土曜日, 6月 7, 2025
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映画『国宝』('25)。すごすぎるものを目にして熱苦しくなってしまった私の感想。fukamiさん

🧠 あらすじと概要:
映画『国宝』(’25)の感想文では、主人公の喜久雄と俊介という二人の若者が、歌舞伎の世界での苦悩と成長を描いています。喜久雄は芸の道を追求する中で孤独と向き合い、才能と運命に翻弄される俊介と共に、芸道の喜怒哀楽を体験します。物語は約3時間にわたり、その中で彼らの役者人生が凝縮され、感情的な演技や美しい歌舞伎の演目が展開されます。

記事の要約では、映画の魅力と登場人物の深い感情表現が際立っており、特に吉沢亮と横浜流星の演技が絶賛されています。作品全体が美しくも残酷で、芸道に生きる者の葛藤を描いた壮大な物語であることが強調され、見る者に深い感動をもたらします。執筆者は、映画の体験を通じて喜久雄の成長と孤独感に触れ、その美しさを心に刻んでいることが伝わります。

映画『国宝』('25)。すごすぎるものを目にして熱苦しくなってしまった私の感想。fukamiさん

記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

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fukamiさん

すごいものを見た。

すごいものを、見た。

いや、すごかった。
私の中の語彙力の全てを総動員した結果、「すごい」の一言に尽きる映画だった。

魂を震わす、とはこういうことか、と、映画を見て思うこと。それが、人生の中で何度あるだろう……という中の、確実にこれはそのうちの紛れも無い1作だ。

芸の道に生きる人の凄み、そして俳優の凄みが、ここに閉じ込められている。

極道の世界に生まれながら美しい容姿を持ち、梨園の世界で才能を開花させていく主人公・喜久雄と、歌舞伎の名門に生まれ将来を約束されたぼんぼん、俊介。

ライバルであり唯一無二の片割れとなっていく、歌舞伎の世界に生きる若者2人の役者人生が、約3時間という時間の中に、苦しいほどに凝縮されている。

梨園という世界で出会う喜び。努力ではどうにもならないもの(血や後ろ盾)に対する怒り。追うほど孤独になって行く哀しみ。分かち合う者のいる楽しさ。

持つものと持たざる者の、幸と不幸。才能と努力、その間で生涯悩み続けること。

芸の道に生きることの喜怒哀楽が、すべて詰め込まれている。

芸の道をを行くほどに失って行く喜久雄と、才能に打ちのめされる俊介。

芸の道とは、ここまで孤独なものなのか。
この悲哀は、ドラマ化もされた「昭和元禄落語心中」も彷彿とさせる。芸の道を極めるということは、やはりイコール孤独なのだろうか。「哀」が一番強いのだろうか。本当に「それ」以外を全部捨てないと、手にできない何かがあるんだろうか。そう信じさせる壮絶さがすごい。

人生の全てをかけて向き合っていても、梨園の世界で絶望を突きつけられ。それでも芸を捨てられずに生きる喜久雄の心が、痛い。

「二人藤娘」「二人道成寺」「曽根崎心中」……。稽古に1年半を懸けたという演者たちが、文字通り身を削って臨んだことが伝わる、美しく迫力ある歌舞伎の演目の数々。そこには、“映画だからこそ”演者の心情が伝わる声色や表情も捉えられ、その全てを含めた「芸」に引き込まれていく。

だが、

「国宝」となった喜久雄がラストに舞う「鷺娘」のみ、その感情が見えない。“この人は今、何を想って舞っているいるのか”と、ふと放り出されたような感覚に陥る。だけど決して目が離せなくて。ただただ引き込まれていく、その時間。

喜久雄の中には、歌舞伎への愛、恨み、道、人生……いろんなものが篭っているはずなのに、それらをここではひと欠片も見せない、演出。

ついに芸を極めた者のその舞に、確かに魅入られ、わけもわからないうちに涙が溢れる。あの舞台を、李監督は観客にもあの同じ空間で見せていた。

やり切った。吉沢亮、すごいよ。

ほんとに、ほんとに、本当に、すごい。この人がいなければ、この作品は絶対に成り立たなかったと思う。喜久雄という人の人生を、まさに生き切った。演技に、歌舞伎に、美しさに、その姿勢に、存在そのものに、まさに圧倒された。喜久雄を演じられる人は吉沢亮以外にいるはずがなかった、と誰もに思わせる圧巻の「芝居」が、心の奥底に与えた衝撃が消えない。それぐらい、素晴らしかった。本作は確実に彼の代表作の1本になるだろう。

そしてもちろん、この作品には横浜流星も欠かせなかった。常に喜久雄の光であり陰である存在をあそこまで絶妙な存在感で演じるのは、本当に難しいことだったと思う。彼の見せる歌舞伎にすらちゃんとそれが現れていたし、ともすればそれは完璧な芸を見せることよりも難しかったはずだ。その塩梅を出せる横浜流星の俊介だからこそ、吉沢亮の喜久雄に並んで生き切ることができたのだろうと感じた。

2人だから見せられた、喜久雄と俊介だった。

「いっつもあっこから何かが見てるよな」という俊介の言葉に、
「見てたか」と答えるように見上げる喜久雄の最後。

こんな壮大な物語を3年間の黒衣を務め書き上げた吉田修一もさることながら、それをこれほどの映画として撮り上げた監督・俳優、全てのスタッフに、その情熱に、努力に、狂気に、喝采を送りたい。約3時間。それでも足りないくらいだった。歌舞伎には決して明るくない私の胸も強く打たれた。

歌舞伎指導をされた中村鴈治郎は「歌舞伎ファンの方からしたらツッコミどころもあるでしょう」とインタビューで答えていたが、この作品の中において彼らの「芸」は確かに素晴らしかった。やればやるほどその難しさを知り、足りなさを知った2人だったとは思うけど、それでも本当に素晴らしかった。

喜久雄と俊介の少年時代を演じた黒川想矢くんと越山敬達くんもよかった! この2人が演じた少年時代があったからこそ、喜久雄と俊介の絆がちゃんと最後まで見え続けた。拍手。

振り返れば振り返るほどに、映画全てが美しくも残酷で、最高で。原作者の吉田修一が「100年に一本の壮大な芸道映画」と言ったのも大納得の、こんなにも素晴らしい作品に出会えた幸せを、ひたすらに噛み締める帰り道だった。

私は、今も心の片隅で、
芸を磨き続ける喜久雄を想いながら過ごしている。

fukamiさん

フリーライターとして生きてきた人。思い出とか今のこととか。好きな映画のこととか。気ままに書いていきます。



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