🧠 あらすじと概要:
あらすじ
「ミッション:インポッシブル ファイナルレコニング」は、前作「デッドレコニング」の続編として、イーサン・ハント(トム・クルーズ)が持つ鍵がもたらす運命を描く物語です。この映画では、スパイ組織IMFのメンバーたちが、暴走するAIを止めるための重要なツールを巡って敵と対立し、激しいアクションが繰り広げられます。また、これまであまり語られなかったイーサンの過去にも焦点が当てられています。
記事の要約
本作は、トム・クルーズの驚異的なスタントやアクションの肉体的表現が話題の中心となり、特に彼の全力疾走や大胆なアクションシーンが目を引きます。映画は、CG依存になっている現代のアクション映画に対して、トムが実際に肉体で挑むことで、リアリティと緊張感を提供しています。観客はトムの挑戦と成長、そして高いアクションの完成度に引き込まれ、最後まで目が離せない展開となります。記事を書いた人は、トムの精神力を見習いたいと感じ、年齢に関係なく挑戦を続ける勇気を持ちたいという思いを表しています。
厳しい寒さに身を震わせていた日々も過日となって久しい5月、初夏の心地よい風に包まれ、全身が喜びに震えるような錯覚を覚えることもしばし、ただ一カ所を股間だけを除いては。股間に広がる確かな違和感。それもそのはず、500円玉台の染み混みが排尿器官の真上にスティグマのように広がっているからだった。そう、残尿である。ちょっとミスったなんてモノではない、酷いときには「え、パンツ脱がないでションベンしたの?」くらいの広がりを見せることすらある。そのまま街に出て世間様にシミを見つかれば、脳の萎縮、痴呆を疑われてもおかしくないレベルだ。40代になってくると色んなところにガタがくる、というのは聞いていたが、明確にガタを感じたのが何を隠そうこの残尿、尿のキレであり、あまりのことに恥を忍んで医者に赴いたところ、同年代とおぼしき精力の強そうな医師は、自分の右手で竿、左手で玉をやや前衛的に表現しながら、側にあったゴムを前立腺に見立てて状況を解説してくれた。「歳をとれば誰でもなってくるモノですよ」
とのことだが、本当にそうか!?あのイーサン・ハントことトム・クルーズも等しく残尿に悩むというのか?
答えは否。断じて否!今回「ミッションインポッシブル:ファイナルレコニング」を観て強く確信した。
あらすじ:
前作「ミッション:インポッシブル デッドレコニング」とあわせて2部作として製作され、「デッドレコニング」から続く物語が展開。前作のラストで世界の命運を握る鍵を手にしたイーサン・ハントと、その鍵によって導かれていくイーサンの運命が描かれる。また、これまでほとんど語られてこなかったイーサンの過去などが明かされる。シリーズおなじみとなったトム・クルーズ本人によるスタントシーンも健在で、今作では飛び回る小型プロペラ機にしがみつく空中スタントなどが見どころとなる。
スパイ組織「IMF」に所属する主人公イーサン・ハント役のトム・クルーズ、「M:i:III」で登場して以降、イーサンの盟友となっているベンジー・ダン役のサイモン・ペッグ、シリーズ全作に登場しているルーサー・スティッケル役のビング・レイムスらおなじみのメンバーはもちろん、前作「デッドレコニング」から登場したグレース役のヘイリー・アトウェル、パリス役のポム・クレメンティエフ、ガブリエル役のイーサイ・モラレスも続投。トム・クルーズ主演作で監督や脚本、製作を数多く担ってきたクリストファー・マッカリーが、今作でもメガホンをとった。
映画.comより引用
前作「デッドレコニング」からの引き続きのストーリーとなり、暴走するAIを止めるために必要なツールを巡り主人公チームと敵対するチームが奪い合いを展開、という、ストーリー的には王道である。が、なぜここまで話題になるのか?他と差が付くのか、という答えはそう、各シーンのアクション強度、つまりトムがどこまで肉体の、アクションのバーを上げてくるかという点、それに尽きると感じる。
序盤、かつての仲間であり、暴走するAIを止めることの出来るキーアイテムを持つ人物が敵の手中に堕ち爆弾と共に閉じ込められる。事を知ったトムがまあ、走る走る。トムの全力疾走はシリーズの定番でもあるが、今回も本当に言葉通りの全力疾走。机の上にエロ本と抜いた後のティッシュが出しっぱなしだった事に気付いた男子中学生が、母ちゃんがパートから帰る前に慌てて自宅に戻ろうとするその速度をはるかに越えるほど、凄まじまでの気迫で走る。
走る、というアクション自体は単純ではあるが、この迫力と疾走感は日頃の鍛錬のなせる技であると感じ入る。
そしてその後も我らがトム様はオスプレイから海に落ちたり、重たい潜水服を着て深海(水中)でアクションしたり、その上潜水艦とランデブーともうはっきり言ってもはや何でもあり。ミッキー17もかくやというほどの命の投げ出しぶりである。
こうした普通にその道のプロがやっても相当きついと思われるアクションを次から次へとこなすので、もう次に何がくるのか目が離せない、という状況が続く。これは凄いことで、この現代においてアクションが楽しみにで釘付けになるなんていつぶりであろうか、と振り返るほどである。思うに、90年代以降で急激に進歩、台頭したCGの功罪として、圧倒的な映像美を創り出し、現実的な視覚体験として提供するというものがあると思う。が、その合わせ鏡として、映画の映像自体の現実味や説得力が欠ける、みんな作り物に見えるというリスクも確かに存在する。つまり、うわあすげえ、と思う反面、どうせ作り物だしなあ、という冷めた視点がどうしても残るのだ。また一方でCGに慣れた目だと現実のアクションがある種物足りない、と感じさせることも起こり得る。そんな矛盾を打ち壊すかのごとく、我らがトムが出した結論はたった一つ、「CGみたいなトンデモアクションを生身でやればええやん」
である。
思えばこの「MI」シリーズでは、初期からずいぶんと体を張っていたと思う、初代では有名な宙づりシーン、2ではロッククライミングとシリーズごとの見せ場はコンスタントにあったのだが、ここ最近のトムは明確にワンステップビヨンド、彼岸へ意識が飛んでおり、その例として近作では、離陸する飛行機にしがみつく、バイクで崖に飛び込んでパラシュートダイブなど、ちょっとどうにかしているとしか思えない、むしろCGであってくれと思わんばかりの無茶を断行してきた。そして今作はそれが極まっていると断言できる。
そう、まさに集大成と言うべき飛行中のセスナに素手で捕まりながらのステゴロドッグファイト。俺も書いていて何を言っているのか、という気分になるが、これが事実だから凄い。
ありのまま・・観たことを話すぜ・・生身の人間がセスナに・・略
翼からコックピットへの移動など、しがみつく動作、伸ばす手がたどたどしいのがまさにリアリティそのもので、「あーこりゃガチだな」という実感を強めてくる。さらに凄いのが、その合間にちゃんと演技もするという狂気以外の何物でも無い役者魂も見せてくるのだ。他の誰が飛行中のセスナにしがみ付きながら、表情を作ったり演技をしたりできるのだろうか。
以前、友人がホテヘル嬢と本番をいたす際に、ゴムを外していたした事を仲間内に暴露したところ、「病気持ち」と断定されてしばらく飲みに誘われず、しばらくしてようやく誘われるようになっても、鍋などを一緒に食べることが一切無くなった、という事案があった。それに何かを学んだのかその友人は、以後ことあるごとに「ゴムをつけている」ということをアピールするようになったのだが、周りの人間はただただ訝り、疑うのみであった。
同じく、トムクルーズがスタントを使わずに生身でトライ、みたいなことは最近特に話題になるが、一度ゴム=スタントなしで挑むという事実を作ると、あれもこれも全部本当にトムが実際にやってるんじゃねえの?という視点でどうしても観てしまう。全てが実はガチなんじゃ無いか、といういい意味での猜疑心が映画の緊張感を常に高く維持するので、本当に最後まで気の抜けない凄まじい作品だった。金もあり名声もあり、イケメンで肉体も素晴らしい、この世に欠けたる物なしという現代の藤原氏ことトムは、しかしなぜまだこの上にこれだけのリスクを背負ってチャレンジを続けられるのか、自分を追い込み続けられるのか、ただただ頭が下がるのみである。
私も老境に向けて、少しでもトムのマインドへ近づくように心がけていきたいと思った。セスナにしがみ付くことは絶対に無理だが、残尿でパンツを濡らさぬように己の精神と前立腺を鍛え上げることは出来るかも知れない。いや、やってみせる。
俺もいつかトム様と一緒に小便鉄砲を・・!ドバァッ
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