🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『ウィキッド』は、オズの魔法使いや『オズの魔女』の物語に基づき、善と悪、友情と裏切りのテーマを描いたミュージカルです。物語は、緑色の肌を持つ魔女エルファバと、その親友となる美しいグリンダの視点から進行します。二人は、異なる背景や性格を持ちながらも絆を深めていくが、様々な出来事を通じてその関係が試されます。エルファバは外見や社会の偏見に悩む一方、グリンダは自らの人気と立場を手に入れようとします。
記事の要約
この記事では、『ウィキッド』を2度観た感想と、劇中の人物たちの心情について深く考察しています。エルファバとグリンダの関係が描かれるシーンや、彼女たちの内面的な葛藤を探ります。
特に、スターダストでの心を通わせるシーンや、エルファバの「動物たちを助けたい」という本心が表れる瞬間が印象的で、見どころとして取り上げられています。また、エルファバとフィエロの関係やラストシーンの皮肉な展開にも触れ、彼女たちの感情の変遷が描写されています。
最終的に、観客として深い感動を呼び起こすこの作品の魅力を再確認し、続編に対する期待も語られています。
今回は、観ながら、「うわ、ここの心理描写についてよく考えたいな、、、」「あ、ここってそういう解釈もできるのか、、?」って冷静に気づくシーンがいくつかあったので、それらについて語ります。
私自身、ウィキッドに関して原作は履修しておらず、この実写映画の情報しかインプットしていない身なので、解釈違いや論理が通らない所などあるかもしれませんが、ご容赦を。
エルファバ・グリンダ、彼女たちの真意
裏切りが見せる本心〜スターダストでのエルファバとグリンダ〜
まずは、今作での感涙ポイントの一つである、スターダストでのエルファバとグリンダが心を通わせるシーン。1回目鑑賞時は、なぜこのシーンの一瞬で2人が通じ合うのか?と理解しきれない自分がいた。そんな自分がいながらも、私は「言語的な部分でなく、ノンバーバルな通じ合いにこそ意味があり、彼女たちは”言語を持つ人間として、ノンバーバルな部分で通じ合い”友達となった」という解釈をした。
が、2回目にしてかなりしっかり腑に落ちた。その解釈が以下。
このシーンに至るまで、というか幼少期から、エルファバは外見でしか自分を判断してもらえず、他人に期待することはやめていた。フィエロとの初対面時、エルファバ自ら肌の色のことについて話し、「自己防衛的」な彼女の一面が見られ、これはまさに今までの「エルファバに対する他人の態度」がつくった彼女の弱さと言える。シズ大学に入ってからも邪険に扱われるが、それでも尚、純情な心を持っていたエルファバの様子が、「この帽子はあなたに似合う」と言われグリンダにスターダストに誘われた後に取った行動によく表れている。帽子を見て微笑む彼女の、ほのかに嬉しそうな表情、モリブル先生にグリンダもセミナーを受けさせるようお願いする。。。いつも無視され、醜いもの扱いされた自分にかけられた、「似合う」「あなたのための帽子」という言葉たちは、素直に彼女の少女心を喜ばせたんだろうなぁ。
そうやって観てると、スターダストに足を踏み入れたエルファバが皆に笑われているシーンは、彼女の心情のコントラストがはっきりと目立つ。つまり、
「誰かに認められた喜び。今夜から何か変われるかも。」 ↓
「結局また、ただの笑い者。いつもこう、私にかけられる言葉に”真実”は無い。私が何をしたというのか。」
私の言葉が稚拙すぎて、感じたままに書けないけれど、こういう感情のコントラスト(すなわち、エルファバという存在への裏切り)が、このシーンで一瞬にしてエルファバに襲いかかったからこそ、これまでも何度も経験してきたはずの「裏切り」が、この夜には余計大きく感じたんじゃないかな。
からの、「自己防衛」的な姿に隠れた「本心」を察して欲しいかのようなダンス。スターダストに誘った自分へのお礼としてエルファバが行ったこと(=グリンダもセミナーを受けられるよう先生にお願いする)を知った上でこれを見たグリンダは、初めてエルファバの”素直さ”や”自分(=グリンダ)に対してレッテルを貼り続けずに接してくれる、誠実さ”に気づいたからこそ、エルファバが誰かに察してほしい「本心」を見抜いて、共に踊ることで寄り添う_____
こういう、言葉にはされていないけれど様々な事象から読み取れる2人の感情が混ざって、あの不純物の無いダンスシーンが出来上がっているんだなぁと思ったわけです。
にしても、ここで流れるエルファバの涙があまりに綺麗で、絶対こちらもうるうるしてしまう。まさに、汚れない、でもこれまでの苦しみやらもがきやらあらゆる感情が一気に溢れた涙だからこそ美しいんだろうなあ。
Popular〜エルファバに花をさしてあげるグリンダ〜
Popularのナンバーでは、グリンダがエルファバを人気者にすべく様々な外見的アプローチを取ろうとするけど、結局どれもイマイチで、ラストにグリンダ自身がさしていた一輪のピンクの薔薇(薔薇で合ってるのか…?)をエルファバにさし、鏡に映るエルファバ本来の美しさを言葉にして終わる_______
これ、よく考えたら、スターダストに行く時にフィエロがくれた花を、何の躊躇いもなくエルファバにさしてるんだよね。つまり、この時点でグリンダにとって「フィエロ<エルファバ」っていう存在の大きさの違いが無意識のうちに出来上がっていたんじゃないかな。人のことについて大小で述べるのはあまりよろしくないけど、分かりやすく表現するためにこう書きました。。。
エルファバの本望は、「己の肌の色を変える」こと??
オズの陛下と対面し、「未来のオズ」を見せてもらうシーン。エルファバのミニチュアも作っていた陛下は、それを見て戸惑ったような表情を見せるエルファバに対し、「肌の色を変えようか?」と提案する。でもここでエルファバはNOと答え、それよりも動物たちの危機を救うことついてお願いするのだ。
ここ!!2回目にして気付いたのが不甲斐ないけど!!!『The Wizard And I』で「陛下がいつか、私の肌の色を普通に変えてくれるかもしれない」と夢見てルンルンで歌っていたエルファバが!!自らその希望を断ち切り!!もっと深い本心を露わにしたんだねぇぇぇええ!!!!
まさに、やっと自分を認められたというか、自分が変えたいのは自分の外見ではないんだと本心で悟れた瞬間だったんだろうし、動物のことを想う彼女の純粋な正義に心打たれましたね。
エルファバとフィエロ、なぜ惹かれ合うか!!!
はいはいはいはい、もうここについて語らないことには私にとって今作は始まらない。うん。本当にいいよねこの2人。堪らない、あの距離感。。。
改めて、系統の違いすぎる2人がいかにして惹かれ合うのか、その心情について、ひたすら考えます。
と言いたいところなのですが、色々と一旦書き出してみたら長くなりすぎそうでして……
ここに関しては、2人についてだけ語る回をまた別で投稿いたします…🤤🤤
ラストシーン、皮肉的展開に気づく…
ラストシーン、『Defying Gravity』は、エルファバが己に被された殻を破り、本心のままに生きることを選択したシーンと言える。でも、それは人の言葉に扇動されるオズの人々にとっては「悪い魔女の誕生」という悲劇として受け取られる。つまり、今までのエルファバを見てきた側からすると、劇中で最も祝福すべき「エルファバの殻打ち破りシーン」であるのに、それと同時に「邪悪な魔女の誕生(でもこれは人為的な虚像)」が同時に起こってしまっている。。。。
何とも皮肉な、、、と思った2回目鑑賞なのでした。。。。
圧倒的余談〜フィエロ!!走れ走れ〜〜!!〜
エルファバが「悪い魔女」となった情報がシズ大学にも流れ、皆が慌てふためき各々避難などしているシーン。
1人颯爽と、勢いよく馬でどこかへ走り去っていくフィエロ。
嗚呼!!!!エルファバのもとへ行くのよね!!!!走れ!!!!フィエロ!!!いいぞいいぞお〜〜〜〜!!!!!
と、私は1人で大盛り上がりで観ております🤭この後の内容を知らない原作未履修勢からこそ、ワクワクしてしまいますねぇ。
でも、エルファバ、死んじゃうのよね。。?と今ふと思い出した。物理的な意味で本当に死んでしまうの。。?
とにかく、PART2、待ちきれない。
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