土曜日, 6月 7, 2025
- Advertisment -
ホームレビュー映画映画「小学校〜それは小さな社会〜」を見て、母が思うこと。純子

映画「小学校〜それは小さな社会〜」を見て、母が思うこと。純子

🧠 あらすじと概要:

映画「小学校〜それは小さな社会〜」のあらすじと要約

あらすじ

このドキュメンタリー映画は、日本の小学校生活の様子を描いています。特に、子どもたちが成長していく過程の中で、教育制度や社会的な圧力がどのように影響を与えているかを探ります。映画は、6歳から12歳になるまでの子どもたちの世界をフォーカスし、日常の中に潜む同調圧力や美しさの基準について考察します。

記事の要約

映画を観た母親の純子さんは、日本の教育の良さと息苦しさを実感します。自らも転勤族でさまざまな地域の小学校に通った経験から、小学校は“ちいさな社会”であると感じています。特に、靴の並べ方を審査するシーンが印象的で、整った正しさが社会への適応の練習のように思えたそうです。コロナ禍での運動会の中止や無言の給食など、現実に直面した子どもたちの姿に胸を痛めます。映画が描く2時間の記録は、彼女にとって、自分の過去と未来の子どもの姿を重ねるきっかけとなり、「おかえり」と言える場所の重要性を改めて考える機会になったと述べています。

映画「小学校〜それは小さな社会〜」を見て、母が思うこと。純子

純子

先日、夫と映画「小学校〜それは小さな社会〜」を観た。
日本の教育の“良さ”も“息苦しさ”も、どちらも静かに浮かび上がってくるようなドキュメンタリーだった。

「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、
12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」

公式サイトより

でもやっぱり思う。小学校も、先生も、そこにいる子どもたちも——まるごと“ちいさな社会”なんだと。私自身、転勤族の家庭に育ち、北海道・福井・東京と3つの小学校に通った。文化やルールは地域ごとに違ったけれど、どこにも共通していたのは、“同調”の空気だった気がする。作品の中で印象的だったシーンがある。下駄箱の上履きの並び方を「美しさ」で審査する場面。修学旅行で脱ぎ散らかされた靴を見た先生が「私はお手本としてここに置いたんだけどね」と、端っこに整えられた自分の靴を映す。その姿に、私は思わずため息が出た。靴の並べ方にまで1ミリのズレも許されない世界。その“整いすぎた”正しさは、まるで社会に適応するための予行練習のようだった。撮影はコロナ禍。「オリンピックはできるのに、私たちの運動会はなぜ中止なの?」そんな子どもの声が、静かに胸に刺さる。マスク越しの無言の給食、仕切り板の向こうにいる友達の顔。ニュースでは何度も見聞きした光景だけれど、実際にその“日常”を目にしたとき、思っていた以上にショックだった。あの頃、誰もが「正しさ」を模索していたけれど、子どもたちにとってはあまりに不自由だったよね。この映画は、たった2時間で切り取られた“ある小学校の記録”にすぎない。現実には、描かれていないもっと深い闇や課題もあるかもしれない。それでも私が涙を流したのは、たぶん自分の過去を思い出したからじゃなくて、未来のわが子の姿をそこに重ねてしまったからだ。体に合わないランドセルを背負って、教室で泣き出してしまう1年生。なぜかものすごく大人に見える6年生たち。ひとつ年上なだけで、先輩ってどうしてあんなに大きく見えるんだろう。子どもはいつか、家族という“最初の社会”から離れていく。その先にある小学校という社会は、きっと本人にしかわからない過酷さもある。だからせめて——「おかえり」と言える場所を、家の中につくってあげたいなと思った。

純子

3歳の息子を育てるワーママです。 日常のこと働き方子育て推し活韓国すき🌸



続きをみる


Views: 0

RELATED ARTICLES

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

- Advertisment -