火曜日, 6月 17, 2025
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ホーム副業映画『フロントライン』が描く、コロナ感染の闘い。忘却されるパンデミックの記憶を見つめ直そう。

映画『フロントライン』が描く、コロナ感染の闘い。忘却されるパンデミックの記憶を見つめ直そう。


🔸内容:
映画『フロントライン』は、2020年2月に横浜港に停泊していた「ダイヤモンド・プリンセス号」での新型コロナウイルスの集団感染を、医療従事者とクルーの証言を通じて描いています。彼らは、急激に悪化する患者の状況や限られたリソース、マスコミの報道に苦しみながら、人命を守るために奮闘します。その中で特に心に残ったのは、看護師がニュースに映ったことで子どもが保育園に通えなくなったシーンです。彼らはウイルスだけでなく、家族への差別にも立ち向かっていました。

鑑賞中、筆者は「パンデミックの忘却」について考えさせられました。ダイヤモンド・プリンセス号の事件は当時頻繁に報道されていたにもかかわらず、時間が経つにつれ詳細を忘れてしまっている自分に驚きました。また、かつてのスペイン風邪の事例と比較すると、震災に対する記憶は残るのに対し、パンデミックは忘れ去られがちです。

震災が記憶されやすい理由の一つは、具体的な日付があることです。例えば、関東大震災の9月1日は「防災の日」として定められ、記憶が共有されています。一方、スペイン風邪や新型コロナには共通して記憶を留める日付や場所がありません。これが、パンデミックが早く風化する要因と考えられます。

最近の出来事、特にテレビ番組での言動が炎上した際には、当時の新型コロナへの敏感さが薄れていることを感じました。以前なら感染リスクを心配して反応していたのに、その様子が見られなくなっていました。このことから、パンデミックには物語が必要であり、『フロントライン』のような作品がその記憶を引き継ぐ役割を果たすと期待されています。

新型コロナをテーマにした映画やドラマはまだ少数ですが、今後の作品がさらに増えることを望みます。

🧠 編集部の見解:
映画『フロントライン』を観た感想について、いろいろ考えたことがあります。特に「パンデミックの忘れやすさ」について触れたいと思います。ダイヤモンド・プリンセス号の集団感染が報じられたのはたった数年前。それなのに、映画を観る中で「ああ、そんなことあったな」と思ってしまう自分に驚きました。

新型コロナウイルスについての記憶が薄れていくのは、社会全体が混乱し、各々の生活に追われているからかもしれません。過去のパンデミックを振り返ってみると、例えばスペイン風邪の影響があった100年前の日本でも、当時の記憶はほとんど残っていません。関東大震災のように日付や具体的な場所がある出来事は記憶に留まりやすく、それに関連する防災意識も浸透しますが、パンデミックにはそうした要素が欠けているのです。

最近の「相席食堂」の炎上事件を理由に、新型コロナが過去のものになったことを実感しました。以前なら、あのシーンが放送されれば「感染のリスク」を考慮した意見が続出したでしょうが、今はそういった声が聞こえません。これは社会全体が新型コロナウイルスに対する警戒心を失いつつある象徴かもしれません。

『フロントライン』のような映画は、こうした記憶を留めるための大切な役割を果たしています。パンデミックのような出来事から学ぶことは多く、それを忘れないためには、物語として語り継いでいく必要があります。今後、COVID-19をテーマにした作品が増えることを期待しています。私たちの社会の歴史を振り返り、新たな理解を深めるためにも、そうした映画は欠かせない存在になるでしょう。

  • 映画『フロントライン』を観た感想から選定されたキーワードは「パンデミックの忘れやすさ」です。この映画は、新型コロナウイルス感染症が発生したダイヤモンド・プリンセス号を舞台に、医療従事者やクルーの苦闘を描いており、パンデミックに関する記憶の重要性とその忘却について深く考えさせられる内容です。

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