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概要
この記事では、著者が作曲を始めてから感じた楽譜についての考えや印象を述べています。楽譜の外観や構造が音楽の響きや作曲家の特性を反映していることに気づき、その「佇まい」がどのように感じられるのかを探求しています。
要約
- 作曲を始めた著者が、自分の楽譜に「しょぼ」と感じる瞬間を経験。
- 楽譜の見た目から、つたなさや未熟さが伝わることを実感。
- 印刷された楽譜の魅力は「充実感」や「響き」を感じることにある。
- 音符の配置や距離感、スラーの様子などが楽譜の印象に影響を与える。
- 楽譜の佇まいは作曲家の性格や時代、文化に起因する。
- クラシック音楽の巨匠の楽譜からは、特別な力強さを感じる。
- 楽譜には豊かな内包があり、その佇まいが人を惹きつける要素となる。
音を出さずとも、ただ楽譜を見ただけなのに、つたないことや未熟なこと、うっすい響きだろうことがわかってしまうような譜面づら。楽譜全体から、よちよち感があふれ出している。
一方、印刷されて販売されているような楽譜を見ると、当たり前だけれど、なんというか、「充実している」「響く」感じがする。
なんなんだろう、この感覚は。
その印象や感じが譜面から立ち昇ってくるのは、例えば和音の音符の配置だったり、音と音の距離感だったり、(ピアノ譜の)右手と左手に振り分けられた音符の塊の位置関係だったり、音符が無い空いた敷地の面積や形だったり、音符の繫みの点在の仕方だったり、音符が上下に波打つ高さや傾斜だったり、スラーの様子や記号の存在感だったり。
そういう、結構物理的・図形的なところから漂ってくる。
楽譜の姿から感じる「楽譜の佇まい」
・・という言い方が感覚的には最も近しい気がする。
最近では、作曲家それぞれ随分違いがあるなと思いながら楽譜を眺めている。時代とか、お国柄とか、性格とか、感性とか、曲が作られた目的とか、いろいろな要素がその違いを生み出しているのだろうけれど、そのようなたくさんのことが集約されて楽譜になっているのだろうと思うと、楽譜の佇まいが、作曲した人の佇まいとして感じられるような気がする。
そうするとなんだか、その人の気配が生々しく感じられるようにも思える。
クラシックの巨匠の楽譜から漂うこの佇まいというのは、なんとも言い難い強さのようなものを感じる。今の私には。これから感じ方も変わってくるかもしれないけれど。あと、心底から「すごいなぁ」と思う。音楽はもちろん音になってこそではあるけれど、作曲を始めてみて思うのは、楽譜とはなんと豊かなものを内包し得るのだろうということ。楽譜に込められたものが豊かであればあるほど、その佇まいというものは、きっと人の目を惹きつけるのだろうし、そういう音にもなるのだろうと思う。
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