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概要
この記事は、流行語やトレンドに対する批判的な視点を提供し、特に「パーパス経営」や「ESG経営」といった言葉が形骸化しないための思考法について述べています。著者は、流行に飛びつく経営者たちが、企業の本来の理念や価値観を忘れてしまう危険性を指摘し、企業が真に大切にすべき価値観や目的をどう育むかを考察しています。
要約ポイント
- 流行言葉の疑問:流行している用語に付き従うことが果たして有意義なのか疑問視。
- 目的やESGの重要性:パーパスやESGが不要ではなく、企業にとって重要な要素であることを強調。
- 形骸化の危険:流行語に飛びつくことで、企業が過去の実績や考え方を無視するリスク。
- 理論の後付け性:多くの経営理論は過去の成功例を分析して導かれるものである。
- 模倣のリスク:流行語の浸透によって、企業の取り組みが表面的なものになる危険性。
- MVV改革の考察:パーパス経営への移行が本質的な価値を反映していない場合、無意味になる可能性がある。
- 名づけの本質:用語の変更が本質的な改善を伴わない場合、企業文化は根本から変わらない。
- 実行力の重要性:流行語を意識するよりも、核心的な価値観をどう実行するかが重要であることを強調。
このように、言葉の本質を理解し、それを企業の行動にどう反映させるかが重要であると著者は述べています。
四半世紀にわたりデジタルマーケティングに関わってきた中で、常々感じているのは、次々と生まれてくる「流行り言葉」には本当に意味があるのかという疑問です。これはマーケティングの領域に限らず、ビジネスの世界全体で頻繁に見られる現象だと思います。
こうした話題を持ち出すと、私が何を嫌っているのかが透けて見えてしまうかもしれませんが、たとえば最近の代表例としては「パーパス経営」や「ESG経営」といった言葉が挙げられます。
誤解のないように申し上げると、私は「企業にとって目的(パーパス)が不要」だとか、「環境・社会・ガバナンスに配慮しなくてよい」と主張しているわけではありません。むしろ、それらは企業経営において極めて重要な要素です。
私が問題視しているのは、こうした言葉が一度流行語のように世の中に浸透し始めると、それに飛びついてしまい、それ以前に自社が積み上げてきた取り組みや考え方を忘れてしまう人、特に経営者が少なからず存在することです。
ビジネスや経営の領域では、新しい考え方や枠組みが登場する背景には、たいていその理論を裏付ける成功事例と、それと対比される失敗事例がセットになっています。なぜなら、経営学というのは基本的に実証科学的な要素を多く含んだ学問領域だからです。
実証科学では、成功している企業群に共通する特徴Aがあり、失敗している企業群にはそのAが欠けている、というような構造が見つかったときに、Aを「成功要因」として定義します。つまり、理論とは多くの場合、過去の事例を分析して導かれる“後付けの構造化”に他なりません。
このような背景を理解せず、言葉だけを真に受けて現場に落とし込もうとする姿勢に、私は危うさを感じているのです。
理論が生まれる前と後で企業はどう変わるのか?
「ビジネス理論は後付けである」と言われることがあります。では、後付けであるとは、具体的にどういうことでしょうか。
それは、理論が確立される以前に成功していた企業や経営者は、その理論が存在していなかった時点でも、すでにその内容に沿った判断や行動を選び取っていたということです。
その背景には、他の先行理論の影響を受けていたケースもあるでしょうし、あるいは経営者自身が、自分の価値観や信念に基づいて自然とそのような選択をしていた場合もあります。
いずれにしても、彼らは「これはパーパスだ」「これはESG経営だ」といった言葉を使っていたわけではありません。むしろ、自分たちの価値観や文化を言語化する手段として、後になってからそれが“パーパス”という言葉に当てはまっただけなのです。
自然科学と経営学の決定的な違い
ここで注目すべきは、自然科学と経営学の理論の広がり方には大きな違いがあるという点です。
自然科学では、たとえば万有引力や熱力学といった理論が発見されたとしても、その理論が自然現象を変えてしまうことは基本的にはありません(遺伝子編集など一部の領域では例外も出始めていますが)。
一方、経営学は異なります。理論が生まれ、それが「優れたもの」「成功の鍵」と認知されると、多くの企業がその理論を模倣しようと行動を変え始めます。言い換えれば、理論が行動を変えてしまう力を持っているのです。
これは決して悪いことではありません。そもそも経営学の目的は、成功の再現性を高めるための理論化にあります。企業が成功法則を学び、応用しようとするのは、ごく自然な動きです。
模倣のリスク:形だけの横展開に潜む落とし穴
問題は、その理論の横展開が“表層的”になるリスクが高いということです。
流行語として広まっていく初期段階では、提唱者の著作や論文をきちんと読み込み、背景を理解したうえで導入しようとする人が多い傾向にあります。
しかし、流行がピークを迎える頃には、その言葉だけが一人歩きし、意味や文脈が誤って解釈されることが増えてきます。
その結果どうなるか。
後追いでその言葉を導入した企業では、「パーパス経営を導入したはずが、スローガンを張り替えただけ」「ESGを打ち出したが、どこに本質的な取り組みがあるのか分からない」といった状況に陥りがちです。
**形だけをなぞった“なんちゃって理論経営”**が生まれ、結果的に「やってみたけどうまくいかなかった」という結論に至ってしまうのです。
パーパス経営はどこから来たのか
「パーパス経営」という言葉が注目されるようになって久しくなりましたが、その背景にはどのような理論の流れがあるのでしょうか。
先行する考え方として、私がまず思い浮かべるのは『ビジョナリー・カンパニー』です。この書籍では、数十年にわたり長期的に成功を収めている企業を抽出し、その共通項を分析するという手法がとられていました。明確で一貫したビジョンを掲げ、それを組織全体で共有していること、さらに、そのビジョンに共感した社員の定着率が高く、経営者も内部昇格が中心である、という特徴が導き出されています。
さらにさかのぼれば、ピーター・ドラッカーが提唱した、ミッション(Mission)、ビジョン(Vision)、バリュー(Value)の重要性に行き着きます。企業経営における価値観の明文化は、長年にわたって重視されてきたテーマであると言えるでしょう。
では、「パーパス」という概念が広く語られるようになった契機は何だったのでしょうか。一般に知られているのは、2018年、アメリカ最大手の資産運用会社ブラックロックのCEO、ラリー・フィンク氏が発したメッセージです。彼は投資先企業の経営者に対し、業績だけでなく社会的意義(=パーパス)を持つ経営が不可欠であると呼びかけました。
この議論の根底には、株式会社という仕組みが持つ本質的な構造があります。すなわち、株主へのリターンを重視するあまり、企業の経営判断が短期的になりがちだという課題です。特に四半期ごとの業績開示が重視される風土の中では、経営の焦点が短期成果に偏る傾向があります。
そうした環境では、任期4〜5年程度の経営者が、自らの在任期間中に成果を出すことを優先してしまい、経営方針がコロコロと変わってしまう。結果として、企業としての一貫性や長期的成長の方向性が見えにくくなる、という弊害が生じるのです。
「パーパス」という言葉は、こうした短期主義へのカウンターとして提示されたものだと捉えるべきでしょう。
パーパス経営の「実践あるある」
パーパス経営とMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)には、理論上の違いがあります。たとえば、MVVは企業が社会の中で果たす役割を“外からの視点”で捉えるのに対し、パーパスは企業自身の内面から湧き上がる“主体的な意義”を起点とする――そんな説明がなされることもあります。
とはいえ、私自身、両者の社内議論に明確な差が生まれるとは思えません。というのも、MVVとパーパスの違いを実務で有効に使い分けるには、議論をリードする側の人間が相当深く理論を理解していなければならないからです。
つまり、現実の職場においては、MVVとパーパスの区別はほとんど意味を持たないと考えるほうが自然です。にもかかわらず、経営者が「これからはパーパス経営の時代だ。我が社もMVVからパーパスへ切り替える」と宣言し、大規模なプロジェクトを立ち上げようとしたら、果たしてそれは正しい判断と言えるのでしょうか?
以下は、そんな“パーパス刷新プロジェクト”で起こりがちな3つのシナリオです。
シナリオ①:MVVが浸透し、社員の共感を得ている場合
MVVが実際に機能しており、企業文化や社員の行動に根付いているのであれば、それはその会社に合った、良質なMVVである可能性が高いです。この場合、新たに策定されるパーパスも、MVVと大きく乖離しないものでなければ意味がありません。むしろ、時代の変化に合わせた微修正で十分であり、MVVの名前を変えてパーパスにリブランディングする必要があるかどうかは疑問です。
つまり、MVVが有効に機能しているのであれば、「パーパスへの移行」という大騒ぎは、経営陣の自己満足でしかない可能性があります。
シナリオ②:MVVが形骸化している、または社員に共感されていない場合
このケースでは、問題の本質は「MVVかパーパスか」という議論にはありません。そもそも企業の存在意義や価値観が、社員に伝わっていないことこそが根本の課題です。
こうした企業では、新たにパーパスを策定したところで、MVVと同様に“絵に描いた餅”になる可能性が極めて高いでしょう。浸透セッションなどで一時的に社員を集めて議論したとしても、多くの場合は予定調和の空気が支配し、場の同調圧力に押されて否定的な意見を述べにくくなります。結果、セッション後のアンケートには「会社のことを考える良い機会になった」といったコメントが並び、経営陣は「うまくいっている」と安心してしまう。だが、実態は何も変わっていない――よくある話です。
こうした背景には、経営層がパーパスやMVVといった抽象的な理念にそもそも興味がない、あるいは日常的な業績管理ばかりを重視しているという構造的な問題があるのではないでしょうか。
シナリオ③:MVVは一定の成果を上げているが、新しいパーパスを掲げようとする場合
ここで問題になるのは、「せっかく変えるのだから新しいものを」という発想です。MVVやパーパスは、本来であれば企業の長期的な存在意義や社会的な役割を明文化するためのものであり、戦略と違って頻繁に変わるべきものではありません。
「戦略が変わればMVVやパーパスも変わる」と主張する経営者もいますが、これは順序が逆です。戦略はMVVやパーパスの実現手段であり、それらの“上位概念”であるはずのMVVやパーパスが戦略に引きずられて変化するというのは、理論上は本末転倒です。
このように、流行に飛びついてパーパスを掲げ直すことには慎重になるべきです。重要なのは、名前を変えることではなく、それが企業全体にどう根づき、社員の行動にどう反映されるかです。
理論は“名前”ではなく“本質”を理解してこそ意味がある
ここまで見てきたように、パーパス経営やMVVといった経営理論の“ネーミング”がどう変わろうと、本質的な内容――つまり企業が掲げる長期的な存在意義や価値観のようなものは、流行に合わせてコロコロ変えるべきものではありません。
私が挙げた3つのパターンのいずれであっても、結論は同じです。「パーパス経営が流行っているから」といって、それを拙速に導入する必要はないということです。
本当に重要なのは、流行りの言葉かどうかではありません。企業として、短期的な業績目標を超えて、中長期的な視点から自社の役割や価値をどう定義しているのか。そしてそれが、社員の間でどれだけ共有・共感され、実際の行動規範にまで落とし込まれているのか。この“内実”こそが問われるべきなのです。
もし、現時点でそうした価値観が社内に浸透していないのであれば、まず議論すべきは「MVVにするかパーパスにするか」ではありません。そもそも、なぜそのような長期視点の思想が組織として育ってこなかったのか。その原因を、マネジメント層が真剣に議論する必要があります。
一方で、すでに企業としての価値観が社内に根付き、社員の行動や意思決定にも反映されているのであれば、仮に投資家や採用市場の目線を意識して「パーパス経営」という言葉を使いたいと考えること自体は悪くありません。
ただしその際には、既存の社員に対して明確に伝えるべきです。
「今回、MVVという表現からパーパスに表現を変更するが、私たちが掲げる事業への姿勢や価値観は一切変わらない」
と。むしろそうすることで、「時代がどう変わろうと、うちの会社の価値観はぶれない」という安心感を社員に与えることができるはずです。
マーケティングにも溢れる“流行り言葉”の虚実
ここまで、私があまり好ましく思っていないMVVやパーパスのような言葉について、その実態と問題点を挙げてきましたが、同様の事例は私の専門であるマーケティングの世界にも山のように存在しています。
たとえば、「SaaS(Software as a Service)」という言葉。今ではすっかり定着していますが、昔は「ASP(Application Service Provider)」と呼ばれていました。どちらも本質的には、ユーザーがソフトをインストールせずに、ネット経由でサービスを受けられるという点でまったく同じ。なのに、なぜ新しい名前をわざわざつける必要があったのか、私には今もよく分かりません。
CRM(顧客関係管理)の分野でも、似たような言葉がやたらと多く登場してきました。たとえば、「リードジェネレーション」「リードマネジメント」「ロイヤリティマーケティング」などです。定義上は確かに細かな違いがあるのですが、基本的には、見込み顧客を管理して、メールやLINEなどのタッチポイントで収益化していくという話のバリエーションにすぎません。
私がマーケティングを始めた頃は、こうした手法を「パーミッションマーケティング」などと呼んでいた時期もありました。よくよく読めば「メルマガを丁寧に送りましょう」というだけの話だったわけですが、それでも業界では一時期、立派な流行語として扱われていました。
最近では、マーケティング用語辞典を眺めていたところ、「オムニチャネルマーケティング」と「マルチチャネルマーケティング」の違いについて、やたらと丁寧な説明が書かれていて、正直驚きました。そもそも「オムニチャネル」という言葉自体、かつての流行語で、今ではほとんど聞かなくなっています。私自身、25年近くオンライン・オフラインを横断したマーケティングに携わってきましたが、自分がやってきた施策が「オムニチャネル」なのか「マルチチャネル」なのかなんて、はっきり言って気にしたこともありませんし、その違いを意識する必要性も全く感じたことがありません。
では、なぜこうした新しい言葉が次々と生まれてくるのでしょうか?
私の見立てでは、こうした言葉は、理論家やコンサル会社、ビジネス書の著者たちが「自分の言っていることは新しい」「自分のフレームワークは他と違う」と差別化するために作り出している、いわばポジショニングの一環です。つまり、**「流行り言葉そのものがマーケティングされている」**という状態なのです。そのため、言葉が違っても中身に大きな差がないことも多く、形式ばかりが先行して、本質が置き去りにされてしまうケースが後を絶たないのです。
言葉の本質を見極め、実行力へと結びつける
これまでに、数多くのマーケターと共に仕事をしてきました。中には、常に最新のテクノロジーや業界トレンドにアンテナを張り、勉強熱心で、私にまで新しい情報を共有してくれるような部下も少なくありませんでした。そうした人材がいることで、業界の変化の兆しを早期に察知できるのは大きなメリットだと感じています。
しかし、そうした情報感度の高さと、長期的にマーケターとして高次元のスキルを獲得できるかどうかは、必ずしもイコールではないというのが正直なところです。
というのも、これまでの例で見てきたように、新たに登場する“流行り言葉”の多くは、実際には従来の考え方や手法を少し言い換えただけのものであることが非常に多いからです。8割方はすでに存在する概念の焼き直しであり、用語の変化が実質的な変化を伴っているケースはごく一部です。
もちろん、中には例外もあります。たとえば、数年前に登場したChatGPTのように、今後のビジネスやマーケティングの構造を根本から変えてしまうような「本物」も存在します。だからこそ大切なのは、新しい言葉に出会ったときに、その中身を冷静に検証するという姿勢です。
具体的には、
-
これは自分がこれまで使ってきた概念とどう違うのか?
-
その違いは、実務において本質的なインパクトを持つものなのか?
-
わざわざ新しい用語で呼ぶほどの違いがあるのか?
こうした問いを自分に投げかけたうえで、それが単なる表現の違いであれば、無理に流行の言葉に飛びつく必要はありません。むしろ、従来のやり方を高い精度で実践できているのであれば、それを貫くほうがよほど価値があると私は考えています。
なぜなら、経験上、その手のバズワードは、1〜2年もすれば忘れ去られ、また別の言葉に取って代わられる運命にあるからです。
流行語を知らないと恥ずかしい、業界のトレンドに乗り遅れているように思われる、と感じる気持ちもわからなくはありません。しかし、本当に重要なのは、その言葉の「本質」をどれだけ理解し、それを「実行」できるかです。知っているだけで実行できないのであれば、それは単なる知識のコレクションに過ぎません。
**言葉の理解と、実践(=Output)のバランスを取ること。**これは、成長を目指すマーケターにとって、決して忘れてはいけない視点です。
――ちなみに、この文章を書くにあたって、「バズワード(Buzzword)」という言葉を使わないで書くと心に決めて取り組んでみたのですが、正直かなり不便でした……。
【この文章は以下の文章のライトバージョンです。より詳細な議論はこちらでご確認ください】
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