🧠 あらすじと概要:
映画「君の名は。」は、新海誠監督による2016年のアニメーション作品で、公開当時大きな話題を呼びました。物語は、東京に住む高校生の瀧と、田舎町に住む女子高生の三葉が夢の中で身体を入れ替わるという設定から始まります。二人は互いの生活を体験しながら、次第に惹かれていくのですが、そこには時計の針を超える運命的な事件が待ち受けています。
この記事では、感想を通して作品がもたらした印象や、映画を見るきっかけとなった美容院での会話が描かれています。筆者は、アニメに対する偏見や周囲の反応が変わっていく様子を振り返りながら、映画の繊細な描写やテーマに感動し、自身の感情や美しい瞬間に触れることで作品の魅力を再確認しています。最後には、純粋な愛情や希望を描いたこの映画が、時代を超えて若者たちに共鳴していることを強調しています。新海監督の言葉も引用され、彼の成長や作品への思いも考察されています。
久々に観たらやっぱり凄い映画やったなぁって感じちゃいましてね。
公開した当時の事とか思い出してしまったので、ちょっと書き残しておこうと思います。
この「アニメ映画」がもたらしてくれた功績ってやつは「普通のオシャレな若者たち」までたくさん観てくれた事だと、私は思っているのです。
私にはだいぶと前からお馴染みにしている美容院があるんですがね。そこで自分の職業を明かしたことが無かったんですよ。
当時、まだまだ世の中にはちょっとした偏見があるのを知ってたし、若かりし頃は「え、オタク?」なんて言われて虐げられてましたものでね。
(私の職業はアニメーターです)
今だって10年前だって、美容院って空間はそれはそれはオシャレでしてなぁ!
美容師さんは男女ともいつも服装だって髪型だってオサレやし、髪をなんやかやしてもらってるときの会話やって、それはそれはオサレなんですわ。
それでも、私やって「処世術」ってやつを身につけている日本人女性だもんで。「TPO」をちゃんとわきまえて、楽しくオサレな皆さまに合わせて立ち振る舞っていたわけですわ。
そんな中、「あの映画観ましたか?!」
って逆に言われたんですよ。それが、まさかの「君の名は」でしてな。
「僕、もうめちゃハマって3回行きました!」ですって。オサレ男子が目をキラッキラさせて言うんですよ。え、嘘、マジ?アニメよ?だって。
って、偏見はお前やろってくらいの反応したのはあたいの方でしたよ。
そこに加わるオサレ上司に「えー、お前、アニメなんか観るの?」なんて言われちゃっても、「いや、あれは観た方がいいですよ!」
って返しててさ。オサレな二人があたいの背後でアニメ会話を普通にしていた。
美容師のオサレ男子まで沸き立つようなアニメ映画だ。それは俄然興味深くなった。たまたまなんやろうけど、私周りの同業者は「君の名は」に対して否定的な人が多かったのだよね。せやから私は偏見から「なんで売れてんのか分からん作品?」って認識になってしまっていた。
けど、「どーせおもんないから観ーひん」っていう同業者の意見だけはどーしても解せなくて。「私はちゃんと観てから評価しよう」って思ったのだった。
それに加えて、楽曲提供している「RADWIMPS」が元々好きだったってのもある。
当時はまだまだ巷で全然有名じゃなかった彼らの曲が、劇場で聴けるならばそれだけでもいいじゃないか、と考えたのだった。
そんなこんなで、全く期待せずに劇場に足を運んだわけでさ。けど序盤の、あるシーンを観たときに「なんかすごい映画が始まったぞ」って、瞬間的に感じてしまったのだった。始まって10分後くらいだったかな。
チョロい女よね、あたしってば。
それは、主人公の三葉が朝、布団から起き上がるシーンなのだけど。
その時、細かな埃が舞い上がって朝日でそれがチラチラと光るのだ。
この「チラチラ」ってのが、めちゃくちゃ良かった。
あくまで「チラチラ」で、「キラキラ」ではない。
現実でも、朝に布団から身体を起こしたときや布団を剥いだとき、窓から差し込む柔らかい朝の光の中で埃が光る。
いつもそれは「チラチラ」としている。
ずっと光るのではなく、朝日の光の「スジ」に合わせて光ったり消えたりまた光ったりする。
自分が幼い時にこの現象にふと気付いたときから、それはなんだか不思議で美しい風景だった。起き上がったのにまた布団に寝転んで、光るその様子をボーっと眺めていた。
そして、
「世界って、見えないけどホコリまみれなんやなぁ…」
とか
「ホコリも光ると綺麗なんやなぁ…」
などと考えていた。
「誰しも目にした事はあるが、些細過ぎて表現する必要のない描写」ってやつを、この作品はいきなりの冒頭で丁寧に描いていたのだよね。
なんだか、自分のこの不思議な感覚を分かってくれる人が現れたような変な高揚感があって、それだけで嬉しくなった。
一気にこの作品が楽しみになった。
それからの物語の展開は想像以上にすごくて。
巧妙に入り組んだ時系列とか、あちこちに散りばめられている伏線とか、隕石の軌道と地球の自転と公転が合ってしまう宇宙規模の脅威な奇跡のリアリティとか。
美しさと悲惨さと絶望と希望とが同時に起こる様とか。
散々耳にしたRADWIMPSの「前前前世」の歌詞にある「君が全然全部なくなってチリヂリになって」「また一から探しはじめるさ」という言葉と物語のリンクとか。
何を置いてもすごかった。
こんな映画観た事ないと思った。
ラストに三葉が懸命に走る姿は、一度全て失われたたくさんの「生命」がかかっているので純粋に心打たれたものさ。
「助かれ!」と、切に願ってしまった。
ほいでもってさ、主人公二人のピュアな恋模様が描かれていたのも、ほんまに良かったんよね。もう忘れてしまっていたのよ、あの感情は。最後に若者を動かす力は、結局のところこれでいいんだよ。
若者たちがこの純粋なる愛情に惹かれたのならば、マジで世の中捨てたもんじゃないと思ったよ。
映画は当時、記録的なロングランだったもんで、次に美容院へ行ったときもまだ「君の名は」は話題にできた。
私は、教えてくれたオサレ男子に感想を言おうとしたんだけど。その前に「アニメなんか」と言っていたオサレ上司が「あの映画、RADWIMPSがいいんですよ!」と、言ってきた。
前回、「RADWIMPSなんて知らない」って言ってたのにさ笑
私も含め、人って実に単純やなぁと思ったけど、「良い物」を素直に認められる方が平和やし、いいなぁって思った。
新海誠監督は、「もう“君の名は”のような作品は作れない」って、何かでおっしゃっていたんだよね。それは、もう自分は「大人」になってしまって、あの作品の中の「瀧くん」と同じ感情にはなれないからだと。つまりは、あの時はまだ新海監督が「少年」の心を持っていたから作れたのかなぁと。
とはいえ、当時だって「いい大人のおじさん」だったと思うけどね。
今を生きる我が子たちがさ、普通にアニメの話をクラスの友達としたりしていて。
ギャルだって体育会系だって、みんな普通にアニメ話に花を咲かせている。
我が子が友達に「うちのママはアニメの仕事をしている」
なんて話そうもんなら、あの時の美容師さんのように目を輝かせてくれる。
あぁ、いい時代になったなぁ…って、噛み締めてしまうのだよ。
ま、それが「君の名は」キッカケだったかどうかというと、ちょっと違うかもやけど。
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