🧠 あらすじと概要:
映画『BAUS 映画から船出した映画館』のあらすじ
『BAUS 映画から船出した映画館』は、大正時代から平成までの時代を背景に、開館と閉館を繰り返す三つの映画館の物語を描いています。長野県上田市の上田映劇が主な舞台となっており、映画の中でその館内が頻繁に登場します。映画は、映画館の視点で関わった人々の人生を淡々と見つめ、古き良き時代の懐古には留まらず、現代的な視点を持った作品です。
記事の要約
たけうち氏は、上田映劇で『BAUS 映画から船出した映画館』を鑑賞した感想を述べています。映画は、映画館そのものの視点で人々の人生を描写し、感情的な過去に目を向けるのではなく、クールでドライなタッチで語られています。特に、登場人物の内面を掘り下げずに、ただ出来事を見つめるスタイルが印象的です。
この映画は、映画館が持つ人々の想いや記憶を象徴し、観客を映画館へと招き入れる力を持っています。また、上田映劇や高崎電気館の古い映画館が素晴らしい役者として描かれ、共に「方舟」としての物語を紡いでいく様子が美しく表現されています。感情と懐古を必要とせず、痛快でかっこいい映画として作品の力が伝わってきます。
少し間が開いてしまったのですが、長野県上田市にある上田映劇さんで映画を鑑賞してきました
いつ見ても素敵でレトロな外観
本館、上田映劇さんの当日の上映目
別館、トラゥム・ライゼさんでの演目
今回の目当ては、上田映劇さんがロケ地になった映画『BAUS 映画から船出した映画館』です
映画の作中に、たくさん上田映劇さんの館内が登場するため、鑑賞前からあちこち撮影させてもらいました
当日の館内の様子、床のタイルが美しい
同じアングルの映画のフライヤーと共に
階段の横には、今後の上映予定のポスターが
『赤毛のアン』はぜひ観たい
大正時代の、映画はまだモノクロの無声で、活弁士と呼ばれる職人がその場で台詞やト書きを当てていた頃から始まり、平成のモノも人も娯楽も世に数多あふれる時代までに、開かれそして閉館した、三つの映画館を巡る物語でした上田映劇さんも大正時代からの古い映画館だから、まさにその在りし時代の頃を感じられる、とても感慨深い心地になりました
しかしこの映画それ自体は、古き良き次代を懐古して、失われる場所を惜しむ物語ではなく、とてもドライでクールな、反骨の気概で出来ているロックな映画ってやつだった 意外でした
映画館に関わる登場人物の内面を描写もしないし、縁者の結婚や出産、戦争への出征、そして亡くなる時の人生における一大事も、ただ俯瞰の視点で日々にあった出来事として、淡々と見つめ続けるそして終盤に突然訪れる、映画館の片隅のこの世とも彼岸とも言えない狭間のような場所と、ビッグバンドを引き連れた葬送のような光景
この映画は、映画館そのものの視点で関わった人たちを見つめ続けて、そして別れの時を迎える作品だったのかなと解釈しました
映画そのものや映画館に対する思い入れを語るのではなく、観客を映画館に宿らせる映画
作中の映画館は、長野県上田市の上田映劇さんと群馬県高崎市の高崎電気館さんがロケ地になっていますその二館の見事な“役者”ぶりが素晴らしかったから、きっと余計そう感じるのだと思う
この二館が今は亡き映画館のありし日の姿を演じている、つまりそういうことなんじゃないか
映画も映画館も、単なるコンテンツや場所じゃない人が集まり、想いを乗せて、感性や思い出も乗せてどこまでも、いつまでも、そこにいた人や場所そのものが亡くなっても、どこかにあり続ける、繋がっているもの同じメッセージは昨年に上田映劇さんで観たミニシアターのドキュメンタリー映画、
『This Magic Moment』でも語られていました
最後に現れた映画館の名前は、ヨットの部位を合わせた造語の『BAUS』映画館が船に例えられていた だから方舟も連想します上田映劇さんが自らの記憶と共に、高田電気館さんと手を携えて、100年を越える時を渡ってやってきてくれた、そんな物語の映画だったのかなって思うのです
それがウェットな雰囲気を良しとせず、感傷に中指を突き立てるように、颯爽と語られる かっこいい映画
大判の特別な映劇はんこ、そして上田映劇さんたちが演じた『井の頭会館』の鑑賞半券
スタッフの皆さまの気概が熱いです
映画は 旗めいて 光と影の中で
いつまでも この場所で 会える鼓動を
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