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概要
この記事は、著者小濱裕士が過去の震災体験を振り返り、特に災害時における情報の重要性や人と人とのつながりの重要性について述べています。30年前の震災と、2011年の東日本大震災の経験を通じて、情報があふれている現代でも、結局のところ「命を守る力」は人と人とのつながりにあると主張しています。
要約(箇条書き)
- 1995年、阪神淡路大震災の日の体験を描写。
- 地震の影響で生活基盤が失われたことを実感。
- 災害時の情報不足が問題であった。
- 仲間との再会もあったが、全員が無事ではなかった。
- 2011年の東日本大震災では、技術発展によりリアルタイムの情報が可能になったが、それでも救えなかった命があった。
- 現在、情報はあふれているが、正しい情報を選択することが難しい。
- 災害時には、普段からの知識やつながりが必要であることを強調。
- 地図にない情報を知ることが、いざというときに重要になる。
- 知っている人がいることが大きな助けになる場合が多い。
- 防災の第一歩は日常的なコミュニケーションであり、人と人とのつながりこそが重要である。
- 最後に、会社や地域でも同様にコミュニケーションの大切さを伝えたい。
朝5時46分、大きな揺れとともに目覚め、その日の期末試験のための準備をしていた。
いつも通り、トースターでパンを焼き、トイレで用を足し、顔を洗い、歯を磨いた。
テレビをつけた。
あのとき、現地では、水もガスも電気も電話も、だけではなく、暖房も止まっていた。
でも、40キロしか離れていない大阪からは、何が起きているのか、ほとんどわからなかった。
ヘリコプター中継で、阪神高速神戸線が横倒しになっている映像が映し出された。
「これはひどい…」
その瞬間、ようやく、事態の重大さを実感した。
スマホもネットもない。携帯電話も、まだ普及していない。
声をかけ合わないと、情報を交換できる手段すらなかった。
これが30年前、私が体験した現実だった。
覚悟した現実
近くに住む、仲間の家族と一緒に車で神戸を目指した。
道路は大渋滞、冬の夜の冷たさにふるえながら、一晩中、ただ進むのを待った。
翌朝、ようやく神戸にたどり着いた。
家が倒れ、道路がひび割れ、すべてが変わっていた。
小さな商店も大きなビルも静まり返っていた。
ぐにゃぐにゃに曲がった線路、垂れ下がる電線。
すれ違う人たちも、小さくうなずき合うしかできなかった。
仲間との再会、しかし
遠くの家で、仲間の家族に再会できた。
よかった。
でも、全員が無事ではなかった。
一人だけ、がれきに取り残されていた。
もし、もっと早く連絡がついていたら。
もし、もっと早く発見できていたら。
命を守れたかもしれない。
そして16年後、また知った現実
2011年、東日本大震災。
スマホもネットもあった。
テクノロジーは進化して、状況をリアルタイムで知ることができるようになった。
津波に襲われる町が、テレビで、スマホで、世界中に映し出された。
それでも、逃げ遅れた人がいた。
それでも、守りきれなかった命があった。
情報があるだけでは、助からない。
増えた災害、増えた情報
今、情報はあふれている。
そして災害も、暮らしのすぐそばに迫るようになった。
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地震で道が通れず、仕事にも学校にも行けない。
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感染症で家から出られず、食料も手に入らない。
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台風や大雨で、道路が冠水し、車が立ち往生する。
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洪水で家が流され、避難所もあふれてしまう。
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山火事が街に迫り、住み慣れた家を失う。
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システム障害で、ATMもレジも止まり、生活が回らなくなる。
便利になったはずの時代。
けれど、本当に頼れるものは少なくなっている。
ニュースも、SNSもあふれている。
でも、どれが正しくて、どう動けばいいのか、誰も教えてくれない。
「情報があるから大丈夫」ではない。
選ばなければ、動かなければ、
守れるはずのものすら守れなくなる。
そして~だからこそ
災害に遭遇したとき、それはリセットもやり直しもできないリアルサバイバルゲームだ。
生き延びるためには、普段の知識とつながりがすべてになる。
だからこそ、昔でいう攻略本のように、
普段から、自分の周りの「地図にない情報」を見に行き、知っておくことが大切だ。
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どこに抜け道があるか。
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どこが高台か。
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どこが冠水しやすいか。
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どこに高齢者が住んでいるか。
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どの施設に非常用物資が備蓄されているか。
紙の地図には書かれていない情報こそが、いざというとき、自分や大切な人を守る。
それでも
そんなとき。
近くに知っている人がいたら。
まったく知らなくても、一度でも言葉を交わしていたら。
声をかけ合うことができるかもしれない。
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その人がもっているスマホだけが通信できるかもしれない。
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その人が看護師だと知っていれば、けがをした誰かを救えるかもしれない。
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その人が防災士だったら、適切な対処をアドバイスできるかもしれない。
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その人がフォークリフトの免許を持っていれば、避難所で重い荷物を動かす助けになるかもしれない。
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その人が医師だったら、命をつなぐ手当てができるかもしれない。
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その人が学校の先生だったら、子どもたちを安心させる声かけができるかもしれない。
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その人が介護士だったら、高齢者を安全に誘導できるかもしれない。
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その人が物流経験者だったら、物資を効率よく配る手伝いができるかもしれない。
知っていること、声をかけること、つながること。
それが、魔法のような「備え」になる。
最後に
防災の第一歩は、
特別な技術や備蓄ではない。
日頃からの小さなコミュニケーション。
これを、私は体験を通して心から思う。
災害に強いのは、特別な誰かではありません。
声をかけ合い、助け合える人たちがいるかどうかです。
そしてそれは、個人だけではなく、会社や地域も同じだと思います。
次は、そんな話をしたいと思います。
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