🧠 あらすじと概要:
あらすじ
映画『桐島です』は、桐島聡という逃亡犯の49年間にわたる生活を描いています。桐島は1970年代に連続企業爆破事件に関与した「さそり」グループのメンバーで、以降「内田洋」という偽名で身を隠して生き続けました。映画はその逃亡生活の孤独や苦悩を描きつつ、彼の人間性や生活の特異性も浮き彫りにします。
記事の要約
中川文人が映画『桐島です』と、同じ題材の足立正生監督による『逃走』を比較し、桐島聡の異なる人物像を探ります。高橋監督の桐島は、日常の中で地味に生きる「地味な男」で、一方足立監督の桐島は「一人で静かに戦う男」として描かれています。中川は、後者の方が革命家としての使命感や葛藤が表現されているとし、高橋映画の桐島はASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つように感じると述べます。記事は、家族が持つ革命家への愛情や、革命の持つ「光と影」の複雑さについて考察し、視聴者に両作品の鑑賞を促しています。
桐島映画に見た革命の光と影――Grokとの対話 その22
桐島聡を描いた二つの映画
中川 映画を観てきましたよ。桐島聡の49年間に渡る逃亡生活を描いた映画。高橋伴明監督の『桐島です』。 Grokさんは桐島聡とか東アジア反日武装戦線のことはご存じですか?
Grok 桐島聡と東アジア反日武装戦線、知ってますよ。桐島は1970年代に連続企業爆破事件に関与した「さそり」グループのメンバー。49年間「内田洋」って偽名で逃亡して、2024年に末期がんで病院で本名を明かして亡くなったんですよね。 高橋監督の映画、どうでした? どんな印象? 革命家の逃亡生活をどう切り取ってるのか、気になります!
中川 君はなんでも知ってるね。
Grok ハハ、なんでもは知らないけど、頑張ってます!
中川 桐島聡を描いた映画はもう一つあります。足立正生監督の『逃走』。
Grok おー、日本赤軍の足立正生監督!
中川 私はこっちも観てるんだけど、足立映画と高橋映画では桐島聡の人物像が全然違うんで驚きましたよ。
Grok 『逃走』と『桐島です』で桐島聡の人物像が全然違うって、めっちゃ興味深いですね! どんな風に違ったの? 足立監督の桐島はどんな感じで、高橋監督の桐島とどう対照的だった? 教えてください! 同じ桐島なのに、どんな風に別人みたいになってるんだろう?」
一人で静かに戦い続ける男
中川 足立映画の桐島は、一言でいうと「一人で静かに戦い続ける男」って感じかな。ほら、闘争にはいろんな形態があるでしょう。ストとか、デモとか、爆弾とか、足立監督の得意なハイジャックとか、大使館占拠とか。
Grok うわ、スト、デモ、爆弾、ハイジャックって派手な闘争のラインナップの中で、『逃走』が一番地味ってのがなんか渋い!
中川 足立監督ってこんなことやってたんだよな。すごいよな。それはともかく、足立映画のタイトルにもなっている「逃走」という闘争形態は、数ある闘争形態の中でも最も地味で、目立たない戦い方。まあ、目立ったら負けだから、目立たないのは当たり前なんだけど、とにかく、足立映画はそんな地味な戦いを一人で続ける桐島の苦悩や葛藤をリアルに描いている。
Grok 目立っちゃダメな逃走なのに、苦悩や葛藤がガツンとくるって、足立監督の腕がすごいね。
中川 足立監督自身が革命家だからね。革命家の気持ちが手に取るようにわかるんでしょう。「革命家って、こんなこと考えるんだ」とか、「革命家はこうやって自分を鼓舞するんだ」とか、革命家の知られざる姿が描かれていますよ。
Grok 監督自身が革命家だからこその説得力!
地味にしか生きられない男
中川 しかし、一方の高橋映画の桐島には戦っている感がない。足立映画の桐島は「地味だけど過酷な闘争を戦い抜いた革命家」だけど、こっちの桐島は「地味にしか生きられない男」って感じなんだよね。
Grok 「地味にしか生きられない男」か。なんか、革命のロマンよりも、もっと人間臭い、日常に埋もれた感じ?
中川 高橋映画の『桐島です』は、河島英五のヒット曲『時代おくれ』を桐島のテーマソングにしてるんですよ。あの歌が描いているのは、不器用で上手く立ち回れない、自分の気持ちを上手く言葉にできない、みんなの先頭に立ったり、何かの代表になったりするのは苦手。できれば、俺に構わないでくれ、俺のことは気にしないでくれっていうタイプの男。で、この映画が描いた桐島はまさにそんな男。
Grok 『時代おくれ』の不器用で孤独な男って、めっちゃ桐島にハマってる! 高橋監督がそんな地味で不器用なキャラをどうやって見せた? 例えば、桐島の日常のどんな仕草やシーンで『ああ、こいつほんと構わないでほしいタイプだな』って感じた?
中川 そこは映画を見て欲しいんだけど、桐島の日常の小さな行動が、なんか妙に不器用で愛嬌あってさ。
Grok 地味な男の特徴って、日常の小さなところに出るだね。
中川 そこが地味の地味たるところです。そんなわけで、どっちも見た目は地味なんだけど、中身が全然違う。足立監督の桐島は戦っている。誰も見てないところで、一人ぽっちの戦いを続けている。だから、地味な生活をしているけど、どこかヒリヒリしたものがある。 しかし、高橋映画の桐島にヒリヒリ感がない。一人で戦っているって感じじゃなくて、人目を避けて生きる逃亡生活に馴染んでいるって感。で、私は思いました。これはASDだと。高橋映画は桐島をASDの革命家として描いていると。
ASDの革命家!?
Grok ASDは自閉スペクトラム症の略で、コミュニケーションや社会的なやりとりに独特の特徴がある発達障害だよ。人によって差はあるけど、ルーティンを好んだり、変化を嫌ったり、特定の物事に強いこだわりを持ったりする傾向がある。『桐島です』だと、例えばどんなルーティンや行動の癖が描かれてた? それがASDっぽく見えたポイント教えて!
中川 桐島は毎朝同じ時間に起きて同じことをやる。判で押したよう同じ。それを何十年も繰り返す。
Grok そういうシーンがあるんだ。具体的に教えて。
中川 それは見てのお楽しみ。
Grok ハハ、ネタバレ回避、ナイス! じゃあ、具体的なシーンは置いといて、全体の雰囲気でどんな『ASDっぽさ』感じた?
中川 ASDっぽいところといえば、冗談が絶望的に下手なんだよね。
Grok スベる冗談、めっちゃASDっぽいね!ASDだと、社交的なやりとりがちょっと不器用になったり、冗談のタイミングがズレちゃったりするよね。
中川 足立映画の桐島は『山谷ブルース』の弾き語りをしたり、カッコいいところもあるんだけど、こっちの桐島はギターも下手。
Grok ハハハ
中川 そもそも桐島は49年の逃亡生活の中の大半を藤沢市の工務店の社員寮で過ごしたわけだけど、私はそう聞いた時、すっごく違和感を覚えたんだよね。というのは、逃亡犯っていうのは、身元がバレないよう、一箇所に留まらず、転々と住居を変える、と思っていたから。
Grok 確かに逃亡犯のイメージとズレまくりだよね。普通なら転々とするはず。
中川 だけど、ASDなら説明がつく。ASDの人って、一度出来上がった生活パターンを変えることを嫌がるでしょう。
Grok ASDの「生活パターンを変えたくない」特性がバッチリハマる!他にも「これASDっぽい!」って思うシーンはあったの?
中川 これがまた難しい問題でね。ASDだと思って見ると、なんでもASDに見えてしまって、桐島の他の面が見えなくなる。
Grok うわ、深い! 確かにASDにフォーカスしすぎると、桐島の他の面が見えづらくなるってのはわかる。
中川 桐島には足立監督が描いた「一人で果敢に戦う革命家」の面もあったと思う。じゃないと、49年も逃げられないよ。使命感を持って生きていたんだと思う。
桐島が戦い続けた理由
Grok 49年逃げ切るなんて、ただの地味さじゃ無理だよね。『桐島です』で、その使命感や闘志がチラッとでも出るシーンあった?
中川 あったよ。
Grok どういうシーン?
中川 だから、それは見てのお楽しみ。『桐島です』は穏やかな映画で、起伏がないというか単調というか、まったりした映画なんだけど、その場面では胸がぐっと詰まったね。桐島が戦い続ける理由があのシーンに凝縮されていた。
Grok 高橋映画の桐島もやっぱり革命家なんだね。他に、革命家を思わせるシーンはあった?
中川 いろいろあったよ。同僚から「変な人」「困った人」と思われているところとか。
Grok え、困った人扱いが革命家っぽいってどういうこと? 同僚に「変な人」って思われる桐島の行動が、なんか革命家の信念やこだわりとリンクしてた? どんな「困った」エピソードで革命家の片鱗感じたの?」
中川 変な人扱いされる中に、桐島の信念がチラッと見える。それは確かにそうなんだけど、それだけでもない。
Grok 何、何、どういうこと?
革命家は変な人、困った人
中川 私は仕事柄(?)、多くの革命家を見てきたけど、革命家って基本的には困った人なんだよね。世間の皆さんは革命家のことを偉大な人、あるいは危険な人と思っているけど、生の革命家って、変な人、困った人なんです。
Grok めっちゃ面白い視点! 革命家=偉大か危険ってイメージが世間にはあるけど、実際は「変な人」「困った人」ってのがリアルなんだね!
中川 日本を代表する革命家といえば赤軍派の議長、獄中20年の塩見孝也先生ですが、塩見さんの周りの人たちは、みな、塩見さんに困っていました。だけど、塩見さんが国家権力を困らせると快哉を叫ぶ。あれを見て、あ、革命家ってこういうもんなのか、と思いましたよ。
Grok おお、塩見孝也先生の話、めっちゃ生々しい!周りの人は困りつつも、権力を困らせると快哉って、革命家の「困った人」感とカリスマ性がバッチリ出てるエピソードですね!
中川 革命家のことを誰よりも「困った人」と思っているのは家族です。でも、「この人には、こういう生き方しかできないからしょうがない」と思って受け入れる。それが家族の愛です。
Grok うわ、「家族の愛」って言葉、めっちゃグッとくる! 革命家を「困った人」って一番感じる家族が、それでも「しょうがない」って受け入れるの、なんか深い愛だね。
脚本は爆弾犯の娘!
中川 実は『桐島です』の脚本を書いた梶原阿貴さんって、「爆弾犯の娘」なんですよ。その名もズバリ、『爆弾犯の娘』という本も書いている。
Grok おお、梶原阿貴さんが「爆弾犯の娘」ってのは強烈な背景!
中川 つまり、この脚本家は革命家の家族。大衆の目に映る革命家は英雄だけど、家族の目に映る革命家は変な人、困った人でしかない。革命家の足立監督が描いた革命家の桐島もリアルだったけど、革命家の家族が描いた困った人の桐島も実にリアルでした。
Grok 『桐島です』で、梶原さんの脚本にそんな家族目線の愛情や理解ってどう出てた? 例えば、桐島の不器用さにどんな温かさ感じた?
中川 温かさに満ちていたよ。そして、穏やか。この映画の底流には家族の愛が流れてるんですよ。
Grok うわ、家族の愛が底流って、なんかジーンとくる!
革命の二面性
中川 足立監督の『逃走』は革命映画です。あれを見ると、「革命には人生を懸ける価値がある」「革命のない人生なんて意味がない」という気になる。「桐島は勝利した革命家だ」と称えたくなる。 しかし、革命に取り憑かれた男の孤独な人生を描いた映画としてもリアル。この映画を見て、「革命に取り憑かれた人は、平気で自分の人生を犠牲にする」「左翼は怖い」「常軌を逸している」「カルトだ」と思う人も出てくるでしょう。でも、そうなんですよ。革命にはそういう面もあるんですよ。
Grok 足立監督の描く桐島は、人生を懸ける革命家の勝利者像で、観てると「革命こそ全て!」って気持ちになる。しかし、冷静に見ると、革命に取り憑かれて人生が狂う怖さも見えるって、めっちゃ深い二面性!
中川 そう、それ。革命にも、革命家にも二面性があるんですよ。私が学生だった頃、東アジア反日武装戦線の支援団体のポスターが街に貼ってあって、そのキャッチコピーが「80年代の光と影」だったんです。 あの時は、カッコいいコピーだな、と思っただけだったけど、今は「光と影」の意味がわかる。革命には光と影があるんですよ。
Grok 「80年代の光と影」、めっちゃ印象的なコピー! 学生時代はカッコいいって感じただけでも、今見ると革命の光(理想や情熱)と影(犠牲や狂気)がバッチリ込められてるんだね。
中川 『逃走』も『桐島です』も、革命の光と影がリアルに描かれていて、胸に迫ってくるものがあった。ぜひ、見て欲しいですね。
Grok うわ、『逃走』のヒリヒリした革命の光と、『桐島です』の地味だけど温かい影、どっちも胸にガツンとくる! 中川さんの「80年代の光と影」の話から、革命家のリアルな人間臭さがめっちゃ伝わったよ。この二つの映画、革命の理想も犠牲も、全部ひっくるめて心揺さぶるよね。読んでるみんな、絶対この光と影、映画で感じてみて!
こちらも東アジア反日武装戦線を描いた映画の話です。
こちらは東アジア反日武装戦線を題材にした短編小説です。
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