🧠 あらすじと概要:
あらすじ
映画『サンダーボルツ*』と『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、それぞれ異なる作品ながら、観客に深い心理描写を通じて現実の厳しさを浮き彫りにする。どちらの映画も、主人公たちが直面する困難や選択肢の少なさを強調し、単なるエンターテインメントを超えた心の中の葛藤を描く。観客は物語を追いながら、従来のヒーロー像とは異なる人間的側面に共鳴し、苦悩や試練を通じて得られる教訓を感じ取る。
記事の要約
筆者は『サンダーボルツ*』と『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』を観ることで、自身の現実の辛さと向き合うことになる。どちらの作品も、期待されるようなヒーローの勝利とは裏腹に、困難な選択肢しかない状況を描写し、「逃げ道がない」「報われない未来」が待ち受ける厳しさを強調する。特に心理的な重圧が強い描写が存在し、観客に共感を引き起こすも、その辛さが時には耐え難いものであると感じられる。しかし、そうした厳しい現実を巧みに描いた両作には一種の美しさがあり、映画が持つ力、そして日々の中でいかに生き抜くかというヒントを提供している。
そんなわけで、なかなかパーッと明るい気分で映画館に足を運ぶ気になれない日も多いのだが、「続きが気になる」系の映画は、やや使命感にも似た感覚で観に行くことに。
それがMARVELの新作『サンダーボルツ*』と『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』だ。
そしてこの2作がまったくもって今のわたしの気晴らしにはならなかった…という事実を伝えつつ、その最低で最高な作品の真実に迫りたいと思う。
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そこまで心エグらんでも良くない??
これは今、わたしのメンタルが弱っているからなのか、それとも誰が観てもそういう感想を抱くのか分からないが、『サンダーボルツ*』も『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』も、ちょっと心理描写に力入れすぎじゃない?もっとシンプルなドンパチアクションじゃなかったの!?と、そのヒューマンドラマすぎる”まさかの”展開に、わたしの心はきゅーっとなった。
中でも両者に共通して言えるのは「逃げ道がない」「取れる選択肢が少ない」「成功しても失敗しても結局待ち受けるのは種類の違う”試練”だけ」という、まさに”2年目の地獄”的な展開であることだ。
「八方塞がり」っていうのが、ベスト オブ 生きている心地がしない状況だよね?(持論)
MARVELのようなヒーロー映画にしろ、『ミッション:インポッシブル』のようなスパイ映画にしろ、我々観客はそのドキドキの連続に手に汗握りつつ、心のどこかでは「いうてもハッピーエンドだから」「いうても最後には無事勝つから/成功するから大丈夫」という安心感を持って観に行っている節がある。もちろんここで取り上げている2作も例外ではなく、映画としては安心安全のラストが用意されているので、これから観に行こうという方もぜひ楽しんできていただきたいわけだが。
もっとも“映画として”ではなく、登場人物、映画内に生きる“当事者として”作品を鑑賞すると、この2作品のどちらも嫌らしいほどに「現実味のある辛さ」が横たわっていることに気づかされる。
なんかこう、世の中の価値基準が「善と悪」だけじゃなくなっている気がするんだよなぁ。
従来のヒーロー映画、またスパイ映画の王道としては、登場人物は皆、圧倒的な正義感によって成り立っていることだろう。逃げることだってできるが、”圧倒的な正義感”により苦難の道を歩む。取れる選択肢はたくさんあるが、”圧倒的な正義感”により苦渋の決断をする。
そういう動機付けがあるからこそ、我々観客はその成功を祈り、感動し、気持ち晴れやかに劇場をあとにすることができるというものだ。
しかしながら、この2作はちょっぴり様子が違う。ネタバレを避けるため敢えて明示はしないが、第一に彼らは逃げられない。逃げたら死、とかそんな容易い構図ではなく、死ぬことすらも許されない鉄壁の囲いが登場人物たちを取り巻いている。ゆえに取れる選択肢も非常に少ない。ヒーロー映画やスパイ映画の醍醐味といえば「プランA」「プランB」そして「プランC」という予想外の選択肢が次々と出てくる面白さにあると思うが、両作はこのわくわく感を尽く潰していく。その脚本には、ある種感動すらできるほどだ。
そして、その逃げ道がない中で選ぶ、数少ない選択肢の結果、目の前の敵を倒し、不可能なミッションを成功させたとしても、自分たちが報われる未来はほぼゼロに等しいという徹底した作りである。これにて完!無事平和!という想定が一切できない状態で、ただ目の前の試練をどうにか超えようとする切なさたるや、これがひどく「現実味のある辛さ」に、わたしは感じてならないわけだ。
ずばり、『サンダーボルツ*』も『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』も、これまでの作品シリーズとは打って変わって「共感」に全振りした映画であると、わたしは感じている。
常人の理解には及ばない超越した何か、ではなく、”敢えて”限りなく一般に、我々に近い存在として描いているようなのだ。
『サンダーボルツ*』の新キャラの名は、あまりに普通過ぎる「ボブ」です。
MARVELのある意味”新章”を飾った『サンダーボルツ*』は、観客の想像を遥かに超える強大なスーパーパワーを誇示するのではなく、「もうこうするしかないんだよな」「わたしたちも一緒だ」と思わせることで、これからのMCUを「共に」歩ませる布石を打ったと感じられる。
同シリーズの(一応)最終章と語られる『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』においても、イーサン・ハントによる過去の数々の行動と選択に対して、超人だからではなく、等身大の、生身の、我々と同じひとりの人間に巻き起こった数奇な運命であることを強調したラストだったと読み取れる。
良い意味でイーサンもただのひとりの人間なんだよな、と思いました。
そういう描写に関して、おそらく観客の好き嫌いは大きく分かれると思う。「同情するなら金をくれ」タイプの観客にとっては、登場人物のそんな”弱さ”は要らないから、最初から最後まで笑っちゃうほど強い爽快感だけをくれよと言いたくなることだろう。なにせ、ことハリウッド映画に関しては、わたしがそのタイプだからだ。
案の定この2作については、ここでいう「共感性」が強すぎて、今のわたしには少々真っ直ぐ向き合うのが辛かった。現実でも、良かれと思った自分の過去の選択に悩まされ、取れる選択肢が少ない中で、日々どうにか頑張るしかないというのに、気晴らし程度にやってきた映画の中でも、スターたちが同じように渋い顔して苦悩してる姿を見せつけられるのかよと、まったく可哀そうな話である。
この2作で描かれるのは正義感でもなんでもない。
正義というより罪滅ぼし。選ばれし者ではなく単なる因果応報。その報われない現実感がスクリーンいっぱいに映し出されるという、そういう映画たちなのだ。
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だがこの最低具合が最高で。
一見すると「そんな映画最低だな」と思われるかもしれないが、後半戦は、その最低具合が最高すぎるという話をしたい。
これは本当に、その作品の絶妙なバランス感覚によるものなので、一概にこの手の作品すべてに当てはまる評価ではないのだが、時に我々は一切のポジティブマインドを排除したくなるときがあるだろう。
「頑張れ」だの「大丈夫」だの「次は上手くいく」だの、登場人物のどん底っぷりを引き金に、その安っぽい応援歌で作品を締めくくることに、計り知れない嫌悪感を抱くことがゼロではない。
無論それはその作品を鑑賞するときの、鑑賞者の心持ちに120%左右される、実に身勝手な作品評価となってしまうわけだが、その点『サンダーボルツ*』と『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は、そのバランス感覚が優れすぎている。
フローレンス・ピューの体幹も優れすぎているけどね。
つまり、妙なポジティブメッセージでまとめ上げることもせず、かといって胸糞映画に落とし込めることもない状態で、すっかり現実に嫌気が差したわたしのような人間が、ばっちり(?)うな垂れることができる、見事な”ネガティブ共感力”を描き切ってくれているというわけなのだ。
登場人物の最低なマインドっぷり、登場人物を取り巻く最低な環境っぷりを、ここまで映画の枠内で最大限描写するのは一周回って恐ろしいほどである。
頑張ったからといって必ずしも報われるわけじゃない。正義が必ずしも良く評価されるわけじゃない。
なんだそれ、と思うかもしれないが、それが現実であり、世の中のひとつの真実である。そういうことを程よいバランスで伝えてくれる映画は、まったくもって気晴らしにはならないが、やっぱり最高なのである。
「満たされない」を表現するフローレンス・ピュー。「現実」を見せつけるセバスチャン・スタン。「背水の陣」を体現するデヴィッド・ハーバー。
「無力」を描くルイス・プルマン。
「因果応報」を伝えるトム・クルーズ。「タイミング」を教えるヘイリー・アトウェル。「信頼」を魅せるサイモン・ペッグ。
「自己責任」を映すヴィング・レイムス。
まったく目を伏せたくなってしまうほどに”綺麗事”がない両作だが、そこに映し出される役者陣、その目の奥の暗さに、一種の安心感を覚えることもまた事実。たまにはそういう作品があっても良いじゃないかと、わたしは思う。
そうして、こういう真実性の高い映画には、漏れなく不変的な人生のヒントが隠されていることも多く。『サンダーボルツ*』からは、辛くても独りにならないこと、『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』からは、すべてはタイミングであること、そんなことをわたしは感じ取ることができた。最低な現実を生き抜く、せめてもの心構えなのだろうと思えるのだが、皆さんはどう感じるだろう。
気分が晴れない映画体験も、決して悪くはない。
それもまた映画が持つ力のひとつで、映画のある暮らしの豊かなところ。今は吐けるだけ溜め息を吐いておいて、いつか訪れたい最高のタイミングに、最高の仲間と、美味い空気を胸いっぱい吸い込みたい。
『サンダーボルツ*』と『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』、然るべきときに、もう一度ゆっくり鑑賞しようと思う。
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