🧠 あらすじと概要:
映画『ゴーストキラー』あらすじ
物語は、ストレスを抱える大学生の松岡ふみかが、転がる薬莢を拾ったことから始まります。この薬莢がきっかけで、彼女は自分にしか見えない幽霊の殺し屋・工藤英雄と出会います。工藤は自らを貫いた弾丸の薬莢を持つふみかに取り憑き、彼女の身体を操ります。ふみかは工藤との対立を抱えつつも、殺し屋同士の争いに巻き込まれ、復讐に身を投じることになります。
記事要約
『ゴーストキラー』はアクションを優先した作品で、ストーリーよりもアクションの魅力が際立っています。監督は『ベイビーわるきゅーれ』の阪元裕吾氏、主演は髙石あかりさんで、キャラクターの個性を強調する脚本が特徴です。物語の中では、殺し屋が取り憑いた女性が行動を共にしながらアクションを展開するというユニークな構成が取り入れられています。
アクション部分は非常に高いレベルで、観客を惹きつける力があります。一方で、物語設定には粗い部分もあり、インディーズ映画的な要素も感じられます。しかし、その純粋な撮影欲とキャラクターの奥行きが、作品の魅力を高めています。特に、女性性と性暴力に対するメッセージが盛り込まれており、倫理的に刺激的な描写も含まれています。
全体として、アクションの質と製作陣の情熱が伝わる、楽しさ溢れる映画として評価されています。
物語よりもアクション欲を満たす作品。映画『ゴーストキラー』感想です。
ストレスの多い日々をおくる大学生の松岡ふみか(髙石あかり)。ある日、道に転がる薬莢を拾ったふみかは、自宅に帰ると自分にしか見えない幽霊の男と出会う。その幽霊の殺し屋・工藤英雄(三元雅芸)は、何者かに殺され、自身を貫いた弾丸の薬莢を持つふみかに取り憑くことになっていた。手を握ることで、工藤がふみかの身体を操れるとわかり、工藤はふみかの窮地を救う。暴力でしか解決しない工藤に、ふみかは当然反発をするが、殺し屋同士の揉め事に巻き込まれた状況への怒りと、工藤の成仏のためから、復讐に身体を預けることになる…という物語。
邦画アクションのレベルを上げた『ベイビーわるきゅーれ』シリーズ。その『ベビわる』全シリーズで監督を務めている阪元裕吾監督による脚本で、『ベビわる』のアクション監督である園村健介監督がメガホンを取った作品。主演もこれまた『ベビわる』でその名を広め、NHK朝ドラ『ばけばけ』のヒロインにも抜擢されている髙石あかりさんという、もはや、おなじみのメンバーという座組になっています。 近いタイミングで公開された阪元裕吾監督作品である『ネムルバカ』は未見だったのですが、あちらは『ベビわる』のキャラクターコメディ部分の抽出で、今作はアクション部分の抽出という双生児的な関係性にも思えます。けれども、分けて2つの作品にしたという単純なものではなく、ベクトルを違う方向に置いて、その先に何か違うものが生まれることを求めたものにも思えます。 今作の特徴としては、ド素人の女性に殺し屋が乗り移るというものですが、設定そのものはマンガその他であるものだし、いわゆる「入れ替わり」ものとかでもあるネタではあります。ただ、平常ではお互いが見える状態で会話をして、手を握ることをスイッチに身体に入り込むというシステムが少し斬新だと思います。これを利用して、幽霊で他の人間に見えない工藤が斥候的な役割を果たして、ふみかの移動に指示を出し、敵と接触すれば工藤にスイッチして格闘するというゲーム的な感覚を取り入れたアクションになっています。 工藤の意識が入り込んだふみかということで、アクションと演技の両輪がある髙石あかりさんがキャスティングされているのだと思いますが、流石にこの漫画的な設定に説得力ある演技は難しかったかなという気もします。ちょっとふざけてやっているようにしか見えないものでした。工藤の喋る声を被せたエフェクトがたまにありましたが、全編であのエフェクトを入れた方が納得感は出たように思えます。
そうはいってもアクション部分はやはり超一級であり、『ベビわる ナイスデイズ』で完成した感がある、殺陣的な美しさすらあるアクションを、たっぷりと堪能出来ます。
序盤の物語設定では入り込むことが出来ませんでしたが、アクションが始まると心が前のめりになるように没頭してしまいました。要するにこの作品の核は、当たり前なんですけど「アクション」ということなんですよね。物語を描きたいというよりは、このアクションが撮りたいから物語を付けているという感触がある作品だと思います。 そのためか、世界観というか、物語設定その他は粗い部分も大きいものになっています。言ってしまえば『ベビわる』1作目のような未完成なインディーズ映画のような印象もあります。『ベビわる』1作目は、それをコメディ的な面白さでカバーしていたので、その部分を補ってもよかったのでは、と思ったりもしてしまいました(ただ、それを髙石あかりさんでやるとただの『ベビわる』になっちゃうんですよね)。 けど、だからこそ「こんなアクション思い付いたから、撮りたい!」というような、純粋な撮影欲みたいなものがダイレクトにあり、その魅力が少しの粗を上回る作品になっているんですよね。 また、阪元脚本の魅力でもあるキャラクター性の強さというものも、そこを支えるものになっています。それほど長い物語ではなく、作中ではせいぜい2日間程度の物語なので、キャラの掘り下げが出来ているはずもないのですが、それでも工藤と影原(黒羽麻璃央)の関係性と、ふみかとマホ(東野絢香)の関係性を重ねてみせたり、抑圧される女性性と、組織にいいように使い捨てにされる現場殺し屋を重ねたりという、キャラの奥行を持たせる配置をしているんですよね。 工藤と影原の関係性描写も、ちょうど良い案配で深掘りしていないというか、二次創作出来そうな遊びの余地を残しているのも、非常に巧みですね。オタクの心理をガッチリと掴む脚本術に思えます。 『ベビわる』のようなコメディ部分が少ないからこそ、リアリティラインが厳しく見えてきてしまうところではありますが、その分メッセージ性もシビアに伝わるというメリットもあります。 特に序盤での、工藤とふみかが、意識して最初に手を組むクソ野郎男性陣をブチのめすところとか、結末は倫理的にはアウトなんですけど、女性への性暴力に対しては、フィクションとはいえ、これくらいの報いがあるべきというメッセージの叩き付けにもなっています。
あまり完成度は高くないかもしれませんが、インディーズ映画的な純粋さに溢れた作品であり、それでいてアクションは超一流であるというギャップが魅力の1作だと思います。製作陣が楽しんで創作をしているのが伝わってくるようで、その熱が嬉しくなる映画でした。
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