月曜日, 5月 26, 2025
ホームレビュー映画映画「天気の子」を観た【ネタバレ注意】しゅんき

映画「天気の子」を観た【ネタバレ注意】しゅんき

🧠 あらすじと概要:

映画「天気の子」あらすじ

「天気の子」は、新海誠監督によるアニメーション映画で、都会東京を舞台にした青春と恋愛の物語。物語は、家出をして東京にやってきた主人公の少年が、不思議な能力を持つ少女に出会うところから始まる。彼女は「天気を晴れにする力」を持つ神秘的な存在であり、二人はその能力を活かしてお天気ビジネスを始める。しかし、その力を使うことで次第に彼女に大きな代償が伴うことが明らかになり、彼らの関係や選択が試されることとなる。

記事の要約

この記事では、「天気の子」を観た感想が述べられており、主人公の心の葛藤や人間関係が詳細に描かれています。特に、主人公が持つ「息苦しさ」や、出会った少女との関係が進展する中での彼の成長が強調されています。天気を変えるビジネスを通じて、若者同士の絆や愛のメッセージが描かれており、最終的には二人で困難を乗り越え、再会するという展開が感動的に表現されています。また、映画の中に込められた愛の意味や、新海誠の問いかけについても考察されています。

映画「天気の子」を観た【ネタバレ注意】しゅんき

記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

しゅんき

新海誠作品「天気の子」を鑑賞した。新海の作品は、「君の名は。」を視聴したことがある。テレビで放送された際、母にいっしょに観ようと言われて観たのだ。面白かったのかつまらなかったのか、一切記憶にない。

記憶にないということは、あまり面白くなかったのだろう。

新海にあまり期待はできないが、私は人生経験として映画を鑑賞する必要もあるし、今回天気の子を視聴してみることとした。

ジブリをもう少し観ようかとも思ったが、前回観た「ハウルの動く城」が好みに合わず苦痛であったため、ジブリはやめた。
(難解であったため、ハウルは感想をに載せることさえできなかった。)

以下、映画「天気の子」のネタバレが含まれます。

今回の映画では冒頭、主人公の男の子は船に乗っている。天候は大荒れで、船のデッキから室内に移動するよう指示が出されているのに主人公の男は何故か雨の中デッキの先頭へダッシュ。冒頭から意味が分からない展開だ。なぜ土砂降りの雨の中、船の展望デッキに走るのだろうか。幼稚園児くらいならわからなくもないが、主人公は中学生か高校生くらいに見える。絶対に幼稚園児ではない。雨にロマンを感じる男なのだろうか。確かに、全てを忘れて雨の中をがむしゃらに走ってみたくなることもある。だが、それは休日に特に何の予定も無い時に家の近所でやるべきことである。長距離、長時間乗船する船のなかでやるべき行動ではない。まぁ、何かの伏線なのだろうと自分なりに落としどころをつけて次に進む。そして男は船内に入ってきた大量の雨水に流され、船から落ちそうになる。そこを、謎のおじさんに手を差し伸べられてなんとか助けられた。

助けてくれたおじさんは、下船時に「また何かあったら連絡して」と主人公に名刺を差し出す。

主人公は、どうやら家出をしたらしい。島に暮らしていたが、「息苦しくて」などというよくわからない理由で島を勝手に出て東京にひとりでやってきたのだ。「息苦しくて」としか言わず、具体的に親から虐待を受けているだとか学校でいじめられているとかそういう表現は最後までなかった。ということは、きっと大したことはないのだろう。大したいじめや虐待も受けていなくて、なんなら恵まれた環境にいるのに「生きるのがしんどい」などと憂いてしまう者は多い。家庭教師のバイトをしていても、そういう生徒は時々いる。「長生きしたくない。30歳で死んでいい」などと言う奴もいた。塾の先生や家庭教師をしているといろいろな生徒がそういうことを言うので、私はいちいち「自分に与えられた天命が何なのか、何のために生きるのかが見えてくるのはもっと先だと思うよ」「悩むこともあるけど、生きてて良かったって思えるような出来事もちゃんと自分に回ってくる。世の中ってそういう風にうまいことできてるんだわ」などと説明する。せっかく生まれてくることができたのだから、幸せをかみしめて楽しく生きてほしいし、長く生きていたいと思えるような人生にしてほしい。せっかくこうして私と出会うことができたのだから、少しでも私が生命力を、エネルギーを与えてあげることが出来たらと思う。無気力な中学生は多く、私はいろんな生徒にこの話をしてまわるため、

自分が塾講師なのかスピリチュアル講演会の講師なのかわからなくなる。

きっとこの主人公も、自分が恵まれた環境に居ることに気づかず、しょうもない悩みを深く考え「息苦しい…」などと考えて家出までしてしまったのだ。コイツが私の塾に来てくれていたら、家出する前に話をいくらでも聞いてやったのに。まぁ、私が話を聞いてやったくらいで家出を阻止できたかと言われると難しいかもしれないが。

主人公はあてもなく、雨の中東京をウロウロし、マクドナルドでジュースだけを買って店内に居座るような生活をしていた。

何日も連続でマクドナルドでジュース1杯を飲むのが夜ご飯。

晴れていれば野宿もできるかもしれないが、梅雨の時期なのか、毎日大雨が降っている。

ある日主人公がいつも通りマクドナルドに入ると、拳銃が落ちているのを発見。主人公は警察に通報するでもなく店員に言うでもなく、しれっと拳銃を獲得。

マクドナルドを出た主人公は、いかつい男が若い女を無理やりホテルに連れ込もうとしているところを目撃し、止めに入る。そして、マクドナルドで獲得した拳銃を発砲。そして若い女を救出していっしょに走って逃げる。

いかつい男も追って来るが、なんとか主人公と女は逃げ切ることに成功する。

映画というのは、逃げるシーンが本当に多いと感じる。
この前観たラピュタなんてほぼ逃げるだけの話だったし、千と千尋も走って逃げるシーンが何か所かあった。

小学生なんてみんな鬼ごっこが好きだし、フジテレビの番組「逃走中」は20周年を迎え、毎年大晦日に特番をするなど大人気コンテンツになっている。

人間というのは、常に何かから逃げている。仕事から逃げ、宿題から逃げ、現実から逃げる。

返事をしなければいけないメールから逃げる。

人は誰しもが常に何かから逃げている。
だから、逃走するシーンには感情移入しやすいのだろう。

それで逃走中や逃げるシーンの多い映画は流行るのだ。

主人公の男は、自分が助けた女に特殊能力があることを知る。女は、とある雑居ビルの屋上にある神社で、神様から天気を晴れにする能力を授けていただいたのだという。

効果は一時的であるが、確実に晴れさせることができるのだそう。

そこで、主人公の男と女はタッグを組み、ビジネスを始める。天気を確実に晴れにするというビジネスだ。

運動会の日にその学校の周りを確実に晴れさせるなど。

この時期、さすがに暮らしが苦しくなった主人公男は、冒頭の船で名刺をくれたおじさんの元を訪ね、そこに住み込みで働き始めていた。おじさんは月刊ムーなどスピリチュアル雑誌の編集部で、占い師に取材に行ったり原稿を書いたりしていた。月刊ムーおじさんが良い人なのかどうなのかずっと分からなかった。

主人公の男を船で助けてくれたり住み込みで働かせてくれたり、一見素敵な人のように思える。しかし、給料はかなり安いし、こき使っているだけな気もする。

この映画において、月刊ムーおじさんはお助けマンのポジションなのかどうなのか、判断が難しかった。

月刊ムーおじさんの元で働きつつ、主人公は女といっしょにお天気ビジネスを始める。男がお天気ビジネスの公式サイトをつくり、制度を整えていたのだが、天気を1回晴れにする価格を3400円に設定していた。安すぎる。

女と男はいっしょに相談していて「5000円は高すぎるかな」などと言って3400円にしていた。

あまりにも安すぎる。

特に屋外で行われるイベントにとって、天気というのは超重要事項だ。
雨天中止のイベントもたくさんある。

イベント自体が行われるかどうかがかかっているくらい大切にもかかわらず、たったの3400円。

もちろん料金体系として、早割などあるだろうが、どんなに前から予約したとしても3400円は安すぎる。天気予報で晴れか雨かある程度予想がついてから予約するのと、天気予報が出るよりはるか前から予約するのでは当然値段が変わってくるだろう。

しかし、どちらにせよ3400円はあまりに安すぎる。

意味が分からない。男のほうは別に何の負担もないが、女は晴れさせるのにそれなりに体力を使うだろう。
男は女の天気を変えるときに使うエネルギーを甘く見すぎであるし、女のほうもきちんと男にそのことを説明すべきである。

女と男が天気ビジネスを始めるという風になったとき、これは男と女にバチが当たるんだなと思った。神社で神様から授けていただいた、天気を変える能力。天気を変えるというのは、自然界への影響が大きい。そう簡単に発動させてはいけないだろう。神様が女のことを信頼して能力を授けてくださったのに、その能力を大事に使わず、金稼ぎのために乱発する。神様はこの女に金稼ぎをさせるために天気を変える力を授けたわけではないのに。最初は一儲けできるが、しばらくして女の身体に異常が起きたり何かしらのバチが当たる。

そういう展開を予想した。

私は小さい頃ドラえもんのアニメをよく見ていたが、毎回のび太が秘密道具を手に入れて使いすぎて失敗してバチが当たる。

今回の映画は、ドラえもんの秘密道具とほぼ同等である「天気を晴れにする能力」というものを手に入れ、悪用し、バチがあたるという話なのだろう。

しかし、私の考察はすぐにハズレだと思わざるを得ない展開となった。

3400円となると話は別だ。

3400円なんて、安すぎて金儲けにならない。

金儲けのための悪用に入らない。

男はホームページをつくっただけで大した仕事はしていないのでほぼ不労所得であるが、女は自分の魂を、エネルギーを消費して天気を変えるのに3400円は安すぎる。

これでもし取り分のうち半分を男がもらっているとかであれば、男にだけバチが当たるだろう。
でも、男は月刊ムーで住み込みで働いているのだからそこまで金に汚くなる必要もないし、そこまで卑怯なことはしないであろう。

ちょっとした商店街のフリーマーケットから大規模な花火大会まで、女は順調に晴れさせていった。

ずっと女が一生懸命に天気を変えていて、男は何もしていなかった。

男と女はどんどん仲良くなっていった。

これ、先日観たラピュタに近い展開だ。

ラピュタも、天からゆっくり降りてきた女を主人公の男がキャッチし、別に男の手柄でも何でもないのに男は女につきまとい、でも男と女に徐々に友情が芽生えていくというような話だった。

今回も、いかつい男に連れ去られそうになるピンチに陥る女を主人公の男が発砲することで救出、天気を変える特殊能力のある女に男が付きまとい、天気を変えるビジネスで自分もちゃっかり金儲け。で、男と女が仲良くなっていく。

非常に似た展開だ。

だが、私はラピュタで学んだ。
こういう展開のときは、別に男が女を利用して、男が女を搾取して、男が価値のある女につきまとって利益を得ようとしているわけではないのだ。

最初に男が女を助けた(助けたつもりになっているだけだが)ときに、なにか二人の間で絆のようなものが生まれているのだ。

私は危うくラピュタを観ていなければ
「なんだこの主人公の男は!たまたま助けた女が天気を変えることができる特殊能力の持ち主だったことをいいことに、そいつをうまくつかって金儲けしようとして」と怒っていたところだ。

まぁでも、今回に関してはラピュタのときと違って男は女をきちんと冒頭で助けている。
ラピュタのときは別に男がキャッチしようがしまいがペンダントの力で女は助かっていたのだが、今回に関しては、男は発砲という手段こそめちゃくちゃ間違ってはいるもののホテルに連れ込まれそうになる女をきちんと救出できている。

男と女は天気ビジネスを順調に進め、途中月刊ムーおじさんが依頼者として注文してくるなどのほっこり展開もありつつ、
女が「疲れたから一旦この仕事は休憩したい」と言い、一度このビジネスは終了する。

そして徐々にわかってくるのが、能力発揮の代償である。

女は天気を変える能力を手にしたが、その能力を使うと徐々に身体が薄くなり、やがては消えてしまうのだ。

このあたりから男と女の友情物語になっていく。

主人公の男はしょうもない理由で家出をしてきているため、捜索願が出ている。そして、ついに警察に見つかりそうになっていた。

男は自分の親元に変えるより、天気を変えるビジネスを共に成功させた仲間の女といっしょにいたいのだ。

住み込みで働いていた月刊ムーおじさんの元に警察が来る。

おじさんは知らないふりをしてくれたが、もうここで働かせるのは限界だ、おじさんが誘拐犯みたいになってしまう、ということで月刊ムーおじさんとはここでお別れとなる。

そして主人公の男と女は、警察に一度見つかり捕まりそうになるが、またも発砲して逃走する。

私には意味がよくわからなかった。

別に、家出しただけで、そんなに悪いことはしていない。

きちんと家族に事情を説明すれば、近い将来男と女はいっしょに居られる日が来るだろう。

発砲したのは普通にダメだが、そこは素直に認めておけばよい。
さらに逃げるためにもう1発発砲するほうがよほど良くない。

冷静な判断ができる状況にない可能性もあるし、まぁ咄嗟の判断で発砲してしまったのは仕方ないことかもしれない。

しかし、長い時間逃亡しているうちに、「これ普通に1回自首というか警察に事情説明したほうがよくね?大した罪おかしてないのに逃げ続ける必要なくない?」と気付かないものなのだろうか。

この男と女は福田和子のようにいつまでも逃亡生活を続けるつもりなのだろうか。

男と女はホテルに逃げ込んだ。男は夢を見た。

女が、能力を授けていただいた神社から空に消えていく夢だ。

そして男が起きると、女が消えていた。

女は本当に神社から空に消えてしまったのだ。

天気を変えて自然界に大きな影響を与えていた女が消えたことにより、ずっと続いていた雨は止み、東京に晴れが戻った。

そして、ホテルの部屋に警察がやって来た。
男は必死に警察から逃げ、例の神社に向かう。

神社は雑居ビルの屋上。

雑居ビルまで辿り着いた。あとは屋上まで階段をのぼるだけだ。

そこに現れたのは、月刊ムーのおじさんだ。

月刊ムーのおじさんは、なぜか男を呼び止める。

そして、警察に素直に事情を説明したほうが良いと言い始める。

月刊ムーおじさん、最初は警察に対して知らんふりをしていたのに。

このおじさん、本当にずっと何がしたいのか分からない。

捕まる前にせめて1回屋上の神社まで行かせてあげても良いじゃないかと思う。

1回神社まで行って、女に1度ご挨拶して、そこで逮捕で良いじゃないか。

それでまた、警察から解放されたら改めて神社に行く。

それがいちばん理想のストーリーのはずだ。

月刊ムーおじさん、察しが悪いというかなんというか。

そして、おじさんと主人公の男が攻防を繰り広げていると、警察が到着。

主人公の男も再び拳銃を取り出し警察に向ける。

しかし警察も厳戒態勢。
警察は主人公を取り押さえ、連行しようとする。

すると、なぜかここで再び月刊ムーおじさんがしゃしゃり出てくる。

月刊ムーおじさんが警察を取り押さえ、主人公の男に「行け!!」みたいなことを言う。

意味が分からない。

月刊ムーが「警察に素直に事情を説明したほうが良い」などと言ったのに、いざ警察が主人公を捕まえようとしたら警察を羽交い絞めにして「行け!!」は全く意味が分からない。

月刊ムーおじさん、本当に何がしたいのか最初から最後までずっとわからない。

確かに、なんか聞いたことのあるような展開ではある。なんか主人公が追われていて、良い人キャラの人が追っ手を取り押さえて

「俺は良いから!お前はあの子のところに行け!!!」みたいな展開。

でも、今回は微妙にそれになっていない。

そもそも月刊ムーおじさんが主人公を引き留めなければ、警察が来る前に主人公は屋上の神社に辿り着けたはずである。

自分が主人公を足止めしたくせに、いざ追手が来たら取り押さえて「いいから早く行け!」は無茶苦茶すぎる。

月刊ムーおじさんは、追手を取り押さえて「いいから早く行け!」と言うシチュエーションに憧れていたのだろうか。

さすがにそんなことはないだろう。
月刊ムーおじさんの意図は最後まで謎のままだった。

そうして主人公は神社に到着。すると、主人公も天に昇ることができ、そこで女と再会し、現実世界に救出する。

女が現実に戻ることにより、再び東京はずっと雨になってしまう。

しかし、男は晴れよりもこの女といっしょにいることを選んだのだ。

そして神社で男は警察に捕まる。そして親元へかえされる。

数年後、保護観察期間が終わり、主人公の男は女の住む東京に戻ってくる。

東京はこの間ずっと雨だったため、一部の街は水没するなどの被害があった。

しかし、男はそれでもこの女とともに生きていくことを選んだのだ。

男と女が再会し、ハッピーエンドとなった。

この物語には、新海からの「君には、天気をずっと雨にしてでも、街に大きな被害を与えても、それでもコイツといっしょにいたい。コイツと過ごすことを選びたい。そう思える相手がいるか?」というメッセージが込められているのだろう。

この問いかけで私が思い出したのは、筋肉少女帯の楽曲「オカルト」である。

筋肉少女帯「オカルト」1番の歌詞
https://www.uta-net.com/song/257448/

世界の戦争や災害、何を止めるでも良い、どのような形でも良いから世界を助けてくれと1度きりの願いを叶える能力を授けられた男は、好きな女とキスすることを選んだのだ。男にとっては、世界がどうなろうともこの女と居ることができれば良いのだ。男は、どんな戦争や大災害に巻き込まれても、きっとこの女と居ることができれば生きていけるのだろう。男にとっては、この女が生きる理由なのだ。

この女と生涯をともにすることが、天命だと感じたのだ。

今回の映画「天気の子」は、この楽曲の詞に通ずるものがあると思う。

東京がどんなに大雨で水浸しになろうとも、街が沈もうとも、主人公の男はあの女と一緒に居られればそれで良いのだ。

それほど愛することができる人間がいるというのは、なんと幸せなことだろうか。

私にはそんな人、いるだろうか。

この人といっしょなら、どんな困難も乗り越えられる気がする。
そんな人。

コイツといっしょにいられるなら、ずっと雨でも良い。戦争が来ても良い。地震が来ても良い。

そこまで思える人とは、まだ出会えていないかな。

でも、そういう人といつかは出会えると信じている。

いやぁ、良い映画だった。

男が女を想って必死に警察から逃げて会いに行って、現実世界に引き戻して、数年後にまた再会してハッピーエンド。

なかなか良い話だった。
私が人生で観た10本に満たないくらいの映画のなかでは、1位だな。

私の中の映画、暫定一位は天気の子。

今後も時々映画を観て、素敵な作品に出会っていきたいな。

あ、この人となら何があっても乗り越えられる、という人。いたかも。ちょっと違うかもしれないけど、強いて言うなら、永瀬廉くんかな。

れんれん。

れんれんって、本当に振る舞いや発言がしっかりしている。

普段はずっとふざけてて、ラジオとかだと結構「え?」っていうことを平然と言ったりもするんだけど、ちゃんとするべきところはしっかりしている。

グループの形が大きく変わることになってしまったときのラジオでの発言、芸人さんに難しいイジられ方をされたときの対応、ファンが不安になってしまうような、誤解を生んでしまうような共演者の行動があったときの対応、コンサートで出しゃばる客への対応。

今自分がどういう立ち振る舞いをするべきで、何を言うべきで、何を言わないべきなのか。それを彼はよく分かっている。

芸能界なんて、何が起こるか分からない。
キンプリがどれだけ頑張っても、どうにもならないことがあるかもしれない。テレビ局が存続の危機になることもあるかもしれない。

でも、どんな困難があっても、れんれんなら私達を安心させるようによく考えて動いてくれるし、一時は大混乱になっても最終的には乗り越えられる気がする。大パニックが起きて、混乱が起きて、「もうれんれんといっしょに居られないワ。れんれん、じゃあね」となるのではなく、きちんと乗り越えて

「今回も無事、なんとか乗り切ったワ。れんれん、ありがとね。これからもよろしく」となる気がする。

私は何が起きてもれんれんを信じていられる気がする。

天気の子の問いかけへの答えとは若干ズレるかもしれないが、似たようなところでいうと、私が信頼できるのは永瀬廉くんかな。

私は最近永瀬廉のことしか考えていないので、どうしても記事にれんれんが登場せざるを得ない。

最近、キンプリが特集されている雑誌を購入した。

MYOJOという雑誌。ジャニーズのいろいろなグループを取り上げているようだ

雑誌のキンプリのページを熟読していると、私と永瀬廉には結構共通点があることがわかってきた。

まず、私と永瀬廉は身長が同じだ。175cm。
いつか横に並んで「いっしょだね~」って言いたい。

それから、これは前から知っていたが、私もれんれんも左利きだ。

そして、今回雑誌で新たにわかった大きな共通点がある。
雑誌には、れんれんが高級寿司屋に行った際、前菜として出てきたもずく酢が美味しすぎておかわりを頼んだというエピソードが書かれていた。

これ、とんかつ屋で私が味噌汁を7杯おかわりしたのと似ている。

れんれんは1回しかおかわりをしていないかもしれないが、おかわり自由の味噌汁をおかわりするのと、高級寿司屋で前菜のもずく酢をおかわりするのは同列の行為ではない。もずく酢のおかわりのほうがかなりハードルが高い。おかわり自由の味噌汁をおかわりするのは何の躊躇もなくできる行為だ。おかわり自由とはいえ7杯飲む、という行為とおかわりなど普通しない前菜もずく酢を1杯おかわりする、という行為は

ほぼ同じではなかろうか。

れんれんと私、結構似たところがあると思う。

私、れんれんといっしょに居られるなら、東京がずっと雨でも良い気がしてきた。

新海、私にもいたよ。コイツと居れたら天気が無茶苦茶だろうがなんだろうが乗り越えられるっていう人。

永瀬廉。

ホントはもうちょい身近なところで見つけられたほうがいいんだろうけど。

私はジャニーズの商売に騙されているだけかもしれないけど。

でも、最近思う。

騙されたって良いじゃないか。

それで楽しければ。

「キンプリにそんなお金使ってるの?いくら金積んでも、れんれんと結婚したりできないよ?れんれんがただ儲けるだけで、お前は搾取されてるよ(笑)」と言う奴もいるかもしれない。

でも、私はそれでも良いと思う。

たくさんお金を使って、交通手段の変更等もあり2日間で8万円以上費やした福岡のコンサートは、2日間行って良かったと心から思えたし。

たくさんお金は取られているし明らかにオーバープライスかもしれないけれど、れんれんを想ってCD買ったりグッズを買ったりするのは楽しい。

「騙されてるだけだよ(笑)」と言っている奴より、私のほうが人生楽しんでいると思う。

私はこれまで「CDを4形態売るなんて意味が分からない。私は1つしか買わない」と言っていたが、8月にリリースされるキンプリの新作CDは4形態全部買おうと思う。

コンサートでれんれんに会ってから、私はれんれんへの愛がかなり深まった。

今まで頑なに塾と家庭教師しかバイトをやりたがらなかった私だが、
れんれんのグッズをさらに買いそろえたり会いに行ったりするため、新たなバイトも始めることにした。

「あんな短文で有料なんて意味が分からない。私のブログは毎回1万文字くらい書いているのに無料だ」と言って入会しなかったれんれんの有料ブログにも月額を払うことにした。

「れんれんに頻繁に会えるようになるけどこれから毎日ずっと雨ね」と言われても、私は受け入れてしまうと思う。

騙されているだけかもしれないけれど、私がこんなにれんれんを想っていてもれんれんは私のことなど知らないし何とも思っていないだろうけれど、

私はそれでも楽しいし、これでいいのだ。

心の拠り所がひとつあるかないかで、人生は大きく変わる。

私にはれんれんがついている。

私は今日もれんれんの写真を眺めてエネルギーを貰いながら、勉強にバイトに頑張るのだ。

最後、天気の子の話関係なくなっちゃった。
たまにはこんな回があってもいいね。

れんれん、大好きだよ。



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