🧠 あらすじと概要:
あらすじ
映画「ショウタイムセブン」は、韓国映画「テロ、ライブ」をリメイクした作品で、近未来の日本を舞台にしています。物語は、あるテレビの生放送中に発生したテロを中心に展開し、リアルタイムで進行する緊迫した状況が描かれます。主人公は、放送局のディレクターで、視聴者と共に事件の真相を追い求める中で、様々な人間関係や社会の矛盾に直面します。
記事の要約
ネタバレを避けつつ映画を振り返る中で、作者は韓国版との比較を通じて、日韓の社会的・文化的な差異に触れています。日本における謝罪への意識や不当な扱いの告発に関する国民性の違い、さらには映画の構成や展開についても評価しています。特に、日本版ではリアリティ重視の脚本が光りつつ、終盤のスケール感に関しては少々物足りなさを感じた様子。また、主演の阿部寛や吉田鋼太郎の演技も高く評価され、視点を変えて関連作を観ることの楽しさも言及されています。この作品は社会的メッセージを映画を通じて伝える試みをしっかり捉えた作品であるという点が強調されています。
半年ほど前に予告編を目にした時から、本作が韓国映画「テロ、ライブ」のリメイクであることは承知していた(オレ、観ても言語化していない映画が実はかなりあります…)ので、今回初めて鑑賞するにあたっては、どうしても作品を日韓の比較の視点から自然と観ることになってしまいました。
元ネタの韓国映画の方を観た時のサスペンスを構成する着眼点のインパクトがかなり強かったので、それを日本の日常のリアリティへと落とし込むためにどう翻案するのか? に、最も関心を寄せつつね。
韓国映画を観ていてときどき日本との作中における心情的な差異を感じるのは、不当な扱いを受けた被害者がそれを告発する折に必ず事態の責任者に公開の場で謝罪を求めるのが必須であることへのこだわりの違い。
日本人の感覚としては、社会的な理不尽を告発する際、その不当な扱いの是正と被害者の名誉の回復を目的とするならば、そこには責任者の謝罪というセレモニーは必ずしもセットとして求めようとしない傾向にある気がします。
これって国民性?
真実が公になり、それが世間とお天道さまの知るところとなれば、後々自然に自ずと社会的な制裁は下されるであろうから、後の処遇は天にまかせる感覚とでも言うのでしょうか?
よく言えば罪を憎んで人を憎まずとも、それとも日本人は所詮お口はタダだしというニヒルなリアリスト目線なのかしら?
謝罪させるという社会的なマウントを取る行為、そのこと自体への意味をオレ自身もあまり感じません。
かつての日本ドラマのセリフならば、それこそ同情するなら金をくれ! でしょうか?
それとも悪事への制裁衝動の中に告発はあっても、そこへ先方の権威の失墜をその場で個人的にいくら強要しても、社会的な価値判断を下すのは、最終的にはあくまで共同体の認識でしかないと少し事象から距離を取って考えているからでしょうか?
日本では、個人の処罰感情が社会的な判断より決して優位にはならない気がします。
今日は、とき恰も韓国大統領選の翌日。映画ひとつ見ても、そこから汲み取れるのは日韓の政治に対する国民の温度差、情治主義と法治主義の違いと言われる由縁でしょうか?
閑話休題。
日本で映画化した本作は今の日本の現状にフィットするよう、物語の導入から地デジ放送機能を盛り込んだ中盤への展開までは脚本がよく考えられていて、本家よりも緊迫感が増している部分もあったように思えましたが、後半から結末へ至るところの、本家の力業とも言える怒涛のスペクタクル展開は正直なところ些かスケールダウン。
どちらかと言うと劇的展開よりもリアリティ重視で、手堅く情緒的にまとまっている気がしました。
何にしろ、先日の「新幹線大爆破」ではないですけれど、いろいろな視点から関連する2つの作品を見比べるのはとても貴重で楽しい体験です。
そして最後にいつものように蛇足で申し上げるならば、個人的に本作は、何よりも主演の阿部寛のバリトンボイスと、吉田鋼太郎の芝居の幅を堪能する映画かな?
https://showtime7.asmik-ace.co.jp/
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