🧠 あらすじと概要:
映画「かくかくしかじか」あらすじ
「かくかくしかじか」は、漫画家の東村アキコの自伝的作品を原作とした映画です。物語は、彼女が画家とし夢を抱きつつ、挫折や苦悩を経て成長していく様子を描いています。主人公の明子は、夢の実現を可能にするため、恩師の日高先生との出会いや仲間との絆を通じて成長していきます。
記事要約
この記事では、映画「かくかくしかじか」を観るまでの期待と心配に関する真咲ともかの思いを綴っています。内容は、俳優の不倫騒動で心が乱れる様子や、映画の公開を待つ間の気持ち、当日の映画館での体験を描写しています。
映画に対しては、原作ファンとしての期待が裏切られず、感動的なシーンや大泉洋の演技が特に印象的だったと述べています。日高先生からのメッセージや恩師の重要さに共感し、自身の経験と重ね合わせることで、作品が持つ力を深く感じ取る感想が伝わってきます。 「かくかくしかじか」は、夢を追い続けることの大切さを教えてくれる映画として、特に物作りを志す人々に響く内容であるとの結論に至っています。
「二人とも名前を聞いたことがあるが、詳しくは知らないなぁ。」
というくらいの疎さだった。
ドラマをほとんど見ないため、顔と名前がなかなか一致しないのである。
だがよくよく調べてみれば田中圭さんは私の推しのポルノグラフィティの岡野昭仁さんが歌を担当しているサントリーのウイスキー角瓶CMに出ており
永野芽郁さんは、映画「かくかくしかじか」の主演女優だった。
よりによって楽しみにしているCM出演者!よりによって
楽しみにしている映画主演!
私は気が気ではなかった。
文春が発売されてすぐにCMが打ち切られるわけではなかったが気がつけばウイスキー角瓶のCMをテレビで見なくなりYouTubeで見られたCMもとある日に非公開になった。CM放映された日から毎日欠かさずにYouTubeでCMを見ていた。再生回数が驚異の677万回まで届いていただけに、非常に残念だった。今までのサントリーCMの中で、YouTube公開されているものの中で一番の再生回数だっただけに誇らしい気持ちだったが
今となってはもう昭仁さんの「ウイスキーがお好きでしょ」は聴けない。
そうなると、映画「かくかくしかじか」公開も心配だった。私の心配をよそに、5月に入って新しいバージョンの映画CMもテレビで流れ出したがもはやいつどうなるかは分からない。
一刻も早く見に行った方がいい。
そこで私は公開日の次の日朝一に映画「かくかくしかじか」を見に行くことにした。
その日は朝からどしゃ降りの雨で、傘だけでは心許なく、レインコートにレインシューズを装備してMOVIX宇都宮に行った。券売機で座席を選ぼうとしたら、ほぼ満席で焦った。
私は映画は端席通路側で見たい派だが、もはや端席壁際しか空いていない状況であり、そこの席を購入した。
そこに座ろうとした際、「通していただいていいですか?」と声をかけたら、通路側隣席の方が「隣に座るのかよ。」と言い捨てて舌打ちしてきた。肘当てには腕を置き、常に物を食べるか飲むかし、咀嚼音やのざえが悪目立ちしていた。
更に映画中は笑いの沸点が低く、笑い声も悪目立ちしていた。
心を殺し、映画に集中しようと思った。私は悪目立ちしないよう心がけた。私から何かしようものなら絡まれる可能性もある。 何故お金を払って苦行のような映画鑑賞をしなければいけないのかと泣きそうになったが
チケットを買った以上座席を変えられないので仕方ない。
余談だが、エンドロール後に一刻も早く立ち去りたかったが席を立ちそうになかったし、足も組んでいたため
私は逆位置から迂回して脱出した。
映画「かくかくしかじか」は東村アキコ先生が脚本だっただけあり
原作ファンを裏切らない内容だった。
漫画が原作だとイメージが損なわれないか心配だったが原作を見事に映像化していたし
映像化ならではの表現も中にはあった。
尺の関係や映像化にあたり、削ったエピソードや改変も中にはあったがそれでも見たかったシーンが見事に再現されており笑いあり涙ありで大満足だった。特に大泉洋さん演じる日高先生は最高だったし大学時代の夏休み課題のシーンも激しい感情のぶつけ合いとなっており、印象的であった。
もちろん、ラストシーンも涙なしでは見られない必見シーンだ。
映画では、当時東村アキコ先生が絵画教室で描いた絵が使われている。また、東村アキコ先生が実際に描いたであろう漫画のコマも出てくる。
ファンとしてはこういったものも見られて嬉しい。
恩師がいる方スランプに陥ったことがある方夢を追いかける方
夢はあるけど真っ直ぐに夢を追えなかった方
物作りをする方
には、特に突き刺さる作品だと思う。
日高先生はひたすらに「林。描けっ!」と言い続ける。
私は文章を書くことが好きだから
映画を見ていると「書けっ!」と言われているような気分になる。
小さい頃から文章を書くことが得意だった。賞を何回もとった。
図に乗っていた。
そんな私が高校時代に大学推薦入試を受けるにあたり家庭教師の先生に小論文の書き方を習った。私は文章を書くことが得意だったけど
小論文の書き方は教わるまでまるでなっていなかった。
推薦入試前に、ひたすらに書いて添削され書いて添削されを繰り返してみるみる上達したのに推薦入試の時、初めて私は自分の手が止まった。
どう書けばいいかあんなに迷ったのは初めてだったし、あそこまで手応えがなかったのも初めてだった。
金沢の大学入試を受けた明子に自分が重なる。
私もよく受かったなぁと未だに不思議だ。
明子が学力がまるで足りなくてダウジングや出題系統から読み解くやり方でセンターを突破したように私は私で模試はE判定以上とれなかったが
中間や期末で内申点を稼ぎ、得意の小論文で推薦入試を突破した。
邪道といえば、邪道なやり方だ。
だけど明子も私も恩師がいなかったら大学入試に多分受からなかったし
今の人生にはなっていなかった。
人生には様々な出会いがある。
日高先生がいなかったら、今の東村アキコ先生はいなくて、私の大好きな作品の数々は読めなかった。
日高先生に感謝である。
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