昔のハイテク系のギタリストの技術を分析するってのは技術を躍進していく上では必要な分析で素晴らしいんですが、別にピッキングで音楽を聴いてないし、そもそも音楽や姿やバックグラウンドに惹かれて聴いてたから俺にはどうでもええ事なんですよ。アーティストというのは分析する側ではなく、される側なんですね。それを今歴史が証明してる。分析はされる側。これがギターヒーローと呼ばれた者やったんです。それが塗り替えられようとしてる。ちゃうな、塗り替えられた。
今はギターが達者な人がギターヒーローと呼ばれる時代なので俺はギターヒーローではない。と声高に言うてるんです。
楽器店で足を投げればギターヒーローに当たる。ギターヒーローという呼称が忘れられてた7年程前?に俺がギターヒーロー復権を掲げ。
自分で名乗り。
本来は自分で名乗る物では無いんやけど、無くなった所に提示するんやから自分で言うのが一番手っ取り早いから。
そしてその呼称を復活させたという自負が俺はあります。そして今ではその呼称は俺の思う物と大きく違ってきたので俺はギターヒーローをやめたんです。自分では辞めたけど今でも俺はそう呼称される。それは俺の意思ではどうにでもならないし、その人にとっては俺がヒーローなので「ありがとう」なんです。
そしてこういう事を自分で言うと「老害認定」されやすいんです。
でも心配いりません。
このハードロックの世界には若者居ないので。
そりゃ他の所に若者ははおるで。でも関わりないもん。なので害になりようがない。演奏技術よりも効率とかコスパを考え無いと行けないのは営業なんです。効率良く弾ける人は多分営業もコスパええような気はする。揶揄するのではなく達者なアマチュアギタリストが再生回数伸ばせるのと同じで。効率良く弾けない人はその辺りも効率悪い気がするする。俺のように。これが音楽その物ではなく音楽活動に生き方や人間性、その人の特性が現れる。という事。これは又書こう。
Office web site
https://emeraldaisles1101.wixsite.com/mysite
Blog
http://blog.livedoor.jp/tetsuyamitani/
Youtube Channel
https://www.youtube.com/user/emerald2040
Tetsuya Mitani On Line Store
https://msrmusic.thebase.in/
Views: 0