🧠 あらすじと概要:
映画『国宝』のあらすじと要約
あらすじ
映画『国宝』は、歌舞伎の世界を舞台に、若手俳優の吉沢亮と横浜流星がダブル主演を務める物語です。物語の中心は、二人の主人公、喜久雄と俊介で、歌舞伎の芸を極める過程を描いています。彼らの道のりには、友情や競争、愛憎が交錯し、歌舞伎の舞台での成長と苦悩が描かれます。物語の構成は全5幕で、それぞれが彼らの成長や試練を描いています。
記事の要約
感想文では、主演の二人の演技が圧倒的であり、特に歌舞伎の舞が美しいと評価されています。映画はカンヌにも出品され、その期待値を超える出来栄えだと絶賛されています。特に舞台演出やカメラワークが高く評価され、歌舞伎への深い理解が観客に浸透するように作られています。物語は、喜久雄と俊介のそれぞれの苦悩、成長、再会を通じて、芸術への情熱が伝わります。
記事は、映画全体が伝えるメッセージや、二人のパフォーマンスの対比を強調しつつ、視覚的な美しさや感情的な深さに感動したことを述べています。最終的に、この作品は特に映画館で観るべきとし、今後のアカデミー賞への期待も表明しています。
感想は、「主演2人の演技に圧倒!歌舞伎という芸を極めていく欲望とヒトの繋がりが、舞台に凝縮する。絶対に映画館で観るべき作品」
吉沢亮、横浜流星。
この2人のダブル主演。
コレだけでも、多分観客は集まります。公開初めての週末土曜日。映画館は満席。客層は幅広く、20代の女性比率高めでした。
カンヌ出品し、スタンディングオベーションを受け、事前評価も高く、期待値は高めです。
僕の感想は、その期待値は、軽く超える作品。
先ず、主演2人の歌舞伎の舞が素晴らしい。1年間稽古を積み、全て本人が舞っている。僕は歌舞伎素人ですが、ともかく”舞”が美しかった。歌舞伎とはこんなにも美しいのか。カメラワークも素晴らしい。
様々な角度から、舞を捉える。
この映画、かなりの時間を、歌舞伎の舞台で構成されています。僕が秀逸だと思ったのが、2人の主人公の想いが最も強く表出するのが、歌舞伎の舞台にしている演出です。
物語が、2人が芸を極めて行くことを軸に展開をします。この軸を明確にするために、このような演出を施している。
ここからネタバレを含みます。
未鑑賞の方は、鑑賞後にお読みください。
物語は大きく5幕構成。
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喜久雄は、長崎任侠の親分の嫡男から、上方歌舞伎名門花井家に迎えられ歌舞伎の世界へ。国宝万菊の”鷺娘”で衝撃を受ける。
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花井家嫡男俊介と喜久雄2人で切磋琢磨。当主半ニ郎は喜久雄を評価。自身の”.曽根崎心中”の代役を喜久雄に託し、見事に演じる。俊介は自身の芸との差を見せられ、喜久雄の彼女春江と出奔。
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喜久雄が半ニ郎襲名披露で、半ニ郎が舞台で喀血。看板役者が亡くなり、喜久雄は先代の借金を背負うが元任侠が話題になり、役に付けず。上方名門家の娘と出奔。
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喜久雄と春江が場末の宿場、ホテルでの舞踊興行の日々。下衆な客に痛ぶられドン底の苦渋を舐める。そこに万菊からの歌舞伎復帰の誘い。
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俊介と喜久雄の、”二人道成寺”。連日の満員御礼だが、俊介の左足が壊死。俊介は片足を無くすが、死を賭して喜久雄と、曽根崎心中を演じ、亡くなる。
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老齢の喜久雄は、国宝認定。”鷺娘”を舞い、追い求めていた景色を観る。
1幕目はアバンタイトル的。このパートの構成がとても上手い。主人公喜久雄のバックストーリーを描きます。少年時代を演じるのは、【怪物】での好演が記憶に新しい黒川君。そして俊介は、僕の大好きな作品【ぼくのお日さま】の越山君。素晴らしいキャスティング!
歌舞伎に魅力される少年を、二人とも爽やかに演じています。観客との紐帯をココでしっかり作ります。
そして、田中泯演じる国宝万菊が舞う、”鷺娘”。泯さんが演じることでの凄みにより、観客を一気に歌舞伎の奥深い世界へ連れて行きます。
そして本格的に物語が転がり始める2幕。
流石、吉沢亮と横浜流星は今をときめく千両役者。画面でのパワーが違います。
初めての”二人道成寺”。お互いの緊張をデコピンで解きほぐすのが、妙にリアル。二人が芸に打ち込んだ時間を感じさせるシークエンスです。そして、二人の舞が素晴らしい。半次郎の代役となり喜久雄が演じる”曽根崎心中”。歌舞伎を知らない僕でも知ってる有名な演目です。この一連のシークエンスが、前半のクライマックス。喜久雄が舞台に上がる前のとてつもない緊張を、俊介が化粧をしてあげながら解きほぐすシーンが、選ばれなかった俊介の気持ちを想うと、とても沁みる。そして、舞台へ。吉沢亮の舞と演技に圧倒されました。初が徳次郎に死ぬ覚悟を伝える場面の、鬼気迫る演技。凄い。震えました。あの独特の発声と煙管を縁側に叩く音、隠れる徳次郎のそばに打ち下ろされる下駄の音。音の緊迫感が凄い。
この凄い舞台を俊介は最後まで見られない。自分との芸の差が、わかり過ぎるくらいに分かる。この想いは、観客が観せられた吉沢亮の演技と重なり、俊介への共感をつくります。
この曽根崎心中と対を成す構造がこの映画では作りれます。4幕目の俊介がお初を、喜久雄が徳次郎を演じます。この時の俊介は片足を壊死で切断。自分の命を賭して、この役に挑む。そして、吉沢亮とは異なる、横浜流星の鬼気迫る演技。死ぬ覚悟を伝える徳次郎が抱き抱える俊介の右脚も壊死しかかっているのが、喜久雄と観客に脚のアップで伝えられる。俊介の死ぬ覚悟を喜久雄が受け取る。ダブルミーニングの演出。素晴らしい。初と徳次郎が逃げるシーンでは、義足と弱った脚で必死に花道を渡る俊介と喜久雄。庇いあいながら、ポロポロになりながら演じきる。
凄まじいシークエンスでした。圧倒された。
僕は、この対比され、二人の生き様が映し出される”曽根崎心中”のシークエンスに圧倒されました。コレぞ映画にしか出来ない、歌舞伎の演出。繰り返され対比されることで、この映画のメッセージを明快に観客に伝えます。
主人公二人は、一人は血筋なき苦悩。一人は血筋ある苦悩。各々の苦悩を抱えながら、それでも芸に打ち込み、素晴らしい舞台を観客に見せる事に、全てを注ぎ込む。その舞台の境地は、何物も侵し難い神聖が宿る。
それが、喜久雄が追い求めた、鷺娘のラストの雪片が舞う景色に込められていました。
凄い作品でした。
僕の2025年では今のところベスト。
米国公開されるなら、アカデミー賞ノミネートも十分あり得ると思います。期待したいなぁ。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
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